歴史を巡る旅 ーカロメノス水上都市②ー
本日に投稿目です!
それからその黒い小舟を購入し、手続きを済ませたシアン達は街へ繰り出した。
水路の湖面は、多くの船が行き交っているにも関わらず碧く澄み、人懐っこく寄ってくる銀色の小魚達がよく見える。
水路の両脇の街を支える浮島の壁には、湖底から見上げた水面の様に、青みがかった深緑に網目のような白いラインが入った翡翠のタイルが貼られていて、そしてその上に立ち並ぶのはキラキラと輝く純白の壁の、風情ある気取らない家々だった。
イヴとクロはそんな景色に、小舟の上で歓声を上げていた。
「凄いね!! 綺麗だね! それにこんなに沢山人がいるっっ」
「大きな建物……確かにこんなの、一人じゃ絶対に作れないね。それにさっきから、街中で花みたいないい匂いがするね。何だろう?」
クロの疑問に、小舟をゆっくりと漕ぐシアンが笑いながら答えた。
「これはラベンダーだな。“幸運を呼ぶラベンダーのポプリ”は、この街の特産の一つなんだ」
「へぇー」
「あ! クロ見て! あそこになんか面白い人達がいるよ! 仮面をつけて音楽を鳴らしてる!」
はしゃぐイヴに、シアンはまた笑顔で説明する。
「ここは昔、有名な歌唄いがよく訪れては“第二の故郷”と呼んだ地らしくてな。それに因んで今でも吟遊詩人達の【聖地】と呼ばれてるんだ。土産物の“幸運を呼ぶ金の竪琴”も有名だな。……仮面は、多分お洒落のつもりかな?」
「ふーん? 何だかキャッチフレーズが“幸運”ばっかりなんだね?」
「まぁ、この地には“幸運のドラゴン・フィル”を守り神として崇める伝承があるからな。きっとそこから取ってるんだ。縁起もいいし」
3人はそんな話をしながら、のんびりと観光を続けていた。
カロメノス水上都市には大きく分けて3つの区画がある。
先ずは入って直ぐの閑静な住宅区や、落ち着いた飲食店などが並んでいる区画。
そこから更に奥に進み、ディウェルボ火山に向かうに連れ、そこはにぎやかな商業区画となる。
建物という建物の扉は大きく開かれ、一人でも多くの客を待ち構えていて、広場のよう広場にも露店が出されている。そしてその隙間を縫うように、多くの吟遊詩人達がそこかしこで上向けた帽子を前に、歌を歌っているのだ。
そして更に奥に進めば、今度は大きな倉庫の立ち並ぶ区画に出る。そこが、商人達の最も重要な拠点。ドワーフ達との取引の商業区画だった。
シアン達は住宅区画を抜け、ラベンダーの香りに満たされた音楽の鳴り響く賑やかな街をゆっくりと進む。
だけど子供達が目を輝かせながらその風景に見入る中、突然シアンが小舟を漕ぐ手を止めた。
イヴが訝しげに振り返って、不思議そうにシアンに尋ねる。
「どうしたの? シアン。キールやラーガ達の布を買いに行くんでしょ?」
「……うん。だけどちょっとだけ寄り道いいかな。すぐに戻ってくる」
シアンはそう言うと、近くの桟橋に小舟を着けた。
そしてなんの説明もなく立ち上がり、二人に声を掛ける。
「ゴメンな二人とも。本当にすぐに戻ってくるから、ちょっとだけ待っててくれ」
「え? 私達も行くよ!」
イヴも立ち上がろうとしたが、シアンはそれを押しとどめ言った。
「いや、二人は待っててくれ。……いいか、絶対に動くなよっ! 本当にすぐ戻ってくるから!」
シアンはそう二人に釘を指すやいなや、どこか慌てたように街の奥へと走っていってしまった。
「……シアン……?」
イヴはあからさまな不安を浮かべながら、またストンと小舟に腰を下ろした。
そんなイヴに、クロも心配そうに声を掛ける。
「父さんどうしたんだろ? ……探しに行く?」
だけどイヴは首を横に振った。
「んーん、シアンがここを動くなって言ってたから」
「そう」
クロはそう頷くと、イヴの隣でじっと水中の小魚を見つめていた。
◇◇◇
―――市街の裏路地で、三人の男達が可笑しそうに笑っている。
「いーじゃねぇか、別にお兄さん達怖い人じゃないって。一緒にご飯でも食べよっつってるだけじゃねーか」
「どっ、どいて下さい! 急いでるのでっ!」
そしてその中心には、路地壁に追い詰められるように張り付く小柄な人影。
白金のふわふわとした癖っ毛の髪を持つ、人間で言えば未だ10歳程にしか見えない幼いエルフ。
整った顔立ちに、シミ1つない白磁の肌は、エルフ族の中でもとりわけ美しいとされる【光のエルフ】である事に間違いはなかった。
金の竪琴を小脇に抱え震える小さなエルフは、懸命に断ろうとするが、その姿は逆に男達の嗜虐心を刺激してしまったようだ。
「ったく、こっちが優しくしてやってる内にさっさと来いってんだよ!」
「っあ」
一人男に腕を掴まれ乱暴に引っ張られた瞬間、エルフはバランスを崩し路地に倒れ込んだ。……エルフの片脚は義足だったのだ。
だが男達は、そんな憐れな姿に同情するどころかせせら嗤った。
「はは、ほら言わんこっちゃない。さ、無理せず俺達と……」
だが男の言葉は途中で途切れ、代わりにその身体が宙を舞った。
「え?」
幼いエルフの目が見開かれる。
続いている地にドサリと堕ちた男とその仲間達が、驚愕の声を上げた。
「ガッ」
「な、何だ!?」
「誰だテメェ! 俺達の連れに何しやがる!?」
