積み木遊びと世界の理
イヴと一緒に甲板に走り出ると、突然の強い潮風に煽られて俺は足元をふらつかせた。
「おっと」
「大丈夫?」
俺のちょっとしたふらつきに、イヴは間髪入れず心配してくれる。
俺はふらついてしまった事を誤魔化すように、イヴに笑いかけた。
「うん、風強いね」
「ねー。あ、あっちがマストだよ。クロが先に昇って。また風に煽られて落ちそうになったら、私が掴まえてあげるから」
「あぁ、うん。ありがと」
……イヴの中での俺は、いつまで経っても世界最弱の病弱な存在だった。優しさは嬉しいけど、たまに悲しくなる事もある。
とはいえ、今ではマストから落ちるなんてことは無いにしろ、これまで暮らしてきた森の中ではかなり弱い部類の存在に違いはなかったんだけど……。
俺は小さな溜息を吐いてマストに歩み寄ると、その付け根に取り付いた。
そして隣を歩いてついてきてくれてたラーガに声を掛ける。
「ラーガは下で待ってて。ラーガを背負っていくことは流石にちょっと無理だから」
「きゅーん……」
ラーガが耳を伏せて悲しげな声を上げるが、どうしようもない。
だけどその潤んだ瞳に、どうしてもいたたまれなくなり、一度マストを放して膝を突き、その双頭の首を抱き締めた。
「ごめんねラーガ。すぐに戻ってくるから……良い子で待ってるんだよ」
「くーん、きゅんきゅんきゅん……」
「永遠の別れでもないんだから早く行ってよ、クロ」
「あ、うんすぐ行くよ。じゃあ待っててねラーガ」
「ウォン!」
イヴに背中を突かれ、俺は今度こそマストを昇り始めた。
だけど数段も昇らない内に近くにいたおじさんに呼び止められた。
「おい君達! そんな所に登ったら危ないぞ」
「危なくなんかないよ。だって私は……」
イヴはおじさんに抗議しようとしたが、おじさんはイヴの話なんか聞こうともせず、イヴを抱えあげてマスト台からひょいと下ろした。
「ほら坊っちゃん、君も降りな!」
「ちょっとおじさん! 私達なら大丈夫だよっ! 私強いんだからっ!」
「お嬢ちゃんくらいの年頃の子はみんなそう言うんだ。でもな、怪我してからじゃ遅いんだぞ」
「もーっ、だからぁ!!」
生まれて初めて自分の話に耳を貸そうとしない存在に、イヴは困惑気味に言い返していたが、どうも埒があきそうにない。
俺は一度マストから飛び降りると、おじさんとイヴの間に割って入った。
「待ってよおじさん。俺達ちゃんと父さんに登っていいって言って貰ってるよ。イヴと俺は父さんからちゃんと訓練を受けてるから、このくらいじゃ本当に平気なんだ。何なら父さんに聞いてみてよ」
「……シアンさんが?」
おじさんがやっと俺達の目を見た。
「うん。確認したいなら父さんは部屋にいるから行ってきて。だから俺達はもう行っていい?」
「あぁ、……まぁシアンさんがいいって言ってんなら大丈夫か」
おじさんはそう言うと、頭を掻きながら去っていった。
「ほら、もう大丈夫。イヴ行こ」
おじさんが去ったあと、俺は後ろにいたイヴに声を掛けたのだが、イヴは頬を膨らました仏頂面になっていた。
「どうしたの? イヴ」
「私が大丈夫って言ったのに、なんでおじさん言う事聞いてくれないの? 私シアンより強いのに……」
なる程。
イヴはこう見えて、かなりの物質主義だ。
無茶振りやゴリ押しなんかをよくしてくるが、それは決して根性論でも精神論でもない。イヴの持つ自分のキャパシティー範囲内のものを、他人に求めているだけなんだ。
だから、事実父さんより強いイヴの意見が通らず、父さんの名を出した途端引き下がったおじさんの対応が気に入らないんだろう。
「仕方ないよ。あのおじさんはイヴが強いってこと知らなかったんだもん。―――イヴだってあのおじさんのこと知らないでしょ? もしかしたら海竜より強いかもしれないし、俺より弱いかもしれない。意地悪な人かもしれないし、父さんより優しい人かもしれない」
「う"……。でも多分意地悪だよ……」
「意地悪な人がわざわざ危ないよって止めに来る?」
「……うーん。分からないよ。また後で考えとく」
イヴの答えに俺は笑いながら、またマストに手を掛け昇り始めた。
だって多分いくら考えたってわからない。
実際仲良くなってみて初めて分かる事なんだから。
だけど精神論や根性論を語らないイヴにはそれは少しハードルが高いだろう。
だから俺は無理にイヴに勧めない。
俺がイヴのことをちゃんと分かってるから、イヴに困った事があればその都度助けてあげればいい。―――ずっと一緒にいればいい。そう思った。
◆
俺達がマストの上に設置された、カップの様な展望台によじ登ると、遠くの方で海竜達が首を持ち上げ、まるで俺達に挨拶でもしてくれているかのように潮を吹いていた。
俺達もそんな海竜達に手を振り返しながら暫く周りの景色を眺めていたが、ふとイヴが遠のいていくジャックグラウンドの大地を振り返りながら、ポツリと言った。
「ねぇクロ。なんだか怖くない?」
「ん? 俺はともかく、イヴに怖いものなんてあるの?」
「ない……と思ってた。だけどね、何だかジャックグラウンドを離れてから胸の中がザワザワして帰りたくなるの」
