フィル
《クロ視点》
おれはキールを拾い上げながら、じっと藻掻くドラゴンを見ていた。
手足をパタパタさせる毎に、不思議と何か花のような香りがふわりとする。
ドラゴンはようやく雪から抜け出し、おれを見上げて頷いた。
『しょうでしゅよ。クロ達に会おうと思っていたでしゅ。しょしたら森の方に行ったとかなんとかなってて……ここで待ってる事にしたんでしゅよ』
……なんでここ?
おれが首を傾げていると、ドラゴンは何処か得意げに胸を張った。
『誰しも困った事があったら、自分の一番慣れ親しんだ場所に戻ろうとするもんなんでしゅよ。だから《ダディー》と喧嘩して【ハウス】が駄目になったのなら、この湖に来るとオイラは踏んだのでしゅよ。思惑通りでしゅたね』
……胸を張るとコロコロしたボディーが余計に膨らんで可愛い。―――いや、それどころじゃないね。
「待ち伏せしてたって事? なら君も敵なの?」
この森を抜けてくる迄に襲ってきた魔物や魔獣達と違い、攻撃力など皆無に見えるこの小さなドラゴン。
一体何がしたいのか分からず質問を投げかけた時、突然小さなドラゴンが、目にも止まらない速さで飛び上がった。
「!?」
直後、今迄ドラゴンが居た雪の上に、蛙跳びでイヴが着地した。
そして悔しげに声を上げる。
「あーっ、逃げられた!」
……って、捕まえたかったの!?
おれが驚いていると、空中で蝶の羽を拡げたドラゴンがドヤ顔で笑った。
「フフン。オイラはイヴたんの行動パターンをよく知ってるでしゅからね。今のイヴたん程度なら完璧に逃げ切れる自信はあるでしゅよ」
「えーっ、かわいいから触りたいのにぃ!」
「ノン。おしゃわり禁止でしゅ」
そう言って、イヴから逃れるように更に高度をあげるドラゴン。
イヴは一生懸命手を伸ばすが、ドラゴンには届かなさそうだった。
その時、ふと背後の森の茂みが揺れた。
そしてがさりと現れたのは巨大な熊。さっきイヴが撒いた筈の【ガイアベア】だった。おれはとっさに叫ぶ。
「イヴ! また来た!!」
「分かってる! クロとキールは下がって!!」
おれはキールを強く抱え直し、イヴは素早く構えをとる。
同時に、一瞬鼻をひくつかせたガイアベアが、咆哮をあげながら跳びかかってきた。
「ガアァァー!!!」
イヴが拳を握りしめて踏み込もうとしたその瞬間、空中を漂うように飛んでいた小さなドラゴンがポツリと呟いた。
『……うるっしゃいでしゅねぇ』
その瞬間、肌が粟立つような空気の揺れを感じた。
イヴは踏み込めを止め、ガイアベアから視線を反らせてドラゴンを見上げた。
ガイアベアは一瞬驚いた様に目を見開き、次の瞬間何かに弾き飛ばされるように森の奥へと弾き飛んだ。
「がぁ!!?」
ガイアベアを弾き飛ばした何かは、余波で雪を巻き上げ消し飛ばし、湖の水も薙払って後方へと押し返した。
おれとイヴ、そしてドラゴンの周囲を除き、剥き出しの大地が現れる。そして小さなドラゴンに生えていた蝶の羽は、何故かまるで空を覆い隠す程に巨大に伸び広がっていた。
イヴが目を大きく見開き、ぴょんぴょんと跳ねながらドラゴンに言った。
「ほおぉぉぉー!! ドラゴンちゃん凄いねぇ! 可愛いのに強いねぇ!!」
『……しょの言葉、しょっくりしょのままお返しするでしゅよ』
ドラゴンは半目になりながら、イヴにそう言った。
おれは光の翼で空を覆いながら平然としてるドラゴンに尋ねる。
「凄い翼だね。大丈夫?」
『あぁ、これは元々実体はなくて、ちょっと気合入れるとすぐこうして大きく拡がってしまうんでしゅよ。あとオイラの名前は“フッフール”……フィルと呼ぶといいでしゅ』
