世界樹の下で④
確かにクロは、抗い難い空腹を知ってる。そしてそれを抑え込む、何かしらの術を身につけてるのだ。
SS級の魔物すら発狂するその苦しみの中で、クロは平然と笑っているんだから。
だが世界樹様は、葉を揺らしながら言葉を濁した。
『どうだろう? 例え教えられるとしても、教え方一つにも上手い下手がある。下手な教え方じゃあ逆効果だし、初めから上手く教えられるなんて難しいだろうからね』
ホントどっちだよこの方は……。
俺は肩を竦め、溜息混じりに言った。
「やっぱり無理じゃないですか……」
『そうだね。クロはまだ5歳。自分の事だって満足に出来ない年だもの』
ま、普通に考えて無理だろう。
『ほら、例のカメの子だって、拾った少年の力じゃいくら愛情があったって、どうにもならなかったんだもの』
またカメか。
「そりゃまぁ飼ってるだけで罰則を受けるんですよね。そりゃ無理でしょう」
『そう。カメの運命は冷凍させられて眠らされる。亀達に冬眠する様に優しい死を与え、人はそれを慈悲と呼んだ』
「勝手ですね」
『まぁ、そのカメは寿命を全うしたんだけどね』
「え!!?」
このお方の話は尽く予想を裏切る!
「どうやって!? そんな……無理でしょう!?」
『それがね……泣きじゃくる子供の為にその子の父親がひと肌脱いでくれたんだ』
……嫌な予感がした。
『確かに子供の力じゃどうにもならなかった。だけどいつもは物静かな父親が、学生時代の友人に連絡をとってくれた。それは生物学の大学の先生でね、難しいやり取りの末、【研究の為】という名目で役場に申請を出してくれたんだ……』
「職権乱用甚だしいですね」
『返す言葉もないね。……そしてガレージを改装して、板金工の叔父に檻を作ってもらって、監視カメラを設置して、マイクロチップを埋め込んで……そしてとうとうガメちゃんは生きる事を許されたんだ。―――まぁ、その子の母は“とんでもない拾い物をした物だ”と随分怒っていたね。“犬や猫を飼う方が可愛いし楽だった”と』
……そりゃそうだろう。
母親の気持ちが痛いほど分かった。
『だけどね、その子にとっては犬や猫より、ガメちゃんが何より大切だった。いや、ガメちゃんを手放していたら、きっと他の生き物なんか二度と飼わないと思っただろうね。―――檻の中で監視されながら生きる事を強要されたガメちゃんが幸運だっただろうかと言われれば、俺にそうだと答えることはできない。ただ、子供にとっては間違いなく救いだった。そう。普段寡黙な父が、その時はスーパーヒーローの様に見えたよ。……いや、見えていたそうだよ』
……。……気にするなっ。
「……良かったですね。子供に友人が出来て」
『それは少し違うね。だってカメだもの。しかも凶暴な。お触りは禁止されてたから、子供とカメが友達になる事はあり得なかった』
……。
……いや待って。じゃあ父と母の苦労とストレスはどこ行った!?
『いやぁ、大変そうだったね。父は休日を使って水槽や設備のメンテナンス。在宅の母は餌やりと日々の観察報告書を書いてくれてたよ。……そして子供は二日に一回程度チラリとガレージを訪れ、元気そうなガメちゃんを眺めては満足していた』
「待ってください!? 父と母の救いは何処にあるんですか!?」
『無いよそんなもの』
「……」
……あまりに無慈悲なその答えに、オレは思わず泣きそうになった。
世界樹様は何でもないことのように答える。
『まぁ、世の父親母親とは、大抵情操教育と意気込んでは、自分で世話をするものなんだ。クロに何かを期待するのは間違いだと言うことだ』
……話が突然目の前の問題に戻され、オレは恐怖した。
「まさかアインス様……―――オレにはムリですよ? 本当にムリですよ!?」
オレの悲鳴にも近い訴えに、世界樹様は朗らかな口調で笑うように言う。
『そうだね。だけどシアン“押すなよ? 絶対に押すなよ!!?”と言った者の未来に待ち受けるのは、最早確定事項にも近いお決まり……謂わば予言なんだよ』
「っ諭すように語りかける素振りで、何を言ってんですかっっ!!?」
そんな予言、絶対に嫌だ!!
