魔境(ジャック・グラウンド)に現れた異次元魔境⑥
本日ニ投稿目です!
“薬局のおじさん” ……男はそう名乗り、俺は内心で笑った。
だってなんだよそりゃ、役職名じゃねえか。
しかし男は、欠片も俺をからかっている素振りは無い。
だから野暮な突っ込みは避けて、俺はただ頷いた。
「そっか。若いのに薬師をしてんのか。すげぇな」
「ええ、しかし趣味の範囲なので“師”と言う程でもありませんが」
やはり謙虚に頷く男。
先ほどの一連の出来事でテンパってた俺は、そんな普通の会話が心地よく、気分が良くなって話し続けた。
「いやしかし、趣味ってのも侮れねぇ。俺だってなぁ学校なんざ大して行ったこと無かったってのに、獣好きがたたって教授枠で勧誘されたんだ。当時は読み書き計算すら大して出来なかったのに、何があるか分かんねぇよなぁ」
「誰でも出来ることには、幾らでも代わりが効きますからね。そこを見誤らず勧誘できた【ノルマン】を、僕は称賛しますよ」
「はっは、よせやい」
結構な確率で『なんでお前が教授なんかやってんだ?』と言われる俺を、オンリーワンだと言って持ち上げてくるこの男に、俺は好感を持った。
いつの間にか酒も旨くなっていて、俺はウイスキーのグラスを呷って、じんわりと喉を焼く息を吐いた。
男はなおも俺に言い募る。
「謙遜されずとも、あなたは凄い方ですよ。人に慕われるという強みを持っていて、面倒見もいい。この【樹】の【ハウス組合】の長でもなさってるのでは?」
「よく分かったな。まぁ、形だけだがな」
俺がウィスキーをまた注ぎながら頷けば、男は指を立て、謎解きの答え合わせのように言ってきた。
「この騒ぎの中で、不自然に空いた空席。それは皆が気を遣って空けていたと言うこと。そして、逆を言えばその席の者は、気を遣われるべき人格者ということです」
「お、おぅ……そうか」
そんな深いモンでもねぇと思うが……。
男のあまりの持ち上げに若干引きながら、同時に妙な違和感を感じた。
……この男、ここを元から俺の席だと知ってたって事か? じゃあ俺の席だと知った上で、何故ここに座ってた?
ふと見れば、さっきまで好青年に見えていた男が、ずいぶん白々く見えた。
男はくるくるとワインをグラスの中で回しながら、相変わらず美味そうに飲んでいる。
―――……気のせいか?
俺はモヤモヤとしたものを抱えたまま、話題を逸らせた。
「ま、俺はそんな感じだ。兄ちゃんの本職は?」
「色々手がけてはいますが……一口に言えば“慈善事業”ですね」
「へぇ、そりゃご立派なこったなぁ。てことは、兄ちゃんどっかの金持ちか?」
「まぁ、一般的には“金持ち”で通っている事は確かです」
そう言った男だが、男はそれを奢ろうとする様子もなく、グラスに口を付けた。
やはり気のせいかと思いながら、タカるつもりは無いと言う意を込めて頷き返した。
「なんとも羨ましい限りだ。つってもま、俺は寄付する余裕も無いし、施される程切羽詰まってる訳でもねえから、世話になることは無いがな」
そう、俺の家はごく一般家庭だ。
両親は精肉店をやっていて、その頃の生活水準は中の下ってとこだった。成人した俺が【ノルマン】に拾われてからは、中の上を維持して来たから、食うに困った事は無い。
だが男は、ワインのグラスを揺らしながら、楽しげにクスクスと笑いながら、首を傾げた。
「そうですか? 僕はあなたにも施した筈ですが」
「ん?」
俺が……この若い男に施された? 記憶に無い。
俺が首を傾げていると、男は先程と変わらない穏やかな口調で、試す様に聞いてきた。
「“薬草十本で銅貨5枚”。誰もがやった事のある割のいい小遣い稼ぎがあります。……不思議に思った事はありませんか? その薬草、誰が買い取って何処に行くのかとか」
「……え?」
ふと、まだ俺がノルマンに拾われる前、野山を駆け回っていた時代の事を思い出した。
“薬草十本で銅貨五枚”
それは冒険者ギルドに常時張り出されている、安全な【依頼】だった。
俺を含め、駆け出し冒険者はそれをこなして生活の糧を繋ぎ、徐々に力を着けて行く。
