黒い水溜り
《イヴ視点》
暗闇から響く声の的外れな答えに、私は顔を上げ即答した。
「え? 諦めないけど?」
声は一瞬考えるように沈黙すると、私に尋ねてくる。
『じゃあ、これからは一人で頑張るの?』
「違うよ。シアンに教えてもらうの。だから困ってるの。諦めようとしてるのはシアンだけで、私は諦めないよ」
『……』
「……どうしたら、またシアンは頑張ってくれるのかなぁ……」
私がそう言って溜息を吐くと、闇からすっと手が現れた。
手は私の前へ誘うように伸ばされ、暫く沈黙していた声がまた響いた。
『悩んでる時はね、体を動かすといいんだって。少し私と闘ってみる?』
私は顔を上げ、その手を取りながら答える。
「いいけど、私強いよ? 負けて泣いちゃうかもしれないよ」
手は私の手を握り返し、引っ張って私を立たせた。
『大丈夫、泣かないよ。じゃあ、強いイヴちゃんに私が勝ったら、私のお願いを一つ聞いてくれる?』
「いいよ」
私が二つ返事で頷くと、それと同時に真っ暗だった洞窟の中にオレンジ色の明かりが灯った。
◆
《シアン視点》
イヴとクロが森に入って一時間が経過した。
集まってくれた探索者達に、オレは声を掛ける。
「見つかったか!?」
マーリスが首を振った。
「いえ、おりません。地下、天上の者達、共に発見の連絡はありません」
続いて精霊王様も肩を落として言う。
「こっちもだ。精霊達を自我を維持できる限界まで細分化させて、人海戦術で探してるけど、気配も痕跡も無いよ。本当にこの森に入ったの?」
「はい、それは間違いありません」
オレが頷けば精霊王様は首を竦め頷いた。
「もう一度探すよ。……クロが森の中を彷徨いているのは放っておいていいの?」
「はい、あいつもイヴを探してますから自由にさせてやってください。ルドルフは『獣達がクロに危害を及ぼす事はない』って言ってますし、位置はレイルが把握してますので」
「……そう」
精霊王様はそう言うと、またそっぽを向いて精霊達の声に耳を傾け始めた。
精霊王様も例に漏れずレイルが苦手だ。
今回、協力関係にあるのが気に入らないのかも知れない。……まぁ、んなこと言ってる場合でもない訳なのだが。
そしてその時、また一人の探索者が樹の影から飛び出してきた。
「たっだいまぁー!」
青い短髪の少女、ミアだった。
ミアはリリーの一つ下の妹にあたる者だ。
オレは一縷の望みを掛けてミアに尋ねる。
「見つかったか?」
だけどやはり、ミアも首を横に振った。
「居ない。ここから半径二十キロ圏はくまなく探したけど、どこにも居なかったよ」
「そっか……」
「あ、でも凄いもの見たよ。この付近に住む魔獣や聖獣の長達がね、血で血を洗う乱戦を繰り広げてたよ」
「それは今関係ないだろ」
「ま、そだね」
ミアが頷いて口笛を吹く素振りをした。そんなミアに、精霊王様がふと何か思いついたように尋ねる。
「あれ? ミアまでこっちに来ていいの? 皆来たらモヒカンの監視が手薄になるんじゃ?」
途端ミアの顔が陰険に曇る。
「……ちっ。モヒカンは地下の石牢に隔離投獄してきたよ」
「今舌打ちした!? って言うか、なんで君達の兄弟姉妹は僕にそんな辛口なの!?」
「そんなの決まってるじゃん。“僕キャラ”が被ってて腹立つし、ウザいしキモイ。あと生理的に受け付けないし、存在自体が許せない。それから……」
「ごめん、もういい」
精霊王様は目に涙を浮かべながら、ミアの言葉を遮った。
リリーの兄弟姉妹とそれに連なる種族達は、何故かこの精霊王様を邪険にしている。
正直言ってここに集まった者達は、オレの個人的には仲のいい連中ばかりなのだが、全体で見れば険悪な間柄な者達が多い。
……そんな奴らが今、一丸となって必死にイヴを探してくれてるんだ。
なのにオレは、そんな皆の報告を聞いているだけ……。
「……なぁ、やっぱオレも探しに行くよ」