「なんで? この前イヴが言ってたじゃない。“一緒に故郷を広げに行こう”って。離れることは怖い事じゃないって」
俺が首を傾げながら言うと、いつも強気なイヴが本当に心細そうな顔で俺を見つめてきた。
「離れるのは怖くないよ? また会った時に仲良くできるって分かってるし、会えなかったとしても楽しかった思い出がある。……でもね、新しく会うのが怖いの。これから会う人みんな、私を知らないんだって思ったら怖いよ。さっきみたいな時シアンやクロが居なかったら、きっと私の言う事なんて誰も聞いてくれないよ……」
俺はその訴えに、あぁと納得した。
「そっか、イヴは結構人見知りだもんね。でも大丈夫だよ。俺が居なくなる事なんてないもん。だからイヴは絶対一人ぼっちにはならない。もし大人の父さんが年とりすぎて先に死んじゃっても、その時だって俺はまだ生きてるから大丈夫だし」
「シアン死ぬの!?」
「年をとったら誰だって死ぬよ」
「……なんか泣きそうになってきた」
そう言って本当に目を潤ませるイヴ。……相変わらず想像力が豊かだ。
俺は展望台の縁に頬杖を突きながら、とうとう泣き出したイヴが泣き止むまで、暫く何も言わず眺めていた。
そしてようやくイヴが気分を持ち直した頃、俺はさっきから気になっていた事を思い切ってイヴに相談してみた。
「ねぇイヴ。それよりさ、薬局のおじさん……レイルさんの事覚えてる?」
「ん? うん、覚えてるよ。昔遊んであげたよね。友達作るのが下手だったけど、ちゃんと友達出来たのかな? しばらく会ってないから心配だね」
「……うん、そうだね」
遊んでもらったじゃなくて、遊んであげた、なんだ……。
「……それでさ、そのレイルさんと遊んだ時やマリーと話した時、眠くならない不思議な空間を作ってくれたでしょ?」
「あ、覚えてるよ! クロの誕生日に遊んだシャボン玉ハウスでしょ」
「そうそれ! ―――なんかさ、ジャックグラウンドを出た瞬間、あそこまでじゃないんだけど、あれに似た場所に踏み込んだように感じたんだ。イヴはどう?」
「私は別に何も感じないけど……ちょっと見てみよっか」
「見るって?」
俺が頬杖から顔を上げた時、イヴが肩掛け鞄をゴソゴソと漁り、中から魔石で出来た青いペンのような物を取り出した。
そしてそのペンを空中でサラサラと滑らせると、その軌跡が光る文字となって空中に浮かんだ。
イヴは魔法の文字をサラサラと書きながら、俺に説明をしてくれる。
「ガラムおじさんが言ってたんだよ。この世界の全部は神様の肉から出来たんだって。―――じゃあ、全部同じ物なのにどうして物質に質量の違いがあるのか?」
ガラムおじさんは創世神話について、とても詳しい人だった。
そんなおじさんから指導を受けていたイヴもまた、それについて詳しいのも、まぁ納得できる。
「神様達はちぎり取った肉に、それを形作る指令を書き込んだの。それが【神の文字】によって書き込まれた【神の決定】……“真理”とか、“世界の理”とも言われてるんだよね。そして一度書き込まれた神の決定は、神様の手によってしか書き換えが出来ないの。だけど神様達は慈悲として、そのコードに空欄を残してくれた。それが所謂【魔法】の原点になった」
「空欄……?」
話についていけず俺が思わず口を挟むと、イヴはまた説明をしてくれた。
「うーん……積み木みたいな感じ? 積み木って片付けられてると四角い箱の中にきっちり収まってるでしょ? それが元々神様の創った物質や世界の形だよ。とはいえ、積み木のブロックは箱から一つ一つ取り出して、積み上げて色んな形を作れるよね? その分解出来る各ブロックの断面が、不変的【神の決定】に於ける、変動のゆとり的空欄って事なの。そして箱から出したブロックが上手く積めれば私達の思い通り“お家”にも“橋”にもなる様に、その物質や世界の形を本来とは違う形に変える事ができる。その事象が【魔法】なんだよ。―――とはいえ、丸いブロックは四角にならないし、三角のブロックも丸には出来ないよね。それは神の決定の中でも不動の真理。だからそれは変えちゃ駄目なの。もし無理やりブロックを削ったりして形を変えようとしたら、もう箱にはきっちり収まらない。つまりそれは世界が壊れるって事がになるんだよ」
俺はイヴのそんな片手間の説明を聞きながら、ポツリと尋ねてみる。
「ふーん。……イヴってそんな事考えながら、積み木で遊んでたの?」
「うん、そうだよ。クロは何考えてたの?」
……何って。
「―――……いや、何にも考えてなかった気がする。忘れちゃった」
「もー、クロは相変わらずうっかりだね」
「うん、ごめん」
……俺は改めて、自分の出来の悪さを噛み締めたのだった。
そして間もなく、魔法の文字を書き上げたイヴが声を上げた。
「よっし出来た!」
「それは?」
「クーちゃんの感知魔法を参考に、私が前に作った【解析】の魔法だよ。世界に書き込まれた神の決定やマナを動かす魔法のコードを見る事が出来るの」
「へぇ」
俺が頷くと同時に、イヴはその魔法を発動させた。
「【解析―――範囲:世界】」




