手紙
さて。
俺が猛反省している間にも、シアンは着々と仕込を進める。
料理が実はそんなに好きではないというクロの言葉に、シアンは少ししょんぼりとしながら、一人猪の内臓洗浄を黙々と行っていた。
―――と言うか、始めはクロも名乗りを上げてはいたのだけどね。
「父さん、俺も洗うよ」
「いや……いいんだ。キールやラーガと遊べるのは今しかないぞ? ほら、あと3時間したら塩抜きして燻していくから、その時は呼ぶよ……な?」
「分かった! 行こうキール、ラーガ! 森の探検だ!」
「キヒィ!」
「ウォン!」
「……」
そして、クロは振り返ることなく森の中へと消えて行った。
―――その理屈で言えば、シアンと作業が出来るのも今しかないという事に、クロは多分気付かなかったのだろう。
そんな訳でシアンは孤独な作業を続けていた。
◆
そしてクロと別れて一時間ほど作業した頃、シアンは顔を上げて手を拭った。
「……と、こんなものか」
洗われた内臓は塩をまぶして収納し、毛皮は木に吊るされ、残りの骨や不要な内臓は土に埋められていた。
とその時、森の木々の間から、もはや慣れ親しんだ声が聞こえてきた。
「―――終わってる? もう終わってる? もしまだ解体中とかだったら僕泣くよ? 泣いちゃうよ? うぅ、怖くて目が開けられないっ」
小さな妖精、ロゼの声だった。
そしてそれを励ます様に声をかけているのが、長く艷やかな黒髪を持つ壮絶な美少女、郵便屋のグレイだった。
「心配ありません。終わってますよ。どうぞ私を信じてください」
「信じてるよ! でもやっぱり怖いんだ。そもそもイヴの戦いか狩りかなんて、僕にとってどっちも最悪の2択だよ。もぉ、果物探しに行って迷子になったのだって、シアンのせいなんだからねぇ! もし解体中だったらと思うとポシェットにも戻れないし……っ」
「ロゼ様の仰る通りですね。シアン様はなんて残酷なんでしょう。まさに鬼畜! ですがどうか泣かないで下さい、私がこうして抱きしめてますから。何があろうとお守り致します」
「絶対だよ! 絶対離さないでよ、グレイ! 今の僕弱いからね! すっごい弱いからね!」
―――グレイは大抵がツンなツンデレキャラだ。
だがグレイの胸に全力で縋りつきながら、ふるふると涙目で震えるロゼに、もはや完全なデレキャラになってしまっている。
シアンがそんな珍しく慈愛あふれるグレイを凝視していると、グレイがチラリと顔を上げ、シアンを見た。
「……あ、グレイ。ロゼを連れてきてくれたんだな。ありがとう……」
「―――チッ」
ロゼを返さなければいけない哀しみから、グレイはシアンの顔を見た瞬間舌打ちをし、シアンを涙目にさせた。
そんな中、ロゼはおそるおそるグレイの手の中から外を見回す。
そして作業が終わっている事を確認すると、ロゼはシアンの頭に飛び移り、グレイに言った。
「大丈夫みたいだね。送ってくれてありがとう、グレイ!」
「いいえ、いつでもお声を掛けてください」
そう答えたグレイは、聖母顔負けの美しい笑顔を湛えていたという。
そしてその笑顔を収めると、いつものクールな表情でシアンを一瞥し、一通の手紙をバッグから取り出してシアンに見せた。
「これ、シアン様に。グリプスからよ」
「あ、あぁ。ありがとう。いつも夜来てくれるのに珍しいな? 【ハウス】の郵便受けに入れといてくれてよかったのに。……あ、さてはこっちの様子が気になって見に来てくれたのか?」
冗談混じりにそう付け加えたシアンだったが、グレイは不機嫌に鼻を鳴らし言い放った。
「勘違いしないで。これは書き留め……だからどうしても直接手渡しじゃなきゃ駄目だっただけよ。―――後いつも夜なのは、別にシアン様達が帰ってきてる時間を狙ってるわけじゃない。たまたまよ。シアン様への配達なんて、別に最後でいいと思ってるだけだし?」
そう言ってソッポを向きながら小さな紙切れを挟んだバインダーを差し出すグレイに、シアンは笑いながら頷きサラサラとサインをした。
そして手紙を受け取り、銀色の縁取りが付いた手紙を裏返してみる。
差出人の名はない。
「―――誰からだ?」
「知らない。グリプス付近の投函ボックスに入れられてた。機密ランクは最高設定にされていたから、私にも分からないし、詮索しないルール」
「ふーん?」
シアンは首を傾げながらじっと手紙を見つめたあと、ピッと封を切って中の紙を取り出した。
手紙には、美しく丁寧な文字でこう書かれていた。
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拝啓 シアン様
寒さも緩み、春の麗らかな日の光を感じ始める今日この頃。皆様も笑顔を絶やさず、お健やかな日々を送っておられるかと存じます。