『はっはっは、まぁそれはネタだよ。勿論、マスターを待っててもいいと思うよ。いずれマスターは帰ってくるだろうし、俺の思い及ばないような知恵を授けてくれるかもしてない。シアンの思う様にすればいい。決めるのはいつだって君達だ』
―――……思うように……。
「……アインス様、ですがイドラと引き離されたってクロは生きていけますよね?」
『勿論だ。そしてシアンは、傷心のクロを立ち直るように励ます事が出来るよ。自身の胸も痛めながら、人はどんな苦難にも立ち直れることを、シアンはクロに根気強く教えるんだ。それも一つの正しい答えだね』
……諦める事を教える父親。
それでいいのか? それよりも……
「……でもオレ、思うんです。……想像したくもないですが、オレ、ルドルフを奪うような奴がいれば、きっと二度とそいつを信じる事はできません。何を言われようが、きっと……その人との絆は戻らない……」
……当たり前だ。……当たり前だよ。そんな奴がいたら、オレは絶対に許さないのに。
『シアンがそう思うなら、フィルの幸運はやはり本物だね。ちゃんとシアンも幸運の恩恵に預かってる。フィルはイタズラ好きだけど、なんだかんだ言って君を含めたこの世界が好きなんだよ』
「え? でも、奴はオレに不幸を振りまきました」
『幸運と不運はいつだって表裏一体。見方を変えてみればいい』
オレは首を傾げた。
『だってシアンは自分を騙して、キールをクロから引き離そうとしてたって自分で言っただろう?』
「え、はい……」
『不運の邪魔が入らなければ、今頃とっくに実行してた。その邪魔により、クロやキールは未だに共にあり、シアンとの話し合いを求めている。まだどちらの選択も可能なんだよ』
「……まさか、フィルという神竜はそこまで考えて……?」
オレは愕然としながらそう尋ねたが、世界樹様は枝を振った。
『それは無いなぁ。……何故なら彼は子供に近い感性の持ち主だ。今回だって、キールを祝うだけ祝って気が済んだら放置だったろうね。後の事なんかきっと考えてない……』
最悪だなっ! ホント、フィルって何者なんだ!?
「……分からない。クリスちゃんの証言と言い、最早ただの適当な奴なんじゃないかと思えてきた……」
オレが頭を抱えていると、世界樹様は聖葉を揺らしながら新たな情報をくれた。
『うーん……俺の目から見た彼は、結構ハイスペックのような気もするけど……。かつて弱者だったせいで、フィルの危険察知能力はずば抜けてるし、とある経験から必要に迫られれば10世紀単位で欠片の油断もなく、目的のために動く精神力を持ってる。これも詳しくは言えないんだけど、ハイエルフの里で過ごした経験が生きていて、知能は【ノルマン】を鼻で笑えるくらいはあるかな。……後、幸運抜きでもSS級に分類される力は秘めてるしね』
―――……なにそれ。超ハイスペックじゃん。やっぱ分からん!!
『ついでに言うと自分の幸運スキルが世界に及ぼす影響も理解してるから、普段は敢えて人前に姿を見せず、孤独に耐えてる。……結構優雅にだけどね』
……あぁ、あれか。チョコ食いすぎて寝坊して、神々からの呼び出しをブッチしたとか……。
『まあ、様々姿を変えてきたフィルだけどね、中身は昔から何も変わらないんだ。―――そう。昔っから自分に自信がない仔でね、それを隠すために道化を演じ続けていた。出会った者達をからかいながらも、心から愛していたよ。そして必ず弱者の味方につこうとする優しい仔だった。……ただ優しすぎるのが玉に瑕でね、例えばその弱者が不当な理由を主張していたとしても、賢いあの仔はその間違いを聡く理解しながら、やっぱり弱者に味方する。……そんな愚かな仔だったよ』
何かに思いを馳せるようにそう語る世界樹様の聖声は、―――どこまでも優しかった。




