懐かしい違和感
先に乗船していた者達から歓迎されつつ、シアン一行が船に乗り込むと、クロの肩からぴちょんと小さな音を鳴らしウェルジェスが首を持ち上げた。
「クキュウッ」
ウェルジェスが海に向かって、そう弾むような鳴き声を上げたかと思うと、突然海面が盛り上がり始め船が大きく揺れ始める。
乗船者達は船の揺れによろめきつつも、期待に目を輝かせて、盛り上がる海を見つめる。
そして大きな船が盛り上がった水の柱の影にすっかり包まれた頃、水の柱が弾け、その水飛沫の中に人々の歓声と巨大な海獣達の低い雄叫びが響き渡った。
「クォォオォォォ―――ッッン!!!」
「出たああァァ!!!」
「デケェー!!」
海竜。それはこの海原を誰よりも早く泳ぐ海の王者。
長い首に矢の切っ先の様に尖った頭をして、繪のように平たく分厚いゴムの様な撓る肢体を持った、全長150メートルを超える巨大な竜。
今持ち上げられた首だけでも30メートルを超える、圧巻の巨体であった。
シアンが豪雨のように降り注ぐ冷たい海水を被りながら、冷めた声で呟く。
「アイツら、この浅瀬にどうやって入ってきたんだ……?」
するとシアンの隣にいた歓喜する乗員の一人が親切に教えてくれた。
「なんだよシアン、今更か? あの五体の海竜達、一月前からそりゃもう一生懸命海底を掘ってたんだぞ。始めは皆、何かの天変地異の前触れかと思ってたんだが、その直後に“シアンがジャックグラウンドを離れる事にした”って噂が流れるじゃないか。……そこで俺達は悟ったね。あの海竜達は、シアンを迎えに来たんだって!」
「いや、オレじゃないよ。オレなんかで海竜の長老達が動くわけ無いじゃん」
「またまたぁー、謙遜して! っていうかあれ、海竜の長たちなのか!? スゲぇ!!」
「……ってかお前誰?」
「なんだよ覚えてないのかよ。テイマー資格試験の時、お前の斜め後ろの席だったキアラだよ」
「……あー……あの時。すまんな、あの時結構必死だったから。うん。改めてよろしく」
そしてシアンとキアラが仲良く世間話を始めた頃、クロの肩からウェルジェスが飛び出し降り注ぐ海水の中を優雅に泳ぐと、5体の中でもとりわけ体格の大きい一体の前に止まった。
「キュー、クルルルルルル」
「クオオォォォォォン」
ウェルジェスが海竜の前で喉を鳴らせば、海竜もまた頷くようにそれに答える。
そんな海竜達にウェルジェスは満足げにまた喉を鳴らして宙返りをすると、空中を泳いでクロ達の所に戻ってきた。
「クキュウー」
ウェルジェスが甘えた声を上げながらクロに擦り寄ると、クロは嬉しそうにその背を撫でた。
「テン、海竜達と友達になってきたの?」
「クー! クルルルル」
「え? 俺達の準備が出来たら、出発の合図を出して
いいの? 俺が?」
「キュッ」
クロは契約紋を通じてウェルジェスと会話をする。
俺にはウェルジェスや海竜達の言葉は分からないのだけど……―――まぁ、大体は察せた。
そしてウェルジェスとクロが話す中、イヴもまた首を傾げて話に加わる。
「どうしたのクロ」
「うん、海竜達が俺とイヴに出発の号令出して欲しいんだってさ」
「いいの!? 私やりたい!」
「うーん、だけど先に他の人達も乗ってたし、俺達でいいのかな?」
眉を寄せて悩むクロだったが、その頭に大きな手がぽんと降ってきた。
クロは思わず上を見上げる。
「……父さん?」
「いいんだよ。こういうのは子供の特権だ。―――なぁ、みんな! 誰かこの子等を差し置いて号令出したいやついるか!?」
クロの頭に手を置いたまま、シアンが周りの乗組員達に声を張り上げた。
辺りは一瞬にして静まり返ったが、暫くしてから引き攣った笑い声が上がり出す。
「はは、……そんな訳ないよ? 一ヶ月前から待ってたけどあんた等を迎えに来た海竜だし?」
「うんうんそうそう、大人はこういう時我慢スルモンダシ!」
獣好きの大人達は不満を零すことなく、歯を噛み締めて震えながらその大役を子供達に譲った。
そしてシアンはまたクロとイヴに笑いかける。
「そういう事だ。イヴとクロがもっと大きくなった時は、あの人達みたいに自分より小さい子達に優しくしてあげるんだぞー」
「うん、分かった」
「私はもう優しいよ」
「そうだなー。二人とも本当に優しい子に育ったなー」
そう言ってシアンに頭をくちゃくちゃになるまで撫で回された二人は、声を揃えて遥か上空まで首をもたげる海竜達に叫んだ。
「「出発!!!」」
「ゴアァアァァァ―――っっ!!!」
二人の声に応えるように、海竜は一際高く咆哮を上げその首を海中に沈めた。
