大人と子供
「ただ今戻りました」
マスターは何事も無かったかのようにそう言った。
「シアンがね、ここで君を待っていたんだ。当初とは別の方向で話を纏めて今帰っていったんだけど」
「そうだったんですか。おふた方で何やら仲良さげに話していたもので、僕など邪魔かと思いまして待機していたのですが」
そう。マスターは実は、ガメちゃんが寿命を全うしたという話の辺りで、すぐそこまで戻ってきていた。
だけど何故かここまで来ることはなく、ダンジョン化した草葉の陰に隠れてしまっていたのだ。
「……ごめんねマスター」
「謝られる理由が分かりかねます」
「いやだって、シアンとばかり仲良く話してしまって。寂しかったんだよね。だけど俺はマスターともとても話がしたいんだよ。―――だから」
「……そうでしたか。そういう事ならどうか謝らないでください。只々気味が悪いです。更に言えば僕はさほど話したくはありませんので、どうぞ待たないで下さればこの上なく幸いです」
優しくも棘のある言葉と侮蔑のこもった視線に、俺は枝を揺らせた。
「―――俺にそんな事を言ってくれるのはマスターだけだよ。みんな何故か改まってしまって……」
「もういいです」
そろそろマスターが苛立ち始めたので、俺は話題を変えることにした。
「マスターもお疲れ様。スレを見て、折角【全てへ繋がる転移装置】を取りに行ったのに、不用になってしまったね」
「……」
俺がそう言うと、マスターはポケットから小さな革の巾着を取り出した。中にはザラザラと、色とりどりの豆が入っている。
それはかつて、俺とマスターが世間話をしていた最中、俺がぽろりと溢した一言。
“―――神々が創った転移装置は様々だ。だから管理者である神々は、マスターキーのような物を創った。
それがあるのは、マグマの層の更に下。誰も取りに行けないような地下深くだよ……”
もう数十世紀も昔の話だが、記憶力がいい彼はそれを覚えていたんだ。
まあ【全てに繋がる転移装置】の姿形は話してなかったけれど、マスターの事だから【転移装置】の創造神話から推測でもしたのだろう。
神々が隠した【全てに繋がる転移装置】が安置された場所への“道”は存在しない。
この世界の核に程近い所にひっそりと埋まってるだけなんだ。
だから求めるならば、掘り進めて道を作るしかそこに辿り着く術は無く、その間にはマグマの層や鉱石の層が行く手を阻む。
「本来半日で取ってこられるようなものじゃない。大変だったでしょう」
「……一番大変だったのは行く手を阻む【世界樹の根】でしたけどね? 岩盤層やマグマなんてどうってこと無い。突破不可の根が核を取り囲むように張り巡らされていて、まるで世界樹の迷宮でしたよ。かつて神々が残した【世界樹の調査データ】を地図代わりにしなけば、攻略なんて不可能でした」
「世界樹の迷宮か……かっこいい響きだね」
「むしろ今のが謝って頂きたいところでしたね」
「あ、うん。根を張ってごめんね。……でも俺、樹だし……ね? ……いや、“根”?」
「……」
マスターは深い溜息を吐くと、キューブを捻って革袋をダンジョンに仕舞った。
「まあ、今回の【全てに繋がる転移装置】に関しては完全な無駄足でしたが、今後何かの役に立つかもしれないので、良しとしておきます」
完全に俺のジョークは無視されている。
マスターは革袋を消したあと、スッと俺を見上げ尋ねてきた。
「それよりアインス様。シアンに何を吹き込んだんですか?」
……なんと、心外な。
「何も吹き込んでないよ。世間話をして、少し昔話をしただけ。吹き込みも誘導もしてはいない。全てシアンが考えて、シアンが決めたんだよ」
「あそこまで180度思考が変わっておいて?」
……睨まれてる。
俺はドキドキしながら言い訳をした。
「それは逆の発想だよ。シアンの中で答えはもう決まってた。度重なるストレスで、それを見失いかけてただけでね。俺と話さなくても、シアンは早かれ遅かれ同じ答えに行き着いていたと思うよ」
「……いえ? 早くなることはあり得ませんし、もう少し遅ければ【全てに繋がる転移装置】を使い、フィルを追いかけていた筈です」
マスターの指摘に、俺は枝を振った。
「いや、そうはならないよ。何故ならシアンやマスターはもう“個”として確立してるもの。謂わば“大人”なんだ。だからそうはならなかった」
「おっしゃる意味が分かりかねます」
マスターはそう言って俺を見据えてきた。
俺は逆にマスターに尋ね返してみる。
「ならマスターは、俺が何か言った所で君の望む未来図を変えてくれるかい?」
一瞬、マスターの表情が強張った。
「それは……」
「言ってしまえば俺は第三者だからね。見聞したことをなんとでも言えるよ。そして当事者達はそんな耳障りのいい言葉に、ふらふらと迷うこともあるかもしれない。―――だけどいざとなれば、きっと君達は君達自身がこれまで築き上げた心に従ってしか決断しない。違うかい?」
「……」
マスターは押し黙ったまま視線をそらす。
「あ、別に“何か言う”のは俺じゃなくてもいいよ。いつかこの世界が形を変えて、世界中が君の存在を歓迎したところで……」
「『僕がこの決断を変える筈がない』と言うことですね。その通りです、分かりました。―――もういいです」
マスターはまるで耳を塞ぐようにそう言うと、頭を振った。
俺は小さな声で、そっと付け加える。
「大人と子供の違いはそこだよ。自分の在り方を確定してしまった者と、まだ変われる者。俺は樹にしかもうなれないけど、神々は未だに幼く、変わり続けている。そういう事だよ」
ふと、マスターが顔を上げた。
「ちょっと待ってください。……あれ? 樹だったんですか?」
―――今更マスターは何を言ってるのだろう?
「いやだなぁ。樹以外に一体なんだと……」
「サイズ的にも、強固さ的にも、色味的にも、精神的にも無理がありますよね?」
「なる程。この話を早く終わらせて欲しいということだね?」
「察しの良さも、とても【樹】とは思えませんね」
「……」
俺は沈黙した。いや、沈黙する他無かった。
そして長い沈黙の後、俺はポツリと言った。
「……ところでマスター、一ついいかな? シアンがね……」
「まだ言いますか。ホントに一分保ちませんね」
―――聖域には、今日もいつも通りの穏やかな時間が流れていた。
◆◆◆
《シアン視点》
聖域を後にして、俺はルドルフと共に大海を渡る。
やがてジャック・グラウンドに差し掛かると、ふわりとラベンダーの香りが鼻を突いた。
そして更に少し進んだ頃、ルドルフが速度を弛め声を上げた。
「シアン! イヴとクロが居たぞ!」
「!?」
慌ててオレは身を乗出し、葉の落ちた雪の森を見下ろす。
視線を巡らせるとそこには、雪の中を【ハウス】に向かってひた駆ける、小さな子供達の姿が見えた。
マスターはもう【アイテムチート】が出来そうです。