こちらも別段変わりなく……と書きたいところではあるのですが、ふとこの一件はシアン様にお伝えしておかねばと思い立ち、こうして筆をとった次第にございます。
さて。それでは早速になりますが、さ来年度の少し手前、正確には十三ヶ月後に9人の【転移者】がこの世界の片隅に出現します。
9人の【転移者】達はアインス様の記憶にある世界を、ごく平凡に過ごした記憶を持つ12歳の子供達。
そして彼等にとってこの世界は【とある一つの物語〜世界樹の夢〜】という名のゲームに酷似した世界であると記憶させております。
因みに彼等の知る【とある一つの物語〜世界樹の夢〜】の売りは、500を超える多彩なエンディングがある事。そしてそのエンディングに関しては、私の計算により弾き出した、実際に起こり得る未来予測の上位555位迄を抜粋しておきました。
彼等は出現時、自身らを“ゲームに取り込まれてしまった不遇の主人公”と認識しているでしょう。
この世界を楽しもうと思う反面、ありもしない“記憶の中の世界”へ帰りたいと願うかもしれません。
どうか導き、守ってやってください。彼等とてイヴ様の一部なのですから。
また彼等はこの世界の生き物達を、始めはNPCと認識するでしょう。
彼等の知るゲームのシナリオに則ると、紫のクリスタルが嵌め込まれたオリジナルの【スレッドペンダント】を持つ者達が、ゲーム内の“重要イベント”に関わるNPC、持たない者が雑魚NPCという設定です。
因みに彼等には、黄色いクリスタルが嵌め込まれたペンダントを与えてあり、この世界の基本情報の共有と彼等内同士での通信を可能にさせてあります。
彼等がこちらのスレを見る事は出来ませんが、パスコードを入力すれば、紫のスレッドから彼等のスレの閲覧が可能ですので、たまに彼等の心の声を聞いてやってください。
そしてこのパスコードに関しては、以前この【神子計画】が発案された際、神前に集まった者達へのみ後日お知らせする予定です。
また、実際に会えば分かるかと思いますが、彼等の設定プロフィール概要を書き出させて頂きました。
以下の通りですのでご参考にどうぞ。
●天使 現司
双子の姉〈天使夢〉と、路上ライブをすることが趣味。吹奏楽部所属。※幽霊部員。
【ギフト】破壊のメロディー
●有栖川 忍
三歳の頃から空手と柔道と合気道を習っている。体操部所属。期待のエース。
【ギフト】隠密
●黒木 麟太郎
バイク屋の倅。親が走り屋をしていた。自身も喧嘩っ早い性格から、クラスで浮きがち。帰宅部。帰り道にあるボクシングジムに入会してみたいと、密かに思っている。
【ギフト】ギアチェンジ
●小坂 賢人
根暗メガネ。【とある一つの物語〜世界樹の夢〜】の熱狂的な隠れファン。555のエンディングの内、530のエンィングを踏破した半廃人。帰宅部。
【ギフト】演算
●天使 夢
双子の弟〈天使現司〉と、路上ライブをすることが趣味。合唱部のアイドル。いつか弟の現司とユニットデビューが夢。
【ギフト】再生の歌声
●御徒屋 真央
8人の兄弟姉妹を持つ長女。時に厳しく時に優しい、クラス委員長。家庭科部所属。将来の夢はパティシエ。
【ギフト】魔力解放
●清瀬 衣麗奈(イレーナ)
英国人の父を持つハーフ。噂やゴシップが大好き。人気ブロガー。園芸部所属。
【ギフト】偵察
●梶谷 萌絵
オープンなオタク。オタクであることに自信を持っていて、興味のあることへのこだわりが半端ない。アニメ討論部(非公認)所属。
【ギフト】鍛冶・錬成
●聖浄院 光香
無口で気の弱い目立たない眼鏡っ娘。だけどメガネを取ると実は美少女。図書部所属。
【ギフト】聖なる癒やし
以上です。
彼等の出現以降にエネルギーの余剰が出た場合上記9名に、追加で力を与える予定です。
彼等以降の【転移者】は今回増える予定はありませんのでご安心下さい。
そして最後に、彼等の性格はこの世界に実在する者達を参考にしておきましたので、存外に馴染みやすいかと思います。
それではよろしくお願い致します。
敬具
追伸
これを読み終え暗記しましたら、お手数ではありますが焼却処分をし、土に埋めてください。
もし手元に残して万が一にも後の彼等に見られた場合、99.4%の確率で彼等は暴走し、この世界を闇に沈める事でしょう。
それでは皆様の、益々の御健勝をお祈りしております。
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――――シュボッ……
手紙は開封されわずか2秒後には灰となった。
そしてその日の内に手紙だった灰は、シアンの手によって深い深い穴の中へと丁重に埋められたのだった。




