テイマー協会の会長
ノックに案内され、石垣の関所を抜ければ、冬でも枯れることのないハーティーの草がそよぐ、なだらかな平原が見えた。
そしてその平原は唐突に終わり、断崖絶壁の遥か下にから、穏やかに揺蕩う海が広がっていた。
そしてその断崖に横付けされているのは、5百名は乗船出来そうなほどに大きな帆船。
その景色に、イヴが喜色を浮かべた顔で駆け出し、クロがその後を追う。
「すっごい! 本で読んだのより凄いっ大きいぃー!」
そんな子供達を見ながらゆっくりと歩くシアンは、隣を歩くノックに言った。
「……大きすぎないか? これ、テイマー協会の保有する中で一番デカイ船だろ」
「いやぁ、だって海竜5匹との船旅ですよ。末代までの語種に出来まさぁ。ま、これでも便乗者を絞ったくらいなんですから勘弁してやってくだせぇ」
ヒヒヒと笑うノックに、シアンは顔を引つらせながら尋ねる。
「まさかノックまで便乗するとか言わねーよな?」
「ええそのまさか……と、言いたいところですがね。あっしはこの関所の守りをしねぇといけないですから、見送るだけにさせて頂きやすよ」
そう言ってまたヒヒッと歯を見せて笑うノックに、シアンは参ったと言うように手を上げて笑った。
「はは、流石テイマー協会の会長だな。あれを前に舞い上がらない責任感の強さには脱帽だ」
「なんの、まだ見習いみたいなもんでさぁ。先任のクルファ会長がシアン教授と遊びたいからって押し付けられただけの、ただのマスコットですな」
シアンは思いを馳せるように遠くに目をやり、そのまま遠い目でノックに報告した。
「あの爺さんな……爺さんも大分クロを可愛がってたよ。最終的にはオレを無視してクロクロって、クロばっか追っかけ回してたぞ」
「……あのジジィ……」
ノックの額に小さな青筋が浮かんだ。
そして呆れたように一度頭を振ると、シアンを見上げて眉を寄せながら言った。
「シアン教授……今からでもアンタが会長になりやせんか? クルファ前会長だって、シアン教授を勧誘する為にわざわざ引退してアンタの【ハウス】に行ったんです。 ―――……だいたい現役のクルファ会長ですら正解率5割しか取れなかった難関のテイマー試験を片手間に満点出しておいてノルマンに居座るなんて、こっちのメンツ丸潰れなんですよ」
ノックのボヤキに似たその言葉には、小さな小さな棘があった。
本来なら笑って見過ごす程度の小さな棘だが、シアンは笑いながらそれを叩き潰した。
「オレはノルマンから動く気はないって。これは前にクルファじいさんにも言ったんだけどさ、……―――オレとあの子等に余計な圧力でもかけてみろよ。潰すからな」
シアンの一言にノックの肩がビクリと跳ねあがる。
テイマー協会その物を潰す。実際それは、獣王を従魔とするシアンにとって造作もないことであった。
「脅しじゃないぞ。お前やじいさんが何より協会を大事にしてる事は知ってる。その為にオレを引き抜きがってるんだろ。―――だがな、オレが何より大事にしてんのはあの子等だ。今のオレは、イヴとクロの為だけにここに居る。他の何を犠牲にしても、あの子等だけは幸せにしなきゃなんねぇと思ってる。そんで、その犠牲の中にはお前らのメンツってヤツや、組織そのものも含まれてるんだよ」
「……っ」
そう言ったシアンからは、普段の彼からは想像もつかないほどの冷たい敵意が溢れ出していた。
シアンから放たれる重圧にノックは全身を震わせ、とうとう歩みすら止めてしまった。
そして俯いたまま、震える声でシアンに言う。
「す、スイヤセン。そんな気は無いんで……聞き流してやってくだせぇ」
シアンの敵意にあてられすっかり萎れきってしまったノックに、シアンは直ぐにまたいつもの笑顔を浮かべると、軽い口調でフォローを入れた。
「なんだよ、そんなビビった顔するなって。まぁ、あの子等の幸せったって、別にそんな高望みしてるわけじゃない。普通でいいんだよ。そしてそれを最優先させた中でなら、オレだってお前らにできる限り手は貸してやりたいと思ってる。ノルマンからテイマー協会への、ほぼ共有的情報提供システムだって作ったし、冒険者ギルドを通じてのオレ指名の調査依頼だってちゃんとこなしてるだろ? ……オレなりに結構頑張ってはいるんだって」
自身の功績を得意気に挙げ、最後にポツリと弱音を吐いたシアンに、ノックはホッとしたように顔を上げて頷いた。
「えぇ、報告は聞いてやすよ。ノルマンでの仕事も自由枠のくせに人の二十倍はこなし、テイマー協会からの無茶振り高ランク依頼も、成功率も100%とかいうあり得ない数字を出してきてるって。―――ってか、何で全部やろうとするんですかぃ? バケモンの領域なんですが」
