初代教主フェリアローシア
だけどフェリアローシアはその杖先が顔面に沈む直前に、流れるような動きでそれを受け止め、マスターに言い放った。
「言っておきますが、フェリは授かった神威等では止められませんよ? フェリはアインス様を傷つけるつもりは無く、この心は今尚変わらずアインス様を奉じております。そしてダークエルフに堕ちる事に関しては、過去に事例があるのですから貴方にも関与する権利はありません。過去に神々が赦し見過ごしたという事なのですからね」
……おお。精神的に追い詰めたかと思いきや、そこから更に理詰めで攻めるのか。
俺は悔しげにフェリアローシアを睨むマスターを見下ろしながら、感心していた。
今まで特別優れた種族である事を自覚しつつ、あえて個性を見せず大人しくしてきていたハイエルフ達。だが、こうしてその気になれば、やはり最強種の一角なのだと思い知らされずにはいられない。
フェリアローシアはマスターが言葉を詰まらせているその隙に、更に笑顔でマスターの切り札を潰しにかかる。
「まぁ、それでもフェリからのアインス様のお願いに上書きして、賢者殿も『御聖葉をフェリにあげないで下さい』と願えば、アインス様はその身に幹を引き裂かれる程の苦悩を宿しつつも、賢者殿の願いを優先してくださるかもしれませんね。しかし神威を持つ世界樹の守人が、アインス様に苦悩を与えるようなお願いをするのですか? ふふ、まさかする筈ないですよね? 出来る筈ないですよね?」
「……っ」
―――あぁ、マスター。
君がもっと愚かで不真面目なら『余裕だわ。世界樹の一本や二本燃えてしまえww』と言って、俺を苦悩の渦に突き落とす事だって出来ただろうに……。
だがマスターはスッと杖を降ろすと、フェリアローシアに道を譲った。
そして悔しげに言い放つ。
「―――しかしそんな事が上手くいく筈ない、とだけ言っておきましょう。どれほど貴方が周りの者を口車に乗せようとしても、僕を消したくてうずうずしている魔物達は絶対に見向きはしない。……そうだ。それに愚かな人間達の間には、それが【邪教】であると噂を流しましょう。ふっ、可哀想に貴方の話を聞いた仔羊達は“邪教信者”とて魔女狩りに遭うでしょうね!」
フリアローシアはそれでもしっかりとした足取りで、前に進み出た。
「たとえどんな苦難が待ち受けようと、私は貴方を世界に認めさせます。必ず……。あ、それに賢者殿がどれほど妨害しようと、信者集めには勝算がありますから」
決意固くそう言ったフェリアローシアを、マスターは嘲るように笑った。
「何が勝算ですか。何をしたって無駄ですよ。まぁせいぜい苦しむと良いでしょう」
「そうさせて頂きます。アインス様、かつての約束通り、その御聖葉を一枚頂けますか?」
「勿論だよ」
俺は即答して、俺の葉の中でも一番綺麗な葉をフェリアローシアの前にゆり落とした。
フェリアローシアはそれを受け取り深くお辞儀をしてくれると、パクリと躊躇なくそれを口に咥えた。
その様子にふと俺はかつてゼロスがダークエルフに忠告していた事を思い出して、フェリアローシアにも同じ事を伝えた。
「それを飲みこめば、フェリアローシアはダークエルフになってしまう。そしてそうなれば日暮れまでにこの聖域を出ないと、拒絶の力が働いてしまうからね。すぐに外に向かうんだよ」
フェリアローシアは咥えた葉を一度口から離すと、笑顔で頷いた。
「はい、お気遣いありがとうございます。―――今迄有難うございました。そしてさようなら、アインス様」
「うん。例えもう逢うことは叶わなくても、ずっと見守っているよ。どうか君に祝福を」
そしてフェリアローシアは再び葉を口に入れた。
頬を膨らましてもぐもぐと口を動かすフェリアローシアを眺めながら、俺はふと気になって尋ねてみた。
「ねぇ、フェリアローシア。そう言えばさっき、“布教の為の勝算がある”って言ってたね。一体何をするつもりだい?」
するとフェリアローシアは、口元を手で覆いながら答えてくれた。
「あ、はい。賢者殿の素性を知る者にはこう言えばいいのです。“入信すれば、賢者殿が物凄く嫌がりますよ”と」
「……」
「……」
マスターがビシリと固まった……気がした。
だけどそれは確かに(マスターが)間違いなく嫌がるね。
だからそれは確かに(皆は)間違いなく入信したがるだろうね。