男たちが振り返った先に佇んでいたのは、軽く拳を構え、ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべた長身の男。―――そう。シアンだった。
「悪ぃな兄サン方。その子な、オレと先約があるんだわ。見逃してもらえないかなぁ? ……あ、今の一発はその子をコケさせた分だから、これで恨みっこなしって事で」
……悲しいかな。
シアンは昔っからこういった場に出くわす事が多く、またそれをもれなく目敏く見つけてしまい、更にその性格から、それを見過ごす事が出来なかった。
男達は青筋を立てて怒鳴りながら、シアンに飛び掛かっていく。
「はぁ!? 何勝手な事言ってやがんだ! そんな訳あるかっ、そいつを先に見つけたのは俺達だ!」
「そうだ。名前も知らないくせに、何が先約だ。お前からぶっ潰してやるぜ!」
男達の言い分に、シアンは肩を竦めた。
「……おとなしく見逃してやるって言ってくれれば、オレも見逃そうと思ったんだけどなぁ」
そう言って金の竪琴を抱えて座り込んで震えるエルフに一度目をやり、シアンはまた男達に向き直る。
その時にはもう、その表情から先程の笑顔は消え、苛立つ闘争心を滲ませた冷ややかな表情になっていた。
「―――どっちが先とかねんだよ。お前ら如きにこの娘はもったいないんだよっ!」
「がっ!?」
「ちょ、ま……っ!!!」
シアンは軽いステップで男達を地に沈めていく。
幼いエルフは震える事すら忘れ、目の前の光景を唖然と見つめていた。
◆◆◆
容赦のないシアンの攻撃に、やがて男の一人がとうとう音を上げた。
「ま、待てっ、もうやめてくれっ! 先に誘ってきたのはその子なんだ! そんななりで自分から路地裏に一人で駆け込んだんだ。だから俺達はっ……」
「アホめ。それは誘われた訳じゃない。もっと人を疑え。宿屋の前で雨にもめげず風にも負けずに一ヶ月程待ち伏せされてたら、それが誘われてるという事だ。自意識過剰なんだよっ!」
「アホはアンタだよ! ストーカー生み出す前に察してやれよ。もはや待ち伏せしてる方に同情するわっ、このニブちんが!!」
男達はシアンに打ちのめされ、最後には『覚えてやがれ!』などとベタな捨て台詞を残し走り去っていった。
シアンは三人の背中が消えるのを見届け、小さなため息を吐くと、振り返ってポカンと座り込むエルフの前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫か? えらい目にあったな。だけど君みたい可愛いエルフがこんな裏路地に入るのは、今みたいに勘違いする馬鹿共がいるからなるべく避けた方がいいぞ。勘違いが無いにしても、光のエルフはまだまだ稀少だから人攫いに遭いかねないしさ」
シアンがそう言いながらエルフを立たせる為に手を差し伸べると、エルフはハッと我に返りその手を取った。
「あ、ありがとうございます。ちょっと友人をからかったら、怒らせてしまって逃げてたんです……」
「あっはっは、そうだったのか。元気なこったな」
「あの、あなたの名前は?」
「オレはシアンって名乗ってる。ま、通りすがりの旅人だ」
「……」
―――ふと、キラキラと輝く目でシアンを見つめていたエルフの目から、スンと光が消えた。
そしてまるで獲物を狙う肉食獣のような目で、シアンを観察し始める。
「……シアン? 濃紺の髪に長身。青と銀のオッドアイ……。まさか大教皇ファーシルの孫にしてノルマン学園の英雄と言われる、あのシアン?」
「う、……うん。そうだけど?」
シアンの顔に緊張が走った。―――そう。シアンはやっと思い出したのだ。
シアンはこの手のアクシデントで、これまである意味痛い目にしか遭った事がない事に。
エルフは立ち上がったがシアンの手を握ったまま離さない。
いや、離さないどころかより一層強く両手で握りこみ、冷めた声でボソリと言う。
「うわ、噂通りかよ。引くわー」
「ちょっと君! 噂って何!? 聞こえてるよ! つか放して下さい。急いでますのでっ」
シアンは追い詰められたエルフの様な台詞を吐きながら掴まれた腕を離そうとブンブンと振ったが、エルフはぎゅうぎゅうと握り込み、その手を離さない。
そしてエルフは口の端を釣り上げた笑いを浮かべると、馴れ馴れしい口調でシアンに話し掛けてきた。
「へへ、有名な噂ですよ兄貴ぃ。―――“魔性のシアン”。弱きを助け、強きも助ける。その卓越したカリスマ性と人柄に、男女問わず堕ちぬ者はいない。さりとて誰一人シアンを陥落させた者は居ない、まさに悪魔の様な魅力を持つ男……」
「は? そんな噂は知らないし気持ち悪いんだけど。後“兄貴”って何? オレに兄弟姉妹はいないから。特に君みたいな娘は」
シアンはげんなりした顔でエルフを見るが、エルフはニヤリと笑いシアンに言った。
「何ゆってんすか、俺をこんなにも惚れ込ませといて! 兄貴! 子分にしてくださいす! ちょーカッコ良かったっす!」
「へ? お、俺?」
目を白黒させるシアンに、エルフはニッと笑って頷いた。
「あぁ、そうっすよ。たまに間違えられるんすけど俺は正真正銘の男っす。そして名はミカエル。ま、ミックって呼んでくださいっす! 兄貴!」
……繋がりました!