自分で改めて口にしたシアンの実績に、ノックはふと変人でも見るような視線をシアンに向けて言った。
シアンはジトリとそんなノックを睨み返し、口を尖らせて文句を言う。
「って、お前らが依頼してくるからだろっ。ホントに何であの量をオレ一人に回してきたんだ? 挫折を覚えさせたかったのか? 生憎だがオレは、マゾヒストではないぞ」
しかしシアンはMである。
ノックはヒヒッと笑いながら、納得したように頷いた。
「―――確かにそうでさね。超人だからって頼りすぎてやした。今後依頼の数は減らしやすよ。……多分嫉妬してたんでさぁ。アンタは頭も良くて顔も良くて、嫌味なく優しくて誰からも頼られ、獣にも好かれる。それに比べあっしはこんな姿のせいで人間にゃ相手されず、獣の知識が豊富だからって祭り上げられただけの、アンタを勧誘する間の繋ぎ役の醜男なんですからぁ。ま、気にしないでくだせ」
「……」
ノックは笑いながらそう言って、また歩き出した。
シアンもまた足速に歩きノックに追いつくと、そんなノックの背中をパシンと叩いて言った。
「お前の方こそ気にすんな。飾りにせよ何にせよ、ノックには任されるだけの実力があったってことは間違いはないさ。それによ、クロも言ってたが、お前って獣達にはかなり人気あるんだぜ?」
「ヒヒ、慰めですかい? 確かに敵意を向けられる事は少ないですが、あいつらだって遠巻きにしかあっしに近付いてこねぇ。……まぁ、嘘でも嬉しいですよ。獣は喋りませんから真意の確認のしようがねぇですし」
そう言って笑うノックに、シアンはまたピタリと足を止め、真剣な顔で言った。
「嘘じゃないって。お前も知ってるだろ? ルドルフは獣の言葉が分かるんだ」
ノックも足を止め、シアンを振り返る。
「あ、」
「そのルドルフが前にノックの話をしてきたんだ。獣達がお前の事を『ブサかわいい』って言って噂してるんだと。ついでに『笑った顔がキモかわいい』『ちょっと遊んでみたいが、口臭がヤバ過ぎて近づけない』……だとさ。内容が際どいから言わずにいたけどな」
その9割方ディスっている褒め言葉の様なものに、ノックは目を丸くした。
「……それ、本当ですかぃ?」
「本当だぞ。だからそんな卑屈になるなよ“キモカワマスコット”」
やはり9割方ディスっているシアンのその励ましの様なものに、ノックは声を立てて笑った。
「これはいいことを聞いた。なら久しぶりに歯磨きしてみやしょうか」
「久しぶりかよっ、そりゃ獣も嫌がるっつーの。あと歯磨きならカシカリの小枝がオススメだぞ。イヴとクロもそれで歯磨きさせてた」
「ヒヒ、ありがてえ。早速カシカリの木を森で探さなきゃなんねぇな。……しかし相変わらずシアン教授は妙なお方だ」
「ん?」
ポツリと付け加えられたノックの言葉に、シアンが首を傾げる。
そんなシアンをノックはまっすぐと見ながら、ため息混じりに言った。
「こんな醜男なんてタラし込んでも良いことなんてねーですのに……本当に理解に苦しみまさぁ」
「っタラし込んでねぇっつの。そのお前の思考の方が理解に苦しむわっ」
顔を歪め睨むシアンに、ノックは可笑しそうにまたヒヒッと笑った。
その時、イヴとクロがシアンを呼ぶ声が響いた。
「父さんー! 早くー!」
「シアン見て! 大きな船! 先に乗ってる人が手を振ってくれたよっ! 早く私達も行こうよ!」
「おぅ!」
シアンは二人に答えて駆出そうとしたが、その背をノックが呼び止めた。
「シアン教授」
「ん?」
「何かあったらまた声掛けてくだせぇ。それからこの先、もしクロ君がテイマー協会に入るって言ったら、止めねーでくだせぇよ」
「うーん、断言は出来んな。何にせよ、オレを認めさせるくらいのホワイトな組織じゃ無いと所属はないと思っとけ」
「親馬鹿か……。もういいです。乗船者は教授達で最後です。橋はあっしが回収しておきますので、海竜達に出航の合図を出してやって下せぇや。―――では、よい船旅を」
シアンはピッと指を切りノックに返礼の合図を送ると、イヴとクロに向かって走り出した。
―――このノックだが、後に一体のドラゴンとの契約を成功させる。
そしてそれは、伝説の戦争の中の英雄達の様であると噂され、【不吉な聖獣】と契約したシアン以上の快挙であると、ノルマン関係者を除く者達から称賛された。
ノックはドラゴンを相棒に様々な功績を挙げ、世間的には歴代最高のテイマーとして名を残した。
だがノックはそんな世間の賞賛に流されることなく、いつも“あっしは最高なんかじゃねぇ”と言い張り、静かにその生涯を獣に寄り添わせたのだが、それはまだもう少し先の話。
メモ
クルファじいさん
テイマー協会 前会長
※クロを溺愛中。
ノック
テイマー協会 会長
※かつてシアンを無自覚にいびり倒した。




