聖域での語らい
雲ひとつ無い秋晴れの高い空の下、俺はすっかり静かになったしまった森の中で、独り葉を揺らしていた。
ここは【聖域】や【入らずの森】と呼ばれる深い森。
他とは違い高濃度のマナに満たされた、神々の森だ。
かつて神は、大きな戦争の最中に仔等の願いを聞き届け、世界そのものを仔等に与えた。
だがその時でも、神々はこの森だけは断じて明け渡そうとはしなかった。
……何故か?
その疑問には、とある者が嬉しい答えを出してくれていた。
“ここは『ただいま』と言える場所なんです”
仮にそのものの答えが正しいなら、こんな嬉しい事はない。
ここが神々の帰る場所と言うならば、俺は例えたった一人になったって……いや一本になったって、ここで待ち続けようと思う訳だ。
……なんて、かっこいいことを言ってみたものの、実は神々はここを去る前に、俺にこう言ったんだ。
『一緒に行こうよ! アインスの【入れ物】も創ってあげるよ』
とても嬉しく思った。
そして俺は優しく葉を揺らしながら、断った。
……と言うか、全力で拒否した。
『俺はいいんだよ。レイスの入れ物でも随分苦労していただろう? 俺の入れ物なんていいから、構わず楽しんできて』
『いや、寧ろアインスの方が簡単なんだよ。レイスみたいに無限エネルギーが溢れてくるわけでもないし、マナと木の本体から分離させた精神エネルギーを抽出すれば……』
『いやいや、本当にいいんだ。俺は樹だから動かない事が正しい姿なんだ』
『あ! じゃあ、ドリアードのボディとかどうかな? 植物の加護を持ったエルフ……』
『いいんだってば! 俺はこのままがいいんだっ!』
いろんな提案を出してくれる神に、俺は葉を揺すりながら、そう少し強い口調で言ったんだ。
すると神は一瞬ぽかんとした顔で固まり、次にしょんぼりと俯いてしまった。
『……。……』
『……ゼロスしつこい。アインスが嫌がってる』
もう一柱の神がとどめを刺した。
『……』
とうとう蹲り、背を向けて膝を抱えてしまった神。
俺はその悲しげな様子に耐えられなくなり、落ち込む神の背に声を掛けた。
『俺ね、ゼロスが大好きだよ』
『うん、僕も大好きだ』
途端にこちらを向きニッコリと微笑んだ神。
もう一柱の神は そんなやり取りに首を傾げた。
『……前後の繋がり読めない。アインスとゼロスは不思議な会話をする』
『レイスも大好きだよ』
『……ん!』
そうして無事誤魔化されてくれた神々は、俺を残しここを去っていった。
以来俺は、静かな森の中で静かに葉を揺らし続けている。
そんな事を思い出しているとふと、俺の葉音だけが響く森の中に、澄んだ声が上がった。
「ただ今戻りました、アインス様」
俺は葉の揺らぎを少し抑え、その声の主を出迎えた。
「おかえり、マスター。早かったね。もっと遊んできても良かったのに」
「いえ。アインス様に仕え、お守りする事が今の僕の使命ですので」
「真面目だね。流石マスターだよ。だけど俺は頑丈で、この通り相変わらず何事も無い。どうだろう、向こうの様子の事を少し話をしてくれないかな?」
「それは使命には含まれていません」
「そうだね。それはただの俺からの希望だよ。『そうしてくれたら嬉しいな』っていうだけのね」
俺がそう言えば、マスターは溜息を吐いて俺を睨みあげてきた。
「僕なんかの話を聞かずとも、全てを知っておいででしょう?」
「何が起こったのかは知ってるよ。だけど、それを見てマスターがどう思ったのかは知らないんだ」
律儀なマスターは、眉を潜めながらポツリと言った。
「―――……彼等を間近で見て、僕は『クロ君が可哀想だな』と思いました」
……予想外な感想だった。
「一体どうして可哀想何だろう? 親に捨てられた事? イヴやロゼのワガママにつきあわされ、我慢を強いられ続けている事? あ、空腹に耐えるて所? それとも周囲の意地の張り合いに巻き込まれ、とんでもない贈り物をされた事……?」
……言っててなんだか俺も可哀想に思えてきた。
マスターも頷く。
「若いのに……シアン以上の無自覚な苦労性ですよ、あの子は」
俺達はしばしの間、あのあどけない笑顔の白髪の少年に思いを馳せていた。
それからマスターが、またポツリと言ったんだ。
「ですが、何より可哀想なのは、彼が【守りたい相手】をイヴちゃんに定めてしまった事でしょうか」
「クロがイヴを?」
「はい。湖畔で初めて二人に会ったとき、クロ君は何より先ず、イヴちゃんを守ろうと僕の前に飛び出してきました。イヴちゃんからは見えてなかったでしょうが、凄い勢いで僕を睨んできましたよ」
「不審者だったからじゃない?」
「……」
俺の疑問は無視された。
「ともかく、あのイヴちゃんを守るなんて言う事は、並大抵の強さでは叶わない。肉体的にも精神的にもです。……だから、全うするにしても諦めるにしても、クロ君は苦しむことになるでしょうね」
「……成程」
俺は頷き、まだ見ぬ二人の未来の姿を思い浮かべてみた。
……うん。頑張って、クロ!
