次の冬までに
「え……」
ガラムの一言にクロの表情は曇った。
「心配ない。そのブレスレットを着ければ、魔法はオート発動される。ブレスレットには着けたものの身体から、半径2 メートルと1メートルそして体表3センチ圏にセンサーが発生し、そのセンサーに“体部損壊レベル3”程度の圧がかかったのと同時に魔法を展開させる仕組みになっている」
「……体部損壊レベル3?」
「あぁ、レベル2迄は致死に至らぬ、自己再生可能レベルの損傷。レベル3は致死に至らぬ、自己再生不可能レベル……いわゆる部位欠損の損傷。レベル4は致命傷レベルで、レベル5が即死だ」
「へぇ……そんなレベルがあるんだ」
初めて聞くレベル設定にクロの顔が引き攣る。
「それからオート発動を待たなくとも、ブレスレットに自分のマナを込めれば自分の意思で展開しておくことも可能だ。そして、まぁないと思うが、護りの魔法が要らないならブレスレットを外せばいい」
ガラムの説明に、クロはコクコクと言葉もなく頷いた。
そしてあらかたの説明が終わったとき、またガラムは沈黙する。……だがその沈黙の中には、ガラムの「早く行け」との意が込められていた。
クロはジリッと足を鳴らし、滝壺を覗き込むもののどうしても足が地面から離れない。
ガラムは無情にも、そんなクロをただ見守るだけだった。
―――その時ふと、イヴが声を上げた。
「ガラムおじさん、もし断絶面の中に私がいたら、私も守ってもらえる?」
「うむ。高濃度のマナに満たされた空間だから、多少違和感はあるだろうが弾かれることはない」
それを聞いたイヴがニンマリ笑い、クロに向き直り言った。
「クロ、怖いんでしょう。私がついていってあげるよ」
「え!? でも初めてだし危ないよ。だ、大丈夫っ、俺一人でできるから」
クロは慌てて手を振って断ったが、一度言い出したイヴは聞かない。
「危なくないよ。ガラムおじさんが『大丈夫』って言ったんだよ。―――私、おじさんを信じてるもん。絶対大丈夫」
「っゴフ……」
ガラムが噎せこんだ様な、妙な咳をした。
そしてイヴはそのまま助走をつけ、クロに向かって小走りに駆け出す。
「ち、ちょっと待ってイヴっ」
「待たないっ」
クロは止めようとしたがイヴは止まらない。そしてとうとうイヴは、断崖の端に立つクロにラリアットの様なタックルをかまし、クロを巻き込んで自らも滝壺に向かって飛び込んだ。
宙に投げ出され、恐怖に身体を硬直させるクロにイヴがポツリと言った。
「クロ。絶対離さないでね」
◇◇◇
―――4時間後。
ハウスではシアンがロロノアとジェムを召喚し、引き継ぎ作業に勤しんでいた。
「……し、シアン教授……この量を……本当に引き継ぎなさるつもりですか?」
「うん」
「……」
テーブルに山と積まれるのは書類ではない。その一枚一枚が、書類にして2千枚の情報を収めることの出来る、メモリースクロールだった。
一方、キッチンからはジェムの嬉しそうな声が響いてくる。
「パイセン! 今度は完璧っすよ! 見てくださいす、この黄金の出汁!!」
「(ペロ)……やり直し」
「……」
シアンは悪魔の如き冷徹さで、若い二人の学者に限界を突破させようとしていた。
「パイセン……―――本当は俺の事嫌いなんすね」
「何を言ってるんだ。オレはジェムなら出来ると確信してるぞ。ジェム、お前は本当に凄いやつだ。自信を持て!」
「パイセン……俺、やるっす! 必ず黄金の出汁をとってみせるっす!」
「あぁ! 頑張れ!」
再び決意新たにキッチンに戻っていったジェムを、ロロノアが憎々しげに睨む。
「ちっ、何が出汁ですか。ジェムのやつ、ちょっとは手伝えって言うんですよ。……てか、この量を一人で今まで処理してきてたとか本当に変態なんですか? こんなの、チームを組んで十年単位で取り掛かる量じゃないですかっ」
「まぁまぁ。半分はオレの趣味みたいなものだったから、急ぎ案件は殆ど無いんだ。頼むよロロぉ」
「っ何が趣味ですか!? どれも学会揺るがす程の内容じゃないですか!!」
「いやー……うん。だから、中途半端に終わらせるより、誰かに引き継いでもらった方がいいかなと思ってさ。そんでそう思って考えた時、頼れる奴がロロしかいなかったんだよ」
「……僕しか?」
「うん。オレ、ロロの事ずっと前から“出来る奴だな”って思ってたんだ。だからこれはお前にしか頼めないんだ」