悪戯好きのデーモン達とか、絶対に狂乱しながら(面白がって)派手に祀り上げるんじゃないかな。
フェリアローシアは「ふふっ」と可愛らしく微笑みながら更に付け加えてくれる。
「そうして一度入信して貰えれば、あとは全てこちらの思う壺。経典を配布し、説教を行い、延々と賢者殿の偉業の数々や、微笑ましい失敗の数々を説教し続ければよいだけなのです。―――そうすれば、ある者はそれに感銘を受け、またある者はそれをネタに賢者殿を弄ることでしょうから」
……うわー、目に浮かぶ。
フェリアローシアから聞いたネタでマスターをからかう為だけに、リスクを恐れずダンジョンへ自爆チャレンジする悪魔達の姿が、ありありと目に浮かぶ。
そしてマスターもまた、同じことを想像したのか凄い剣幕でフェリアローシアを怒鳴った。
「フッ、フェリアローシアっ!! あなたは一体……」
「う"……」
しかしマスターが言葉を言い放つ前に、フェリアローシアは咀嚼していた葉っぱを呑み込み、小さな呻きと共に蹲った。
「グ……ウゥ……っ」
「!?」
蹲ったまま、何かに耐えるように眉間にシワを寄せるフェリアローシア。
そんな彼の小さな身体を、じわりと黒い呪いが蝕んだ。
マスターは怒鳴る事も忘れ、その様子に見入る。
「……これが……ダークエルフへ堕ちる転身……」
やがてフェリアローシアの白磁の肌が灰色に、空色の瞳が赤褐色に、プラチナのように輝く髪が漆黒へと染まった時、フェリアローシアは額に汗を浮かべたまま「ほぅ」と息を吐いた。
そして自身の震える手をじっと見つめて呟いた。
「―――……これがダークエルフ……。呪われたエルフ……」
しかしその目に絶望の色はない。―――寧ろ……。
「……これで……これで漸く外に行けるのですね! 実はずっと焦がれていました。己の役目を果たし、外に行く事を…あの方に会うことをっ! かつてフェリの祖先のダッフエンズラムは己の立場と役目のためにそれが出来なかった。しかし今は賢者殿がその役目を引き継いでくださった!」
ダークエルフとなったフェリアローシアは、勢いよく顔を上げるとマスターに言った。
「全ては賢者殿のお陰なのです。だからフェリは貴方のために何だって致します! これから先はもう、フェリは貴方を孤独にはさせませんっ! 必ず世界から認めさせてみせますから!」
そう言ったフェリアローシアの目は、希望と喜びにキラキラと輝いていた。
「おっと、こうしてはいられませんね。転身したからには日暮れまでに森の外に行かなければ。それではアインス様さようなら。そして賢者殿、このフェリは教主として精心してまいります! 御機嫌よう!」
フェリアローシアはまくしたてるようにそう言い切ると、俺達の返事を待たず、そして振り返ることなく森の外目指して駆け出したのだった。
マスターはあまりの出来事に放心していたが、ハッと我に返ると凄い勢いでフェリアローシアを追って駆け出した。
「ま、っ待て! この邪教主!! お前を世界に放ちはしないっ、この僕が必ずここで食い止めてみせるっっ!!」
マスターはそんな、どこかの勇者の仲間の賢者的なセリフを吐きながら、フェリアローシアを追いかけて森の中へと消えていった。
―――こうして、この世界に邪教の初代教主が解き放たれたのだった。
後にこの有能で信心深い教主は、地道な布教活動の末、人々の崇めるゼロス、魔物や魔族たちの崇めるレイス、アニマロイドやドワーフ達の崇める匿名女神に続く第四の宗教の一派として、世に広く認められていく事となる。
マスターはそんなフェリアローシアをことある毎に妨害し、その教えは“邪教である”と噂を流し続けたが、信者曰く「これこそが我らが主の与え賜いし試練」なのだそうだ。
まぁ、何が試練で何が慈悲なのかなんて、結局の所親側が決めることではないからね。
何れにせよ、それはまだ少し先の話。
◆
そして俺は未だ深い森の中で、かなりレベルの高い追いかけっこを繰り広げるフェリアローシアとマスターに意識を向けた。
「いつも追い掛けていた賢者殿が、フェリを追ってきてくださるなんて夢のようです! フェリは今、感動しています!」
「っ黙れ! この廃エルフ!!」
俺はそんな二人の様子を見ながらぽつり呟く。
「信者集めは捗りそうだなぁ。大抵噂は善行より悪行の方が広がりやすいからね。―――まぁ、……身から出たサビだね」