あまりに偲びなく、堪らず口走ったオレの言葉だが、レイルは間髪入れずに否定した。
「駄目だよ。あんたが行って何になる? あんたが行って、誰がこの場の収拾をつける? シアンはここで待ってるんだ。立場を弁えてよ」
「……分かった」
オレは頷いた。
実際ここでオレが行っても、なんの役にも立たず、ただオレの気休めにしかならないんだ……。
◆
《クロ視点》
シャドウと別れ、おれは雪の中をひたすら進んでいた。
いつの間にか、空からは粉雪がチラチラと降り始めている。
誕生日に貰った銀糸のブランケットを持っているけど、イヴだって寒い思いをしているんだと思えば、おれがそれを使う気にはなれなかった。
シャドウが示してくれた方角にひたすら歩いた所で、おれは不思議な物を見つけた。
「……なんだろう? 水溜り?」
それは雪の窪みに溜まった、真っ黒い水溜りのように見えた。
近づいて見れば、その水のようなものはジクジクと動き、雪の窪みから抜け出そうと藻掻いている様にも見える。
おれはふと、図鑑に書かれていた一つの説明書きを思い出した。
“―――スライムは身体の99%以上が水分で出来ている為、高温では体内の水分が蒸発し、低温では体内の水分が凍ってしまう事がある”
おれは慌ててそちらに向かい、その黒い物体を掬いあげた。
予想通りそれはドロリと柔らかくて、だけど本来のスライムよりは硬くブルリとした感触。黒い塊は水のように零れ落ちることなく、掴み上げることが出来た。
「大丈夫? 君はスライムなの? だったらこんな所にいたら凍っちゃうよ」
おれがそう声をかけながら持ち上げても、スライム(?)は逃げる素振りも見せず、ダラーっと伸びただけだった。
……寒さで弱ってるのかもしれない。
おれはそう思って、この黒いスライムのようなのを銀糸のブランケットに包み込み、それを胸に抱えてまた雪の中を歩き始めた。
◆
雪足はどんどん強まり、白く染まる視界の中をおれはそれでも懸命に歩き続けた。
一歩進む毎に後ろを振り返り、シャドウに示された方角を見失わないようにして進む。
足が痛くて重くなってきたけど、早くイヴを見つけたい一心で、おれは休む事なく進んだ。
―――その時、突然視界が開けた。
雪が止み、目の前には一本の朽ち枯れた大木が立っていた。
木は大きく、大人五人が手を拡げても囲いきれない程に太い幹。それが地上十メートルほどの所でぽきりと折れ、枯れているのだった。
そしてその根本には、父ちゃんでも余裕で潜り抜けられそうな虚がポカリと空いている。
不思議に思い、おれは後ろを振り返って、更にその景色に驚いた。
一歩後ろには、雪が降り続けていたのだ。
そして朽ち枯れた木を囲むこの場所だけが、隔絶されたように雪が止んでいる。
おれは胸に抱いたブランケットをギュッと抱き直すと、意を決して穴の中に声を掛けた。
「イヴー! ここにいるの?」
……返事はない。
おれがもう一度穴に向けて叫ぼうとした時、虚の中からすっと一本の手が伸びてきた。
「うわぁ!?」
おれは驚き後退る。
だが次にその手の主は、虚の中から信じられない言葉をおれに掛けてきたのだった。
『―――早く入って。そこは見張られてるよ』
◆
《シアン視点》
舞い落ちる雪はその勢いをどんどん強め、相変わらずイヴの行方は分からない。
戻ってきたルドルフが、身体に付いた雪を払い落としながらオレに言う。
「……クロスケだけでも回収してくるか?」
集まった者達の焦りと苛立ちは高まってきている。
オレは頷いた。
「そうだな。雪も強くなって来たし、クロだけでも……」
だけどその時、隣から強張った声があがった。
「……っそんな」
オレが首を傾げそちらを見下ろせば、その指で器用にキューブを高速で回すレイルがいた。
「どうした? レイル」
レイルはキューブを回す手を止める事なく、困惑の眼差しでこちらを見上げてオレに言った。
「―――……クロ君からの信号が、途絶えた」