「……僕にしか? 本心ですか?」
「当たり前だろ」
「……」
ロロノアは静かに一つ息を吐くと、それまでの苛立ちが嘘だったかのような、いい笑顔を浮かべて顔を上げた。
「任せてくださいっ! シアン教授ほど早く完璧になんて出来るはずもありませんが、僕なりに一所懸命に手掛けさせていただきますっ!」
「そうか! ありがとう!」
こうして、今日もシアンは着々と無自覚にその信仰度を上げていた。
と、その時。玄関の扉がカチャリと音を立てて開いた。
シアンが顔を上げ声を上げた。
「イヴ! クロ! おかえり!」
「ただいまシアン!」
「ただいま」
「おう。叔父さんもありがとうございました」
シアンはそう言って、入ってきた3人に駆け寄った。
ロロノアとジェムは気を使って鍋やらスクロールやらを抱え上げ、帰る準備を始める。
「じゃあパイセン! 俺らはこれで!」
「残りはまた後ほど受け取りに参ります」
「ああ、またな」
そう言ってロロノアとジェムは、子供達と入れ替わりに部屋を後にした。
そして二人を見送ったイヴが、手を後ろにしてもじもじとシアンに近づく。
「ねぇシアン。えへへー。今日私ね、S級のハーフシーマンとね、戦ったんだよ! それでね、私とハーフシーマンどっちが勝ったと思う?」
「……うん。分かんないけど、可愛いからイヴの勝ちだな」
ニコニコとシアンが頷くと、イヴが両手を上げてぴょんぴょんと踊りだした。
「正解ー! イヴが勝ったんだよ!! でも可愛いはあんまり関係ないよ?」
「そっかー。流石イヴだな!」
イヴのダンスに合わせ、シアンもテンポよく腕を振った。だが、ふとシアンの動きがピタリと止まる。
「……イヴ、なんだか少し顔が赤くないか?」
「?」
「ちょっと来てみろ」
シアンはそう言うと跳ねるイヴを捕まえ、その額に手を添えた。
「……うん。熱があるな。ハーフシーマンとは何処で戦ったんだ?」
「森の向こうの滝だよ」
それを聞いたシアンは、じとりとガラムを見つめた。
「……叔父さん。今まだ2月の末ですよ……?」
「……いや、戦闘後直ぐに乾かしたのだが……」
「……積雪も残ってますが」
「……。……うむ。すまん」
ガラムは小さくそうシアンとイヴに謝ると、風邪が治るまで訓練は休みだと言い残して去って行った。そしてイヴはすぐさま着替えさせられ、暖かいベッドに放り込まれる。
「……まったく。楽しかったからってはしゃぎ過ぎだ、イヴ」
「ごめんなさい」
「いいか? 熱が下がるまで寝てるんだぞ。クロ、イヴが暑がりだしたら、額と首筋を冷やしてやってくれ」
「はーい」
シアンはそう指示を出すと、昼食用のお粥を作り始める。
クロは桶に水を入れ、イヴの横になるベッドの側に自分の座る椅子を引いてきた。
「イヴ、寒い? 暑い?」
「んー、ちょっと寒い」
「ん、じゃあ毛布」
クロは頷くと、手早く毛布をもう一枚イヴに被せる。
イヴは芋虫のようにもぞもぞと頭まで布団に潜り込み、顔だけをちらりと覗かせるとクロに笑いかけた。
「どうしたの? なにか欲しいの?」
「んーん、昔はクロの方がこうして病気でよく寝てたから、変な感じだなぁと思って」
「あぁ」
クロは素っ気なく頷くと、手持ち無沙汰にキールを撫で始めた。
「クロはもうしんどくなったりしないの?」
「ないよ。……って言うか、今病気なのはイヴなの! ちゃんと寝てなよ」
「寝てるよー。あ、そうだ。私の風邪治ったら、クロが風邪引かないようにマフラー編んであげるね。シアンに教えてもらうよ」
「俺の事はいいから……それにもうすぐ春だし」
「次の冬にまた使えるよ」
やはり言い出したら聞かないイヴに、とうとうクロが肩を竦めた時、シアンが湯気の立つお粥をトレーに乗せてやってきた。
「おーい、出来たぞ。クロの分は向こうのテーブルに置いてるから食べてこい」
「うん」
「ほら、イヴはこれ食べて薬飲んだら寝るんだぞ」
「はーい」
クロは自分の席をシアンに譲り、テーブルに向かう。
そしてその振り向き際、クロはポツリとシアンに言った。
「あ、そうだ父さん。前に編み物教えてって言ってたの、あれやっぱりいいよ」
「そうか? いいけど……あ、それからクロ。10日後には旅に出るからお前まで風邪引くなよ」
「うん」
何気ない日々。いつもと変わらない日常。
―――だけど間違いなく時は過ぎ、気付かない内にゆっくりと、彼らは成長しているのであった。




