寂しい
※長くなってきたので、“最終章 起点回帰【邪神と呼ばれた少女は世界から溺愛される】”のプロローグから読んで頂ければ一応分かるように書いています。それ以前の話は全て“裏話”です。
《シアン視点》
クロの手術が終わり、オレとイヴはまだ器材の残る治療室へと案内された。
イヴの目もあるためか、彼方此方の台上には不透明なグレーのシートが掛けられている。
だけどその下からは、濃い血の匂いがまざまざと漂って来ていた。
マスクを外した女医さんが、部屋の中心のベットの片隅で、ホッとしたような笑顔を浮かべて立っている。
オレはイヴの手を繋ぎ、ベッドへと歩み寄った。
そこに眠っているのは、いつもより更に白い顔をした血の気の無いたった四歳の少年。
小さな体には肩まで薄いシーツを掛けられているが、そこから覗く細い首には、厚く包帯が巻かれている。
腫れた瞼を固く閉じ、強張った表情で眠る顔には、呼吸を補助する為のホースが繋がれていた。
オレが何も言えずベッドの端で立ち尽くしていると、イヴがクロに声を掛けた。
「頑張ったねぇ、クロ。起きたらまた遊ぼうね」
返事をせず眠り続けるクロ。……胸が締め付けられる思いだった。
オレが尚言葉なく立ち尽くしていると、女医さんはイヴに声を掛けた。
「そうよ、クロくんはとっても頑張ったの」
「うんー! 私ね、クロとまた湖に遊びに行く約束してるの。早く起きないかなぁ?」
「……そう。行けると……良いわね」
女医さんは少し言い淀み、何処か申し訳なさげに頷いた。
オレは不安になって尋ねる。
「……成功……したんだよな? ほんとに良くなるんだよな?」
「え、えぇ」
何処か濁したように頷く女医さん。
そしてその時、部屋の端の器材の後ろから、嗄れた老人の声が上がった。
「ちゃんと言ってやれ。それが医者じゃろが」
この手術の助手を担ってくれた、女医さんの師匠その人であった。
女医さんは一度目を伏し頷いた。
「……はい」
「な、……何か問題でも?」
「いいえ、手術自体は成功よ。ただ、手術中に使用したマナ増幅剤であるエーテルに、患者の体が過剰反応を示したの。……この子の体が“飢え”に気付いてしまった可能性があるわ」
オレはクロのステータスを確認し、女医さんに頷いた。
「……あぁ、【状態】に【飢餓】が表示されてる」
その言葉に女医さんは目を見開き、女医さんの師が鋭い目線でクロを見つめた。
「ほっ、ほっ、……まあ想定内じゃが、その中でも最悪の事態じゃな」
「どういう事だ?」
オレが女医さんに詰め寄れば、女医さんは、ポツリポツリと説明を始めた。
「この子は今後、マナ切れ状態を脱しようとマナを欲しがるわ。だけど、事前に説明していた様に、一気にマナを増やせばこの子の精神が異常をきたす恐れがある。だから少量ずつの増加しかさせられない。増やせて一日50程度が限界量。一般的に“マナ切れ状態”とは総容量の1割を切った状態を指すから、マナ切れ状態離脱まで約半年程は掛かる……」
女医さんはそこまで言うと、一度小さく息を吐いた。
そして結論を言う。
「その半年間、クロくんはずっと飢餓状態に耐えなければいけない。……そうね、貴方なら“謹慎期間中の魔物達”と言えば、その状態が想像しやすいかしら?」
「―――……っ」
オレはその状態を見た事がある。……力のある魔物でさえ発狂死する、目を背けたくなる程の壮絶な状態だ。
女医さんは眉間にしわを寄せながら言った。
「……マナを投与し過ぎれば、クロくんは壊れる。かと言ってたった四歳の子供にあの状態が耐えられるかと言われれば……私は頷く事は出来ない。……手術は成功した。だけどこれからの半年に耐えられるかどうかは、クロくん次第なの。……そして、貴方の戦いでもあるわ」
女医さんはそう言うと、まるでバトンタッチでもするかのように、オレの腕を軽く叩いて俯いた。
オレは深く頷く。クロのためなら、何だってしてやるつもりだった。
ふとその様子を見ていた女医さんの師が、突然態とらしく声を上げた。
「ではわしは帰るかのぉ。辛気臭いは苦手でな」
そう言ってひょこひょこと歩く老人に、オレは深く頭を下げる。老人も、オレとイヴの隣をすり抜けざま、深々と頭を下げてきた。
そしてその人が扉に手を伸ばした時、ふと思い出したようにこちらへ振り返った。
「そうじゃシアンとやら。近々【グリプス】に来る予定はないか?」
「え?」
【グリプス】とはグリプス砂漠の真ん中にある、地下大迷宮ダンジョンを指す。
オレは首を横に振った。
「しばらく予定はねぇな。どうかしたのか?」
「うむ……、わしの茶飲み友達の様子が最近おかしくてのぅ」
「爺さん友達なんかいたのか?」
