そのスライムは飼えません
《シアン視点》
「クロ、朝食が終わったら話がある」
オレは壁に背を付け立ち、子供達の座るテーブルを眺めていた。
「うん。……父ちゃん、大丈夫?」
「……。大丈夫だ。まぁ食え」
「うん」
クロとイヴはオレをチラチラと気にしながらも、静かに朝食を食べ始めた。
クロの座る椅子の下には、例の黒い猫耳ボールスライムもどきがころころと転がっている。
「いただきます」
「いただきます……シアンは食べないの?」
「……うん、今オレはそれどころじゃないんだ」
そう。オレは今、朝食どころじゃなかった。
日が昇ってから、妙に調子が悪い。……どう悪いかと言えば、とにかく“運”が悪い。
始めは昨日からのストレスから、注意力が散漫になっているんだろうと思っていた。だがどうもそうじゃないらしい。
朝から三時間の間に六回……六回も、足の小指を家具の角でぶつけて、地味に悶た。
そして『もう二度とぶつけるか』と大きくそれを避ければ、今度は子供達の片付け忘れたブロックを踏んだ。
朝食を作ろうと思えば調味料が切れてるし、子供達を起こそうとすれば、寝ぼけて寝返りをしたイヴから、目に裏拳をくらった。―――なんで目?
……兎に角、不運だ。
オレは意味不明なこの不運に見舞われながら、ふと昔とある奴が言っていた言葉を思い出した。
『―――運に頼らなくても、全てを把握すれば何にだって対処できるさ……」
最早それしか道はなかった。
と、その時突然、オレの右手の壁の窓が大きな音を立てて割れた。
「うわぁ!?」
「シアン! 窓がっ……危ない!」
降り注ぐ破片にクロとイヴが驚愕の悲鳴を上げる中、オレは思った。―――やはり来たなっ!
何かをしても何もしなくても、何故か今日は全てが裏目に出て不運が起きる。
椅子に座ればその脚が折れて転び、立っていればこうして窓から飛行物が飛び込んでくる。あぁ、分かってたともっ!
オレは余裕を持って、その飛行物体をキャッチした。
……それはなにか白い……ベタベタとした糊のようなもの……? 何だこれ。糊はベタベタとオレの手にくっつき、オレはそれを剥がそうと藻掻いた。
「大丈夫? シアン」
「父ちゃんナイスキャッチだね。……それなに?」
「さあ、なんだろうな?」
オレ達が首を傾げていると、玄関の方からロロノアの慌てふためいた声が聞こえてきた。
「っす、すみませんシアン教授!!」
手に付いた糊を剥がし取りながら、オレはロロノアに声を返す。
「どうした、ロロ。今手が離せないんだ。鍵は空いてるから入ってきてくれ」
「はいっ、スミマセン。今、魔獣捕獲用のトリモチ投石機を誤作動させてしまいまして、トリモチがここに飛び込んだかとっ」
「ああこれな。気をつけろよー」
「申し訳ありませんっ! あ、教授。そのトリモチは致死性はないのですが、皮膚吸収性の強力な神経毒が含まれてますので、絶対に触らないで下さ……」
「え?」
「あ……」
部屋に駆け込んできたロロノアは、手にべっとりとトリモチを付けたオレを見て絶句した。
「何をなさってるんですか!?」
「え? いや、何ってキャッチして……」
「こんなとこで超人並みの反射神経とかいりませんよっ! 手をっ、はっ、早く手を洗い流したくださいっ!」
「……だ、だめだ。腕がしびれて水のまほうりんはかけなひ……」
「ああっもう既に呂律まで……ちょっ、先輩ー! 助けてくださいぃ!!」
―――……本当に……最悪だった。
◇
「いやぁー、すまんなシアン。投石機のネジが緩んでたみたいでよ。こんな事なんて初めてなんだが」
「いや。多分オレは今日そういう日なんだ。……まぁ気にすんな。ホントに気にすんな。そして今日はオレに近づくな」
解毒剤で何とか起き上がれるまでに回復したオレは、手を合わせ近づいてこようとするジルから後退って逃げた。……絶対禄なことがない!
「そうか? んじゃクロ。朝から騒がせて悪かったな。お詫びにこれやるよ」
「何? これ」
「スライム用のフードだ。テイムしたんだろ? いっぱい食わせてやれ」
「うん! ありがとう! ジルさん」
目を輝かせてジルの差し出した小袋を受け取るクロ。……ってかそれ、一番欲しくないものなんだけどっ!!
