絶対防御のリトル・ダンジョン
手紙が届いた翌日の朝、ハウスの玄関先で訓練の為にイヴを迎えに来たガラムが唐突に言った。
「アタラシイ魔法ヲ、開発シタゾヨ」
何処か棒読みなその台詞に、出かける準備を済ませたイヴが嬉しそうに食いついた。
「どんな魔法!? 教えて教えて!」
「うむ、私ニシカ使えナイ魔法なのだが、強い魔物を呼びヨセル魔法だ」
「凄いね! ガラムおじさん! 見せて見せてぇ!」
そんな魔法は存在しないはずだが、イヴは欠片も疑うことなく褒めそやした。
ガラムは嬉しそうに、そして何処かホッとしたように頷くと、イヴの頭を撫でながら言った。
「うむ、なら今日はソノ魔法で寄ってきた魔物との、実戦訓練をしてみるか?」
「いいの!? やるっ、やる!!」
いい笑顔でそれは嬉しそうにガラムの胴回りに抱きつくイヴ。ガラムは何故かシアンに親指をビシッと立てて、グッジョブポーズを取った。
シアンは苦笑を溢しながら、上機嫌のイヴに声をかける。
「イヴ、気を付けてな。まぁ危なくなったら叔父さんが助けてくれると思うけどさ。……後、勝負が決まったら無闇に止めは刺さないでやれよ」
「なんで? 魔物は人間を食べちゃう悪い物なんでしょ? 冒険者さん達は駆逐する為に旅をしてるって言ってたよ?」
「……むぅ」
言葉を濁すシアン。
まぁ人間であれば、十人中十人がイヴに同意するだろう。
だがシアンは暫し熟考した後、指を立てて提言した。
「止めを刺せばそれで終わりだが、見逃せば魔物はまた強くなる。もっと強くなった魔物とまた戦えるぞ!」
「!」
まぁ人間であれば、十人中十人が「それヤバい」と反対するだろうが、イヴの目は輝いた。
シアンはしめたとばかりに更にノリよく言い募る。
「そうだ、負けた魔物には『人間はもう襲っちゃ駄目だよ』と教えてあげればどうだ? そうすればみんな困らないし、イヴもまた戦えるし、な?」
「うんっ!! じゃあそうするね」
イヴは元気にシアンに同意した。
……シアンはいつも相手の欲求を刺激しつつ、それが世界平和に繋がるのだとそそのかす。彼の手口はいつも鮮やかだ。
まぁ、世間の大人は大抵そうとも言えるのだが。
ガラムはそんなイヴの頭を相変わらず撫で続けながら、クロにも声を掛ける。
「クロも来るか?」
「「え?」」
シアンとクロが、ガラムの一言に驚いたように顔を上げた。
「でもガラムおじさん、俺が行ったらイヴの訓練の邪魔になるんじゃ……」
クロが不安そうに言い募れば、ガラムはイヴの頭を撫で続けながら、全てを任せろとでも言わんばかりの懐の広さを以て頷いた。
「今後旅に出るのなら、イヴの戦闘を間近に見る事もあるだろう。そして、常に守ってもらうわけにもいかないだろうからな。自分の身は自分で守れるように護りの魔法を教えてやろう」
「うーん……じゃあお願いします」
クロは少し悩んだ素振りを見せた後、さほど喜ぶ風もなく頷いた。
そしてシアンに声をかける。
「父さんごめん、昼から火蜥蜴の生体調べに行くって言ってたけど、また今度でいい?」
「いいぞ」
シアンは即答した。……彼は最早、イヴの戦闘の余波すら防ぎ切ることが難しくなってきていたのだから、まぁ当然と言えば当然だろう。
シアンの了解に、クロはまたイヴとまだその頭を撫でるガラムに向き直り、じっと二人を見つめた後、ポツリとイヴに言った。
「……イヴ、ちっちゃい子みたいだね」
「っ!!?」
イヴは絶句し、大人達は首を傾げた。
そしてクロは、いつもと変わらない様子で席を立つ。
「じゃあ俺も準備するね。食器だけ洗っちゃうからちょっと待ってて」
クロはそう言ってテーブルの上の朝食の後の皿を、手早く集め重ねると去っていった。
―――何気ない一言。何気ない日常。……しかしそれは、間違いなく世界に大きな変化をもたらした。
クロが食器を洗うカチャカチャという音が響く中、イヴが身を捩って一歩後退る。
そしてガラムを見上げ、クールに言い放ったのだ。
「ガラムおじさん。私もう、ちっちゃい子じゃないから撫でないで」
「!?」
「!!?」
衝撃に目を見開くガラムとシアン。
―――こうして、お年頃の少女は唐突になでなでやハグ、抱っこ等をはじめとするボディータッチコミュニケーションを拒む様になった。
しかしそれは、率先して洗い物もする良い子の悪意のない一言。
大人達は、非の打ち所のない小さなその背中を責める事など出来る筈もなく、唖然としつつもただ沈黙する他なかったのだった。
◇◇◇
それから間もなくガラムはイヴとクロを連れて、ハウスから森一つ越えた先にある大きな滝へと向かった。
そこは切り立った崖の上から、ダムの放水でもしているかのような凄まじい勢いで水が流れ落ちてくる危険な滝。
