小さな勇者達
本日二投稿目です!
《イヴ視点》
帰り道、ルドルフはクロの事を話してくれた。
クロは今、ごはんを食べてもお腹がいっぱいにならない病気にかかっているらしい。
そしてそれは、とてもしんどい事なんだとルドルフは言っていた。
シアンは私にクロのことを話してくれないけど、クロは手術以来ずっとその辛さを、泣きながら我慢しているそうだ。
だから、私も我慢する事にした。
寂しくても、今はクロにシアンを独り占めさせてあげるのだ。
そう思ったのは、ルドルフの一言だった。
『なぁイヴ。世界にゃ色んなものがあるんだ。大きな物も、綺麗なものも、可愛い物も何だってある。そしてそのほとんど全てを、シアンは見て知ってる。そんな奴がよ、イヴとクロを“世界一”っつったんだ。それって凄いことじゃね?』
それって、凄いことだと思った。
こんなに世界は大きいのに、シアンはどこにも行かないで、私とクロの所にいてくれる。
それは私とクロが一番好きだからで、そんなクロが今は辛い思いをしている。
ならクロが元気になる迄、私は二番目で我慢してあげよう。……そう思った。
私が【魔境】の【ハウス】に帰ってくると、シアンはどうやらまだクロの部屋に居る様だった。
用意されていた水桶の水で、手を洗ってうがいをする。
私はお姉さんだから、言われなくてもちゃんと出来るのだ。
次に何をしようかと思った所で、私はクロに『シアンにいっぱい甘えていいからね』と、伝えておこうと思った。
それにシアンに『ただいま』の挨拶もしなければいけない。
その時の私には、クロの部屋に行かなければいけない理由がたくさんあった。
だから私は、シアンに『入っちゃ駄目』と言われていたけど、仕方なく入る事にしたのだ。
食卓の椅子を寄せて、扉の前の木の柵にくっつける。
椅子を踏み台に柵をよじ登ると、柵を跨いでズルズルと滑り降りた。
シアンが中に居るから鍵は開いている。私はそっと扉を押し開けた。
中にはシアンとクロが居た。
私とクロが一緒に寝ていた頃とは違い、ベッド以外何もない部屋。
その一つしかないベッドの上には、破れた布団がぐちゃぐちゃになっている丸められている。
そのベッドの端に、シアンは腰掛けてクロを抱っこしてあげていた。
クロはまるで赤ちゃんのように、シアンにくっついている。
シアンが目を丸めて私を見ている事に気付き、私はこの時初めて『やっぱり部屋に入ったから、怒られるかもしれないのでは……?』と思った。
私は、誤魔化すように大きな声でシアンとクロに言った。
「ただいまシアン! それからクロ、久しぶりだね!」
シアンの目が一層大きく見開かれる。……まずい。やっぱり怒られる。
―――違うんだよシアン。私はただ『クロに優しくしてあげる』って言いたいだけなの。
私はそれをアピールする為に、クロに声を掛けながら部屋に入った。
「クロ大丈夫? 私ね、もうクロに『抱っこ代わって』って言わない事にしたの。だからクロは……」
だけど三歩進んだ所で、これまで聞いた事のないようなシアンの怒鳴り声が響いた。
「駄目だっ! 来るな!!」
思わず私は身体を硬直させ、その場に立ちすくむ。
それと同時に、ヌルリとした動きでクロがシアンの腕から滑り出ると、血走った目で大きな口を開けながら、私の方に走ってきた。
「うぅっ! ガアァァァアァァァ!!!」
「!?」
何が起こってるのか分からず、私は助けを求める様にシアンに目を向けたが、その瞬間背筋がゾクッとした。
クロのすぐ後ろにシアンが迫っていて、そのシアンがクロに向けて、腕を振り上げていたのだ。
――――駄目だよシアン。私ね、クロに優しくしてあげるって決めたの……。だから駄目だ。
もう無我夢中だった。
私も飛び出して、こっちに突進して来るクロを捕まえた。
それから遠心力に任せ私は体を捻り、クロに向けたシアンの腕の軌道に自分の身体を滑り込ませる。
そのまま私が庇うようにクロの頭を抱きしめながら、シアンからの衝撃に耐えられるよう、固く目を瞑った。
だけどいつまで待ってもシアンの手は振り下ろされる事なく、代わりに何故かクロを抱きかかえる腕から痺れる様な感覚と、寒気のするような熱を感じた。
◆
《シアン視点》
オレがイヴを静止させる声を上げた瞬間、クロがかつてない仕草で動き、身を捩るとオレの腕からすり抜けた。
「待っ……」
いや、『待て』と言って止まる状態じゃない。オレも駆け出し、クロを引き留めようと追った。
だけどふと思う。
―――十日でこれだ。あと半年なんて無理じゃね? ……これ以上苦しませて、オレは一体何がしたいんだ……。
捕まえようとしてただけの筈なのに、オレは何故か腕を振り上げていた。
そしてそれを振り下ろそうとした刹那、クロを庇うようにイヴが割って入ってきた。
絶妙なポイントに飛び込んで来たイヴを挟んで、オレは拳をクロに入れることが出来なくなり、ピタリと動きを止めた。