ホントになんて日だ!
「父ちゃん見て。ジルさんにキールのご飯貰ったよ!」
オレの思いなど知らず、嬉しそうに報告してくれるクロ。
……この輝く笑顔が辛い。オレはこの笑顔を奪い取らないと駄目なのか。
「そ、そうか。良かったな…」
取り敢えずその悲劇は後回しにして、オレはどこから切り出そうかと考える。
黙ってクロをみつめていると、ふとジルが立ち上がった。
「じゃ、シアンも大丈夫そうだし、俺達はもう行くか」
「あ、はい!」
続いてロロノアも立ち上がる。
そして去り際、ジルがクロの抱えるスライムもどきを撫でた。
「キールか。よろしくな」
「キヒ」
スライムもどきは小さな鳴き声を上げ、クロの腕の中で小さく縮こまり、潜り込んだ。
その様子にジルは呑気に笑う。
「すっかりクロに懐いちまってるなぁ。大事にしてやれよ? クロ」
「うん!」
クロは誇らしげに答え、二人を見送った。
そしてその扉がパタリと閉ざされた時、オレはとうとう話を切り出した。
「その件なんだけどな、クロ。……そのスライムはな、……その、危険なんだ」
「?」
クロがスライムもどきを抱えたまま、オレに目を向けた。
「今は小さいし、何の力もない様に見える。だけどな、それが成長してしまった時、そいつはお前自身を喰らい尽くしてしまうんだ」
「スライムにそんな力は無いよ?」
「うん。でもそいつはスライムじゃない。【黒いスライム】なんていないんだよ。オレも不思議に思って黒いスライムについていろいろ調べたんだ。そしたらな、なんとそいつは【イドラ】っていう化物だって判明したんだよ。……それに、食われるのはお前だけじゃないぞ。オレも、この家も、森も、湖も、全部……何も無くなるまで、そいつは食い尽くしてしまうんだ。そうなったら困るだろ?」
クロの顔に不安の色が浮かぶ。
オレはクロに視線を合わせるようにしゃがみ込み、なるべく不安を取ってやれるようにゆっくり話しかけた。
「そうなる前に、一度契約を解約しよう。な? 例え契約解除権がそいつにあるにしてもさ、クロが何度も何度も語りかければ、そいつも契約を破棄してくれるかもしれない」
クロがじっとスライムもどきを見つめた。
「でも父ちゃん。契約解除しちゃったら、キールはきっとお腹が空いて死んじゃうよ」
そう言って顔を上げたクロは今にも泣きそうな顔をしていた。
分かるよ。
初めてテイムした魔獣を、昨日の今日で捨ててこいなんて言われたら、誰でも辛いよな。
オレも酷いことを言ってる自覚はある。
契約紋で心を通わせた相手を見殺せって言ってるんだ。
「―――でもなクロ。オレはクロとこの世界を消すか、それともそのスライムを消すかと聞かれたら、クロと世界を残す方を取る。ゴメンなクロ。だけど頼む。……どうかそいつと別れる方向に、その雛を育てて欲しい。お前にとって辛いだろうけど、それでもお前の為なんだ」
クロの顔がオレの言葉に青褪め、凍り付いていく。
そして震える声でオレに言った。
「おれ、父ちゃんみたいなテイマーになりたかったの」
「そうか」
次の瞬間、見開いた目からぽろぽろと涙が溢れだした。
泣きながらクロはオレに尋ねてくる。
「―――なのに、なんでそんな酷いこと言うの? 昨日は父ちゃんもキールを撫でてたのに……」
「事情が変わったんだ。それはスライムじゃない。そいつとオレ達は、一緒にいられないんだよ」
泣きながらでも、クロには納得してもらうしかなかった。
今は辛いだろうけど、今後きっと、もっといいパートナーを見つけられる筈……。
スライムもどきを抱えてハラハラと涙を溢すクロ。だけどその悲しげな姿を見ても、オレの意思は変わらない。
何時間だって、何日だってクロが納得してくれるまで言い続けるつもりだった。
だけどその時、今迄沈黙を通していたイヴがクロの腕を引いた。
「もう行こう、クロ」
オレは首を傾げ、イヴに尋ねた。
「行くって何処に?」
「お散歩だよ。シアンは来なくていいよ。シアンは朝から不幸が続いてるから、ちょっと疲れてるんだよね。ゆっくりしててね」
相変わらずのマイペースな持論を放ちながら、イヴはグイグイとクロの腕を引っ張った。