俺が心の中で力いっぱいクロに声援を送っていると、マスターが白い目で俺を見ながら言った。
「他にやりたい事もありますので、もう行って良いですか?」
「あぁ、うん。引き止めてごめんね。楽しかったよ」
俺がそう頷けば、マスターはダンジョンの中へと帰って行った。
そして俺はまた、遠い大地で暮らす彼らへと、意識を移したのだった。
◇◇◇
《シアン視点》
クロの誕生日から更に一月が過ぎ、森の木々は赤や黄色に色付いた葉を僅かに残しながらも、すっかり風通しの良い景色となってしまっていた。
クロの容態は落ち着いたまま、監視監督は必要ものの、すっかり普通の生活が送れるようになっていた。
まだステータス上では飢餓の表示が残っているのだが、クロはそれを表面には欠片も見せず、今日もハウスの中で鈴の練習をしていた。
―――シャリン……リリン……シャン……リリン
「違う違う。もっと手首を返すんだ。スナップをきせて……ちょっと貸してみろ」
「うん、おれには難しいよ」
「オレだって難しいんだ。だから練習するんだよ」
そう言ってオレはクロから【禊ぎの鈴】を受け取り、それを鳴らした。
―――リーン シャン…… シャン リーン……
「父ちゃん上手!」
「練習したからな。いいかクロ、これはたまごちゃん達の大好きな音なんだ。いっぱい練習して、上手に鳴らさなきゃならない。それにな、ただ鳴らすだけでも駄目だ。『大好き』って気持ちを持ちながら、鳴らさなきゃなん駄目だぞ」
「うん!」
元気に頷いたクロに、オレはまた禊の鈴を返した。
クロはまた、真剣な顔で鈴を振り始める。
【禊ぎの鈴】それはかつて森の守り人達が、神の獣にその音色を捧げる為に作り出されたものだった。
その音は数百世紀に渡り奉納され続け、神の獣達はその音に絶対の信頼を置くようになった。
だからこそ、裏切ってはならない。手を抜いてはいけないんだ。
いずれ孵る卵達に、またその音を捧げる為に……。
一生懸命鈴を鳴らす練習をすクロをオレは暫く見ていた。
だがふと、チラリと横目で背後に視線だけを向けてみる。
オレの背後、クロの部屋の南側。
ベッド以外何も無かったその部屋のそこには今、不自然に備え付けられた床の間があった。
そしてその床の間に置かれた台座の上に、六個の卵が静かに鎮座しているのだ。
―――……オーラが半端ない。
オレは緊張しながら、そっとまたクロへ視線を戻す。
相変わらずクロは、集中して鈴を振っていた。
……五歳になったばかりなのにこの集中力……本当に、相変わらず天才だ。
怒るべき所は欠片もなく、本人も楽しそうに鈴を振り続けている。かと言って、遊んでいる訳でもない。
つまりは天才な上、素直で向上心もあるということか。
しかも空腹を抑え込む強い精神力もあり、加えて優しさや思いやりもあ……。
「父ちゃん」
オレがじっとクロを見つめていると、クロがふとオレを呼んだ。
「なんだ? クロ」
「うん。たまごちゃん達からね、何が生まれるかなと思って」
一瞬、返答に困った。
「―――……うん、……なんだろうな? 皆目見当がつかないヨ。だけどきっと凄い獣達じゃないかなぁ?」
オレはそう言って、チラリとたまごちゃん達を見た。
……たまごちゃん達は、何処か得意げに見えた。
まぁ、卵だから気のせいだと思うが。
「おれね、思ったの。【キメラ】の卵だったらいいなぁーって」
「……【キメラ】は卵から生まれないぞ?」
オレはそう言って、チラリとたまごちゃん達を見た。
……たまごちゃん達は、何処かドキドキしている様に見えた。
まぁ、卵だから気のせいだと思うが。
「そっかぁ。じゃあ、ねこちゃんは? キメラはねこちゃんのお顔だから、ねこちゃんがいいなぁ」
「……尻尾のへびさんや、翼の鷹さんとかは?」
「んーん、ねこちゃんがいい」
「……拘るんだな」
オレはそう言って、チラリとたまごちゃん達を見た。
……たまごちゃん達は、何処か焦っているように見えた。
まぁ、卵だから気のせいだと思うが。
「でも何が生まれるかは、分かんないからなぁ。……例えばカメさんとかならどうする?」
「いーよ。おれカメさんも好きだから。ヘビさんでもダンゴムシちゃんでもいいの。一番はねこちゃんだったらいいなって思ったの」
「……そうか。そうだな」
オレはそう言って、もうチラリともたまごちゃん達を見る事はしなかった。
その時、部屋の扉が勢いよく開き、イヴが駆け込んで来た。
「シアン! クロっ! ただいまっ! お外行こう!!」
「お帰りイヴ」
「おかえり」
イヴは今朝から、またルドルフと何処かに遊びに行っていたのだ。
そして今日、オレはその遊びから帰ってきたら、ある事をやろうとイヴと約束をしていた。
イヴは目を輝かせながら、オレの腕を引っ張ってきた。
「シアン、早く早く! 早く戦い方を教えて!」
そう。今日はイヴにとって、初めての戦闘訓練を始める日なのであった。
クロくんは興奮して自制心が疎かになるとまずいので、引きこもり&見学です。




