クロの鳴らす鈴
イヴを見送った後、シアン達は森に出ていた。
「クロ行ったぞ!」
「うん!」
シアンの掛け声と共に、茂みから一匹の猪が、クロの前に飛び出してくる。
猪は突然目の前に現れたクロに驚き、高い声で鳴いた。
クロは手にしたミスリルの錫杖をフルスイングして、猪の足を払う。
足を取られた猪は勢いに任せて転んだが、クロもまたその負荷により錫杖を弾き飛ばされてしまった。
「ピギィ!!」
そんな中、先に大勢を整え直したのは猪。
クロが痺れる腕を押さえながら弾かれた錫杖に手を伸ばす間に、猪はカッと蹄を鳴らしたかと思うと、クロに向かって突進を始めた。
あっという間に距離は縮まり、猪にクロが跳ね飛ばされると思われたその時、突然ラーガがその横から飛び出してきた。
「ガウッ!」
「グルァ!!」
ラーガの勢いは凄まじく、突進する猪をそのまま突き飛ばすと、二つの頭で猪の肩と喉に食らいつき、着地までの一瞬の間に、その間首を引き裂き、胴と頭を千切り離して絶命させた。
錫杖を拾ったクロは、ラーガと絶命した猪に駆け寄る。
「ラーガ! ありがとう、また助けてもらっちゃったね。次はもっと上手くやってみせるから!」
クロはそう言ってラーガを撫でた。
ラーガは尻尾を振りながらクゥンと喉を震わせると、血の滴る猪の頭をペッと吐き出す。
するとクロはすっと錫杖を構え、ラーガに言った。
「ラーガ、この猪を弔う。少し下がっててくれる?」
「ワフ!」
ラーガは一声吠えると後ろに下がって腰を下ろした。
クロが錫杖についた鈴を、絶命した猪に向かって鳴らし始めてまもなく、茂みの向こうからガサガサとシアンが現れる。
シアンはクロが獲物に、弔いの鈴を鳴らすことを知っている為、先程追い込んだ猪を無事仕留められたのだろうと落ち着いたものだった。
シアンはクロから少し離れたところに腰を下ろすラーガの隣にすっと並び立ち、鈴の音色に耳傾けながら声を掛けた。
「また、クロを助けてやってくださったんですね。ありがとうございます」
「我等が主を助けるのは当然だ。『強くなりたいから、危険になるまで手を出さないで』と命令を受けているから、ある程度までは自由にしてもらっているがな」
「そうですか。……お手数おかけします」
シアンはそう言って、キッチリとクロの言いつけを守る忠犬のようなラーガに、乾いた笑いを漏らした。
―――因みにこのラーガ、この裏世界では常識だが、普通に喋れる。
更に言えば“力”も“賢さ”も“存在的な格”も、全てにおいてシアンより上だ。
だがそんなラーガは、クロに愛でて貰いたい一心で犬の皮をかぶり続けていた。
そんなラーガがシアンに警告を入れる。
「それからシアン、その口調は使うなと言った筈だ。クロに我等が神獣だとバレたらどうする? どう責任を取るつもりか?」
「ひぃ!? す、スミマセ……じゃなくてゴメン!」
―――……ここでもタメ口を強要されるシアンであった。
シアンはビクビクと隣に座るラーガを暫く気にしていたが、ただクロの鈴の音に心地よさそうに耳を澄ますラーガを見て、また肩の力を抜いた。
「しかしクロの奴、鈴を鳴らすのが上手くなったなぁ」
「技術だけではない。感服すべきはそれに込められた願いよ」
すぐに返された答えに、シアンは首を傾げる。
「獣でないシアンには、この音色の尊さは分からんだろうな」
「ん? ……尊い?」
「うむ。禊の鈴は鳴らす者の心により、その音色に深みが出る、聖なる鈴だ。かつて禊の鈴を手渡された頃のクロはただ“獣が大好き”だと、その一心を込めて鈴を振り続けていた。―――それだけでも、ひたすらに可愛かったのだがな」
「……」
ニヤニヤデレデレとそう話すラーガに、シアンは突っ込まない。
「だが契約してすぐの頃、ふと思い立って契約紋を経由してクロに問いかけてみたのだ。まぁ、契約紋のテストも兼ねた、ちょっとした悪ふざけのつもりだったのだが」
「……問いかけたって……何を?」
「うむ。……クロは獣達が好きだろう? そして獣達もまたクロが好きだった。そんなクロが、生きるために獣を殺すことはできるか? 牽いてはイヴを守り、共に過ごすことなど出来るのか、とな」
「……想像以上に重かった。……ラーガが契約して直ぐってことは、クロが5歳の時? 5歳児になんて質問してるんだよ」
シアンがそう言うと、ラーガは素知らぬ素振りで耳をパタパタ動かし頷いた。
「そう、所詮人間の子供。確かに初めは『ん? わかんない』とか言っていたな。だが我等は毎日の様に、朝から晩まで問いかけ続け、その心に答えを求め続けた。―――そして今尚、問い掛け続けている!」
「だから子供相手に何をやってんだよ!? 悪ふざけが過ぎるだろっ!」
ラーガ相手に本気で苛ついているシアン。
ラーガはそんなシアンを気に留める事なく、得意気に言った。
「だがな、シアンよ。そんな問いかけに真摯に向かい合い続けたクロの鈴の音は、今やただ相手をただ好きだと伝えるだけではない。―――あの鈴の音にクロが込める思いとは、即ち祈り。我等全ての獣達への祝福。それはまだ見ぬ仲間達へのメッセージ。そして過去に命を奪った者達と、これから奪わなくてはならない者達への懺悔と、その命に恥じぬ様、生き抜くという誓いでもあるのだ」
……一応追記しておくとクロは今、八歳の子供である。あ、いや、追記するまでもなく始めに言っていたね。
「我等は、やがてクロに降りかかる世界の真理の残酷さと愛しさの狭間の葛藤で、クロの奏でる鈴の音に歪みが出ぬ様にと思っただけであった。―――だがクロは今や命の巡りを……大地の掟を既に理解した」
「5歳児に求めるものにしては『だけ』で済まないレベルだな。後―――……何を理解したって?」
もはや完全に温度感の違う二人。
ラーガは得意げにクロを褒めた。
「あの鈴の音を聞けば、我等獣は抗えぬ。何故なら我等の肉が土に還るであろうその時、あの鈴の音が我等の生を尊びながら送るのだと知ってしまうから。そして真理に導かれ土へ還るその過程で、我等の歴史はクロの血肉となり、ひとときの力となる。ならばその運命を素直に受け入れよう……そう思えてしまうのだ」
シアンがポツリと言う。
「……獣じゃないオレにはよく分からないが、尊いな。……多分」
「うむ。若干8歳にして、よくぞその境地に至ったものよ。そしてその祈りの発端たるは我等に向けられた尊びの念。……堪らんな」
「うん。やっぱオレの息子は天才だわ」
「うむ。我等の導きの賜物だ」
「いやいや、やっぱオレでしょう。そこだけは譲れない」
それからしばらくの間、シアンとラーガはそれはそれは嬉しそうに、その音に耳を傾けていた。
―――そしていつの間にか、二人の温度感は完全に合致していたという。




