思い出セール㊤
イヴの風邪は、その日の夜に念の為にと女医さんに回診に来てもらったのだが、特にこじらせることもなく3日程で全快した。
そして元気になった家族がまず始めた事と言えば、荷造りだった。とはいえ、大荷物を収納するのでは無い。
ジャック・グラウンドには持ち出せる荷物の重量と体積は厳密に決まっており、異次元ポケット的存在の【荷物袋】の使用は許可されていなかった。
「その理由の一つとして、密猟や乱獲を防ぐ為というものがある。大容量の荷物袋があれば、様々な物品の持ち出しが可能になってしまう。獣を傷つけないにしろ、このジャック・グラウンドには希少な植物なんかも沢山あるからな。荷物袋を持ってジャック・グラウンドを抜けようとした者は、神の施した呪いを受けると言われている」
朝食の後に始まったシアンの説明に、クロが首を傾げながら尋ねた。
「どんな呪い?」
「さぁ? 死ぬんじゃないかな」
「ふーん。神様の呪いって安直で容赦ないね」
「まぁ……そうだな」
クロの感想に、シアンは深く頷いてチラリとイヴに視線を送ったが、イヴは気付かず、ココアに息を吹きかけながらクロに疑問を投げかける。
「密猟や乱獲防止のためって言うなら、ここで会ったキールやラーガ、あとあの卵は連れていけるの?」
「キールやラーガは従魔契約してるから大丈夫だけど……卵はどうだろう?」
「―――あの卵、エルちゃん達に貰ってから3年立っても生まれてないんだよね? 腐ってもるかも……ちょっと割ってみる?」
「「それは待ってっ!」」
イヴの提案に、シアンとクロの声が被った。
そして各々に言い出したら聞かないイヴを止めようと、懸命に言い募る。
「卵はまだ生きてると思うよ! たまに何か生命の躍動的なものを感じるような気がするような気もするし!」
「そうそう! 多分なかなか生まれない種族なんじゃないかな!! そうに違いない!」
「そう?」
「うん。それに外界への卵の持ち出しは基本禁じられているが、一つだけ例外がある。その卵が子育てが必要な種で、親が不在の場合だ。孵化とその後の保護が目的で、孵化した雛が自我を確立した際、雛が望めばこの大地に還す事を誓約すれば、一人一個迄卵を持ち出しできる。……まぁ、その過程で雛を過失致死させた場合、保護者は呪いを受けるというリスクがあるから、やる奴はまずいないけどな」
「じゃあ私とシアンとクロで3個は持っていけるね。あと2個はどうしよう?」
「……最後のリスク聞いてたか?」
呪いを恐れないイヴの潔さに、シアンは思わず突っ込んだ。
だけどシアンは直ぐに肩を竦め、視線を逸らせながら強張った声でポツリと付け加えた。
「……それに……オレの勘が正しければ、卵は今晩中にでも孵ると思うんだ……」
「?」
「父さんって、たまによく分からないこと言うよね」
「……」
8歳ともなれば、なかなかに鋭いコメントをくれてくる。
シアンは一瞬沈黙した後、何事も無かったかのようにまた話題を本筋に戻した。
「ま、卵は気にしなくて良い。それよか荷造りの話だ。イヴとクロが私物で持ち出せるのは、この袋に入るだけだと思ってくれ」
そう言って、シアンが取り出したのは縦横幅が40×60センチほどの布製の肩掛けかばん。
二人はそれを受け取り、暫し開いて容量などを確認していたが、ふとクロが顔をしかめた。
「……結構小さいね。旅って言うからには服や寝具、食器に調理器具なんかも要るでしょ?」
「まぁな。ただ寝具や食器、調理器具なんかはなくてもいけるように計画してるからいい。この大陸の結界さえ潜ってしまえば必需品は外でも揃えられるからな。最低限の着替えと、後どうしても手放したくない物だけを詰めとけ」
クロはそれを聞いてじっとまた袋を見つめた。
「……禊の鈴は? 袋に入らないけど持っていっていいの?」
「金属製の武器は一点のみに限り手に持つことが可能だ。逆に言えば、それ以外の武器や加工金属の所持は認められていないけどな。―――オレの場合【ミスリルの短刀】がそれにあたる。この大陸に来た時に申請ちゃんと出してるからな。クロの錫杖に関しては、アズーがちゃんと手続きをしてくれてたから問題ない」
「そうなんだ」
クロはホッとしたように頷いた。
そう。シアン達の生活水準があまりに高いので忘れがちだが、この大陸は一切の文明を排除した状態を維持しなくてはならない。
シアンの持つ調理器具などの全ては、木を彫りだした物や、自分達で焼いた土器鍋、それに石包丁等なのである。
そしてそれらは彼らがこの大陸を去る時に、砕いて土に還す事になっている。シアン達がここで生きてきた痕跡を、消してしまわないといけないのである。
「泣いても笑っても、その袋に入るだけしか持ち出せない。ま、夕方までに決めて纏めとくようにな」
シアンのその一言にイヴとクロはコクリと頷き、各自袋を手に解散したのだった。
◆◆◆
「―――って、ちょっとイヴ! どう見てもそんなに入らないでしょ!?」
「じゃあロゼが持つの手伝ってよ。これ全部いるんだから」
部屋中に玩具やら絵本やら、あとは拾った小石や獣の骨や、木の実なんかをぶちまけたイヴが、ロゼに抗議の声を上げた。
イヴの無茶な逆ギレに、ロゼは後ずさりながらポツポツとまた言い募る。
「僕が持てる筈ないでしょ。それに、それはせめてクワトロに言ってよ。……って言うか、この絵本なんか、赤ちゃんの時に読んでた本でしょ? 後この石ころとか……寧ろ何で要るの?」
「うさぎのピッピの絵本は、クロが好きだった絵本だから捨てちゃだめだよ。この石はね、ほらここに小さな青色が混じってるから珍しいの! 後でクロにあげようと思ってた特別な石なの」
「……自分が要るわけじゃないんだ。―――てゆーか、クワトロはこれ要るの?」
ロゼは白けた目でイヴをじっと見つめた後、振り返ってクロに言った。
クロはイヴの持つ幼児向けの絵本と、なんの変哲も無い小石をじっと見つめ、ポツリと言った。
「……要る」
「ホントに!? イヴに気を遣わなくていいからね!? 要らないなら要らないって言いなよ!?」
「ほらねぇー! クロの事はロゼより私の方がよく分かってるんだから!」
クロのたった2文字の返答に、ロゼは口を尖らせぺしぺしとクロの頭を叩き、イヴはドヤ顔でガッツポーズを決めた。
そしてクロはイヴから絵本を受け取ると、パラパラとそれを流し読み、笑いながらストーリーを語った。
「懐かしいね。この本、俺好きだった。うさぎのピッピが狐のキキと仲良くなるんだよね。だけどある冬、雪の洞窟の中で二人で仲良く過ごしていたら、夜にキキが眠るように死んじゃうんだ。ピッピは訳が分からなくて、泣きながら物知りフクロウに聞きに行った。―――そしたら、キキはお腹が空きすぎて死んじゃったんだと言われた。ピッピはキキを埋め、そのお墓にレタスと人参を植えて大切に育てた。……そしてピッピは、大きくなったレタスと人参を食べることなく、お祈りをした」
「不思議な話だよね。なんでピッピは人参とレタスを食べなかったんだろ? 嫌いだったのかな?」
「んーん、多分……大好物だったんだと思うよ。大好きすぎて食べれなかったんだ」
クロはそう言って絵本を閉じると、顔を上げてイヴに言った。
「だけどこの本は置いていこう」