もし巻き込まれれば小さな人間など、あっという間にその水圧に押し潰されてしまうだろう。
そんな滝の前で、ガラムは子供達に向き直りクロに質問をした。
「さて。見ての通りの滝だ。この滝壺に落ちればどうなると思う?」
「……死んじゃう?」
「死なないよ。正拳突きで割れるもん。ね、ガラムおじさん」
ガラムは静かに頷き答えた。
「―――うむ。どちらも正解だ」
ガラムは絶対にイヴを否定しない。これが日常茶飯事なせいで、クロは相変わらず自分に自信のない少年のままだった。
「……いや、俺には滝割りは無理かな……」
「ウォン!(ボクが割るよ!)」
「キヒッ(死なばもろとも!)」
「ありがとうラーガ、キール」
従魔達に慰められる傷心のクロに、ガラムは淡々と言った。
「まぁ滝割りをクロにさせるつもりはない。今回は空間遮断魔法であの滝壺を平然と歩けるようにしてみようと思う」
「空間遮断魔法? 結界やシールドっていうこと?」
クロが尋ね返せば、ガラムは笑いながら首を横に振った。
そして指を空中に翳すと、ルーン文字で光の公式をさらさらと書きながら話し始めた。
「いいや、結界やシールドはあくまで“壁”だ。それ以上の力が加われば壁は簡単に崩れ去ってしまうし、なまじ崩れなかったとしても、“壁”は力の圧力で術者自身を押し潰してしまうだろう」
クロは頷いた。
言ってしまえば“頑丈な傘をさしても、滝壺に落ちれば傘もろとも潰れる”という事だ。
「だがこの空間遮断魔法は自らのマナで、自身の周囲の状態そのものを固定してしまう魔法だ。……とはいえ、ただ固めるだけではなんの意味もないし、空気の流動が止まれば息をすることすらままならないだろう。つまり【固める】とは、流動に必要な本来“無空間”である部分をクロのマナで満たし、流動こそ可能であるが【超高密度空間】を生み出すことを言う」
「高密度空間?」
説明をしながら空中にルーン文字を書き続けているガラムに、クロは首を傾げた。
すると、戦闘に関しては神並みのセンスを発揮するイヴが注釈を入れる。
「圧縮強度の事だよ。例えば10立方メートルの空間内で矢を放ったとき、何も無い空間、水に満たされた空間、鋼鉄で埋められた空間だと、的に届かせるのにかかる力が全然違うでしょ?」
イヴはどんな状況下においても、届かないとは言わないらしい。
クロはなるほどと頷いた。
「つまり、外側だけじゃなく、内側の密度を高める事によって圧縮強度をあげて、外界とは違う空間を作り出すってことか」
「うむ。ただ、そこまで密にする為のマナを放出し続ければ、クロのマナといえどあっという間に枯渇してしまうだろう。だからクロの周囲半径2 メートルに渡って、断面となる結界で範囲を指定して張り巡らせておけばいい。そうする事で無駄に放出することも防げるし、また回収すら可能だ。……とはいえ、大きな力に晒され続ければその高密度空間とて摩耗される。マナ切れの空腹を感じれば、すぐさま薬を飲み、回復させるのだぞ」
「はい」
クロは真剣な様子で頷いたが、ガラムの書き続ける魔法陣の公式を見て、また不安そうに声を潜める。
「難しそうだね。……俺に使えるかな?」
ガラムは手を止めず、クロに尋ねる。
「クロは知っているか? この世界には“魔道具”と呼ばれるものがある事を」
「うん。魔石を燃料に動く道具だよね。ロロノアさんがコンロを持ってるよ」
「そうだったな。そしてその仕組みは、魔法陣を法則にしたがって、物品に刻みつけることにある。つまり……」
そう言って、ガラムは漸く書く手を止めたかと思うと、大きな黒板3枚分はあろうかというその光るルーン文字の羅列を、指先でくるくると巻き取り始めた。
そして懐から取り出した1.5ミリほどの、丸く黒い猫目石を数珠繋ぎにしたブレスレットに、巻き取ったルーン文字を貼り付けていく。
「こうしておけば、本人にその魔法が使えなくてもこの魔道具を媒介にして、クロでも簡単に魔法を発動させる事が出来るのだ」
そう言って慣れた手つきで魔道具を完成させていくガラムを、子供達は尊敬の眼差しを込めて見上げる。
「ガラムおじさん凄い……」
「すっごぉいー。おじさんカッコいい……」
「うむ!」
ガラムはそれはそれは得意げに笑っていたのだった。
やがてそれが完成した時、ガラムはブレスレットをクロに差し出しながら言った。
「私はこの魔法に【小さな断絶空間】と名付けた。保有マナ10万以上からの者にしか使えないという縛りはあるが、その防御力は絶大。私の攻撃すら容易く弾くだろう」
クロはブレスレットを受け取り、腕に着けるとそれをまじまじと見つめる。
そしてガラムは轟々と音を轟かせて落ちる滝壺を指差し、クロに言った。
「やってみろ」