そしてそれは、誰もその顔を見たことが無いと噂の、華国の大富豪【Mr.ルービック】が歴代その依頼を出し続けてるといわれていて……。
「そこら辺に生えてる草に銅貨五枚。破格じゃないですか? それに限らず誰しもが施され、生かされている。しかしそれもまた、何者かへの施しへと繋がり世界は回る。それがこの世界の真理です。例え普通の人であったとしても、自身の力だけで生きているなど、思い上がらない方がいいですよ」
ニコニコと笑うその男からは、今や白々しさすら消え、底冷えのする寒気だけが漂ってきていた。
「あ、アンタは……まさかっ」
「『まさか』……何でしょう? そうして回る世の中には、余計な詮索や余計な一言で、職を失う者が五万といるんです……いや、五万で足りるかな? なんてね。はは、あれ? ここは笑うところですよ?」
「あは……は、は……」
―――笑えねぇ……。
俺は引き攣った笑みを浮かべながら、背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。
男は穏やかな口調で、話を冒頭に戻す。
「しかし、本当に今日のパーティーは異次元ですねぇ。もしこんな異次元があると知れたら、世界は大騒ぎだ。さっきも言いましたが、僕は騒がしいのが嫌いなんですよね」
―――もはや完全に意味が違っていた。
「……黙っとけって事か?」
男は困った様に首を傾げ、笑った。
「何をでしょう? 僕は今来た所なので、あまり状況が分からないのです。ただジルさんはずっと居たようですし、ここに居る調査団の方は【鑑定】能力にも優れていると聞きます」
そして男は俺に刺すような視線を向け、低い声で言った。
「―――……“何”を、見ましたか?」
「っ」
喉が引き攣り、声にならなかった。
俺が沈黙をしていると、男はまた穏やかな笑顔を浮かべ笑った。
「まぁ、見ていないなら無理には聴き出すつもりはありません。そちらの方がお互いにとって面倒がないでしょう? “組合長さん”」
男がそう俺を呼んだ意味。……つまり【樹】の【ハウス】の連中全員を黙らせろと言う事だ。
―――息が苦しい。
その時、ふと男が白い羽織の懐に手を突っ込んだ。
そして何か、青い折り紙のような物を取り出し、テーブルの上にカサリと置いた。
俺は恐る恐る、星の形をした青い折り紙を覗き込む。
「この折り紙【願い星】と言うそうです。ここに来る途中の村で、たまたま“星祭り”と言うものが開かれてましてね。その祭りでは、子供たちは折り紙で星を折り、それに願い事を書いて川に流すんだそうです。一つ拝借してきたので見てくださいよ、可愛いですよね」
“お父さんに、会いたいです。レミ”
【願い星】に書かれたその願い事を見て、俺の全身の毛が開いた。
そして次の瞬間、俺は力任せにテーブルを叩いて男に怒鳴った。
「っこのっ……最っ低なクソ野郎がっ!!」
「あー、それそれ。僕の一番多い“呼び名”です」
男は怯まず、可笑しそうに笑っただけだった。
―――……これは魔物なんかより、よっぽど質が悪い。
俺は目の前の男に生理的嫌悪を催した。これ以上この場にとどまることを全身が拒否し、吐き気と震えがせり上がってくる。
それでも俺は震える手で、テーブルに置かれた末娘の書いた【願い星】を手に取り、握りしめた。
「死ぬまで黙ってるさ。絶対に、娘には手を出すな」
俺は笑う男にそう吐き捨てて踵を返し、振り返る事なくその場を去ったのだった。
◆◆
《シアン視点》
突然、会場の後方でジルの怒声が上がった。
同時にアスモディア達の顔が強張った。
「な、っ何故あいつが!?」
拳を握りしめるアスモディアを、俺は押し止める。
「アズー、手は出すなよ。今日は祝の場だからな」
アスモディア達は歯を噛み締めながら、そこに座って酒を飲んでいる男を睨んだ。
叔父さんやルドルフからも、ゆらりと仄暗い険悪なオーラが立ち昇る。
だが一触即発のその場で、突然弾けたように子供達の明るい歓声が響いた。
「「あ、薬局のおじさんっ!」」