そして、クロの頭を抱き抱えるイヴを見下ろせば、頭の奥で警笛がガンガン鳴る。
まずい。まずい、まずいまずいまずい……
―――ポタ……
クロの頭を抱きかかえる様に蹲るイヴの足元に、紅い雫が落ちた。
恐る恐る覗き込めばイヴの左肘の少し下に、クロがガッチリと喰らいついていた。
クロの小さく鋭い歯が柔らかい肉に食い込み、皮を破って血が垂れている。
女医さんの言葉が木霊した。
『人間の味を覚えたら、あの子はもう終わりよ。人間の中で生きられない』
―――終わった……。
オレがそう思った時、固まっていた小さなイヴが身じろぎをした。
そしてイヴは、自分の腕に食いついているクロの頭を、右の手で撫で始める。
そして優しく声を掛けた。
「お腹、空いたんだよねぇ。ルドルフから聞いたよ? 可哀想にね、クロ。でもね、イヴやシアンは美味しくないから食べちゃ駄目なの」
イヴは『痛い』の一言も言わず、クロを励ます様に話し続ける。
「シアンはクロに意地悪をしてるわけじゃないんだよ。だってね、クロがもっと元気になったらね、ちゃんとシアンはいっぱいご飯作ってくれるよ。イヴも手伝う。クロの為にね、またお腹いっぱいになるお魚のパイ作ってあげるよ」
一瞬クロの体がビクリと揺れ、喉の奥から小さなうめき声を漏らした。
「ゔゔぅっ……」
「うん、楽しみにしててね。だから、今だけ我慢して。私もクロやシアンと遊ぶの、楽しみにしてる。クロが良くなるまで、我慢して待ってるんだよ」
得意げな笑顔をクロに向けそう言ったイヴ。
クロは突然全身を震わせながら、目からボロボロと涙をこぼし始めた。
そしてゆっくりとイヴの腕から顎を外し、震えながら後退る。
「……あ、……ごめん……ごめんなさいっ……ごめ……っ」
イヴの腕からは血がどくどくと出ていた。
オレはそこでやっと我に返り、イヴに駆け寄り傷口を抑えて止血した。
「イ、イヴ! 大丈夫か!? う、腕が……すぐ女医さんに診て貰おうっ」
クロはオレ達から逃げるように駆け出し、破れた布団に潜り込んだ。
イヴはキョトンとしながらオレとクロを交互に見てからオレを見上げると、得意げに笑い掛けてきた。
「シアン。クロね、我慢するって。我慢できるって。クロは強いもん。叩かなくても大丈夫だよ。クロ強いから、ちゃんと……。私も……っ、わたっ……」
突然、イヴの顔がクシャリと歪む。
そしてオレに抱きついて来ると、そのまま大声で泣き始めた。
「うええぇぇん、痛いよぉ! シアン痛いよぉ!! クロに噛まれたぁっ、うえぇえぇぇぇ」
ベッドの上の膨らんだ布団の下からも、すすり泣くクロの声が聞こえてくる
「うん。……うんっ、ほんとに強かった。凄い強かったよ。クロも、……イヴもっ、ホント強いなっ! ホント凄いよっ!」
そしてオレイヴの体を抱え上げて走った。
あれ程の力が、この小さくて軽い体に入っていた事が信じられなかった。
―――そしてそれ以来、クロもオレに牙を向ける事をやめたのだった。
◇
その後イヴの手当を終え、リリーと女医さんにイヴを見てもらっている間に、オレは再びクロの部屋へと戻ってきた。
クロは頭まで布団を被っていたが、オレの気配を察するとひょこりと頭を出した。
もう泣いてはいなかったが、泣き腫らした目はまだ赤く、涙の筋の跡が目の周りに浮いている。
オレが声をかける前に、クロは理性的な声でオレにポツリと言った。
「父ちゃん、父ちゃんの手袋を一個頂戴」
「いいぞ」
オレは直ぐに頷きミスリルの手袋を渡せば、クロはそれを口元に当てた。
噛むでもなく、宛てたままそれを何とか顔にくっつけようと、手袋の両端を頭の後ろに寄せて四苦八苦している。
「マスクにでもしたいのか?」
オレはそう言いながら手袋の長いアームの部分と指先部分を、クロの頭の後ろで結んでやった。
クロはコクリと頷いて、その間大人しくしていた。
しっかりとそれを結んでやれば、クロは布団の中から一冊の絵本を取り出してきた。
……それはさっきこの部屋に忘れてしまっていた、クロが一番好きな絵本だった。
絵本の端は少し破れているが、あれ以上破られた形跡は無い。
オレはその絵本を受け取り、クロに尋ねる。
「読んでほしいのか?」
クロはまたコクリと頷いた。
オレも頷き、膝の上にクロを乗せると絵本を開いた。
「“ウィルとエメラルドドラゴンの大冒険”。これは少年ウィルと弱虫ドラゴンが、皆から“英雄”と呼ばれるまでの物語……」
クロのステータスを確認すれば、【飢餓】の状態から抜け出しているわけではない。
だけどクロは、黙ってオレの話に耳を傾けていた。
この話で、この家族にとって辛い一幕は落ち着きます。
次話よりまた暫くほのぼの会をお楽しみください。
そして家庭崩壊の危機にもブクマを外さす取り置いて下さり、本当にありがとうございます!
ぶっちゃけ『絶対激減するだろうなぁ』とか思ってました……。