そしてそれにより起こった船が大きく揺れるほどの高波とともに、大きな船はゆっくりと動き出したのであった。
◆
《クロ視点》
船が動き出して暫く皆と海を眺めた後、俺達はこれから寝泊まりすることになる船室に向かった。
そして船室に着いて扉を閉めるやいなや、父さんはポツリと言った。
「出てきていいぞ、ロゼ」
「ふぅーっ!」
途端、父さんのポシェットからロゼが勢いよく飛び出した。
そしてパタパタと父さんの周りを飛び回りながら、それは得意げに喋りだす。
「ね? ね? ちゃんと見つからずにいれたでしょ? だから出来るって言ったんだよっ! 僕だって大人しくしてるくらい出来るんだからねっ」
「うんうん、完璧だったよ。流石ロゼだな。勿論信じてたよ」
そう言ってご褒美とばかりにドライフルーツクッキーをロゼに手渡す父さん。
ロゼはクッキーを受け取ると船室のコート掛けに腰掛け、胸を張ってそれを食べ始めた。
父さんの話によると元来妖精や精霊とは、あまり人前に姿を現すことのない珍しい種族なんだそうだ。
父さんや俺達は、精霊王様と仲がいいから全然珍しくは無いんだけど、他の人達に見つかったら“珍しいから”って連れ去られてしまうかも知れないんだそうだ。
とはいえ、ロゼには転移アイテムである【魔法のポシェット】があるし、精霊王様の愛し子だからすぐさま救出して貰えるとは思う。
―――ただ、ロゼにそんな怖い目にあって欲しくない。そして、そんな短慮で思いやりに欠ける人もいるのだと言う事を、ロゼに見せたくないんだそうだ。
まぁ、俺だってロゼに悲しい目にはあって欲しくないから、余計な事件に巻き込まれない為の対策は賛成だった。
俺が幸せそうにクッキーを食べるロゼを眺めていると、隣からイヴの弾む声が上がった。
「シアン見て! ベッドが床にくっついてるよ! 机も椅子も全部くっついてるっ! 面白いねぇ」
「あぁ、船の揺れで滑らないように、船室の家具は全部打ち付けられてるんだ」
と、父さん。……そんなの俺も知ってたし。
「へぇー、そうなんだ。ねぇクロ、また船の甲板に行こうよ! シアン、マストに昇っていい? いいでしょ?」
「いいぞ。オレはロゼともう少しここに居るから、もし何か周りの人に言われたら、オレがいいと言ったって言うんだぞ」
「はーい。じゃあ行こうクロ」
イヴはそう言って俺の手を牽いた。
俺は一度も頷いてないんだけど……まぁいいか。イヴだし。
イヴに手を牽かれてまた扉の前まで来た時、ふと思い出した様に父さんが声を掛けてきた。
「そうだクロ、薬のんだか?」
「まだ。だけど持ってる。すぐ飲むから平気だよ」
俺がそう言って鞄から一本の薬瓶を取り出してみせると、父さんはホッとしたように頷いた。
「そっか、忘れるなよ」
「うん」
薬瓶を鞄にしまい直して、俺かまた足を踏み出そうとしたその時、ふと先程から感じていた小さな違和感が、突然カチリと音を立ててハマった。
それはあの石垣の関所を抜けた瞬間……何だか周りの空気が変わったと思ったんだ。―――なんというか【マナ】の質が少し変わったと言うか……。
初めは父さんから聞いた【神様の結界】のせいかとも思ったけど、よくよく考えれば前にルドルフと外と出た時は感じなかった。
ならなんだろう? ―――だけど知らない感覚でもない。
昔、ここと似た様な場所に行った事がある様な……何処だっけ?
―――そんな風に、俺はずっと考えてたんだ。
だけど今やっと思い出した。
俺は踏み出そうとしていた足を止めて振り向くと、父さんに聞いた。
「そう言えば父さん“薬局のおじさん”の名前って俺知らない。なんて言うの?」
「何だ突然。……ってかお前、まだあいつの事覚えてたのか」
「うん、忘れるわけないよ。昔よく遊んでもらったし、今だって俺の薬作ってくれてるんでしょ?」
「まぁ……そうだな。うん。それで?」
目を泳がせながら何故かはぐらかそうとする父さんに、俺は口を尖らせて言った。
「名前だよ、な・ま・え!」
「あー……っと、えっと……なんだっけ? シ、シラナイヒト……じゃなくて……えー……レイ……ル」
父さんはしどろもどろに小さな声でそう言った。
「レイルさん?」
「ウン、ソウデス……」
「ふーん」
「そ、それだけ?」
「うん」
俺は頷くと、踵を返して俺を待ってくれていたイヴに声をかけた。
「お待たせイヴ。行こう」
「うん! 早く行こう」
そして俺はいつもの様にイヴの隣に並んで駆け出し、甲板目指して階段を昇ったのだった。
次話もクロ視点が続きます。