「あ、うん。フィル、助けてくれてありがとう」
『別に助けたわけではないでしゅよ。オイラはオイラでやりたい事があっただけでしゅから』
フィルはそう言うと、ゆっくりおれの前に降りてきた。
そしておれが腕に抱えたキールを撫でて言ったんだ。
『はじめましてキール。そして、ハッピーバースデー!』
「キヒっ」
キールが嬉しそうにそう答えたのに、おれは思わず笑った。
「よかったね、キール! ありがとうフィル!」
『いやいや! いいってことでしゅよ。―――知ってるでしゅか? キールが生まれたのは多分クロがキールを拾ったその日だろうと予想されてるでしゅ。だからオイラ、一回キールを祝っておいてやろうと思ってここに来たのでしゅよ』
なんでフィルが、キールやおれの事をそんなに知ってるのかは分からない。
だけどキールを祝ってくれるという事だけで、おれはそんな事なんてどうでも良いくらい嬉しかった。
「そうなんだ。やっぱり生まれたてだったんだねキール。大丈夫だよ! おれが色々キールに教えてあげるからね」
「キヒッ!」
「私も教えてあげるよ!」
「キールも喜んでるでしゅ」
おれ達がそう笑ったときだった。空の向こうから何か、黒いもやのような物が湧き上がった。
それを見たフィルが、目を細めて小さな舌打ちを漏らした。
『ちっ、羽が目立つのも困りものでしゅね……取り敢えず鬱陶しい奴がいない所に行きましゅか。オイラがキールを引っ張るから、クロとイヴたんはキールに掴まる事は出来るでしゅか?』
おれは頷いてキールに尋ねた。
「キール、できる?」
「キヒっ!」
キールはそう答えると、鉤の付いた長い尻尾のようなものを、丸い身体からにゅにゅっと伸ばした。
「えー! 私、キールじゃなくてフィルに掴まりたいっ!」
『ノン。おしゃわり禁止でしゅ』
フィルはそう言うとキールの耳を掴まえ、有無を言わさず空に飛び上がった。
おれとイヴも、キールの尻尾の鉤の部分に足をかけて掴まる。
『じゃ、行くでしゅよ。振り切る為にちょっと遠く迄行くでしゅからしっかり掴まるでしゅ!』
「遠く? 私ね、ルドルフとすっごい遠くに行ったことがあるんだよ! 大海溝や、暗い森だって知ってるの」
イヴはおれが病気をしていた時、ルドルフとよく遠くに散歩に出かけていたんだ。
父ちゃんに内緒なくらい遠くに行ったと、以前イヴは楽しそうに話していた。
だけどフィルはふるふると頭を振って、溜息混じりに答える。
『ふっ……もっと遠くでしゅよ。しょんな内側しか見てないと、でっかい大人になれないでしゅよ』
フィルは小馬鹿にしたようにそうせせら笑うと、口の中から小さな小石をペッと吐き出し、それを尻尾で高く弾きあげた。
そしてニヤリと笑って自分も高度を上げる。
『―――取り敢えず、金虎の棲む竹林にでも行きましゅか!』
フィルがそういった途端、小石は真っ黒な穴へと姿を変えた。
フィルは躊躇なくその穴へと飛び込み、ぶら下がるおれ達も続いて穴へと飛び込む。
―――だけど穴をくぐる瞬間ふと、おれ達を呼ぶ父ちゃんの声が、風に乗って聞こえた気がした。
◇◇◇
《シアン視点》
そこは見慣れたはずの場所。
雪に覆われた風景に浮かぶ湖だった。
だけど、今はまるで別の景色に見える。
先程の衝撃で積もった雪は取り払われ、湖の水は高くうねりをあげていた。
何より、―――いつもその縁で遊んでいた子供達の姿がない。
―――行ってしまった……。
たった一箇所だけ、雪の残された小山の上には、真新しい小さな子供の足跡が無数に残されている。
オレはその足跡を見つめ、ただ呆然と立ち尽くしていた。