「いるわい。あいつじゃよ。ソルトスの奴じゃよ」
「あぁ、あの爺さんか」
ソルトスとは、グリプス地下大迷宮の最下層に住む、変わり者の爺さんの事だ。
因みにこの女医さんの師に当たる爺さんも、グリプス大迷宮の中階辺りに住んでいた。
……なる程。だから“茶飲み友達”か。
オレは正直それどころではないので、片手間に話を聞く。
「あの爺さんがどうおかしいんだ?」
「喋らんのじゃよ」
「むしろ喋る方がおかしい節もあるが?」
「下らん冗談はええ。ともかく、時間があれば様子を見に来てくれ」
「あぁ、分かった」
オレが頷くと、女医さんの師はまたヒョコヒョコと扉を開けて出て行った。
それを見送ると、女医さんは言った。
「私は残るわ。クロくんの容態が安定するまで、リリーの店で住まわせて貰えるように頼んでおいたの」
「そうか。すまんな」
それからオレ達は、眠り続けるクロをオレ達の【ハウス】に運んだ。
◇◇◇
《イヴ視点》
―――あれから10日が経った。
クロがジョーイさんに手術をしてもらって以来、私はクロに会ってない。
あの日、私達の【ハウス】は模様替えがされ、寝室だった個室が“クロ専用の部屋”になった。
私とシアンのベッドはリビングに移され、寝室だった扉の部屋には鍵が四錠も付けられた。
更にリビングからクロの部屋の扉の間には、私の身長より少し高いくらいの木枠が置かれ、私はもう扉に近づく事すら出来ない。
……すぐに良くなると思ったのに、こんな事になるなんて想定外だった。
いや、寧ろ手術をして以来、逆に悪くなったんじゃないかとも思う。だってクロは手術前はすごく元気だったんだから。
あの日から、日課だった朝食の後のお散歩はなくなった。
洗濯物は室内に干されるようになり、ご飯なんかの材料はシアンが一人で、夜にこっそり取りに行っているみたいだ。
私が何か手伝おうとしても、いつも断られてしまう。
寝る時だって、クロが居ないから変な感じがして、なかなか寝付けない。
そんな時、シアンが出て行く気配を感じると、たまらなく寂しくて、怖くなる。
でも泣かない。私はお姉さんだから……。
今日も部屋の隅で一人積み木で遊んでいると、シアンがクロの部屋から、空になったお皿を持って出てきた。
そして私に声を掛けてくる。
「イヴ、お待たせ。オレ達もお昼ご飯にしようか」
「うんー!」
私はすぐさま立ち上がり、シアンの足にしがみついた。
「おっと! はは、最近素直に準備ができるな。ちょっと待ってろ。今上着を脱ぐから」
シアンはそう言って“クロの部屋に入る時用”の灰色の長いローブと、同じく灰色の長い手袋を外した。
私はシアンにしがみついたまま、小さく言う。
「シアンも一緒に遊ぼ?」
「ん? これからご飯だろ?」
「じゃあ、食べ終わったら遊ぼう」
「ごめんな……、またクロの様子見て来なきゃ」
「じゃあ、イヴもクロのところ行く。クロと遊ぶ」
「クロはまだ遊べないんだよ。……あ、そうだ。じゃあルドルフを呼ぼうか。アイツに遊んでもらおう、な?」
「……」
ルドルフは好きだ。
だけど、今はシアンと遊びたいの。私はシアンと、クロと遊びたいのだ。
絵本でもお絵かきでも、積み木でもブロックでも、なんでもいい。
なんでもいいんだよ。
シアン達の好きな事、何してもいいの……、だから。
だけど私が首を振ってイヤだと言う前に、シアンは指で光の魔法陣を空中に描き始めた。
「ほら、ルドルフ呼ぶぞ」
その時ふと思った。
……シアンは、私と遊びたくなくなっちゃたのかな?
私はシアンに嫌われたくなくて、慌てて頷いた。
「―――……うん。ルドルフと遊ぶ。ルドルフ大好きだから」
「そっか」
私の言葉にホッとしたように笑ったそのシアンの笑顔を見た瞬間、私はとうとう泣き出した。
◆
《シアン視点》
「……で、何で泣いてんだ?」
ルドルフに言われ、大泣きするイヴにオレは首を傾げた。
「何でだろう? さっきまで機嫌よく積み木で遊んでたんだ。そして飯にしようって言ったら、飯の後遊びたいって言うからお前を呼んでさ。あ、別にお前のせいでもないぞ? だって『遊ぶ』って言ってたし『ルドルフ大好き』とも言ってたんだ。そしたら何故か急に……」
「な!? 俺が……大好きだと!?」
「うん。言ってたぞ」
「馬鹿野郎! 何で録音しとかねぇんだ!!?」
「お前が馬鹿だよ! んな急に出来るわけねぇだろ!?」
突然ブチ切れ出したルドルフに、オレは怒鳴り返した。
「うえぇぇぇぇぇ……」
「はいはい、イヴたん。泣かないで、大ちゅきなおうまたんと遊びましょーねぇ」
……コイツ……誇り高い聖獣のくせに、今自らを“馬”と言い切ったぞ?
「うえぇ……ヒック……あぞぶぅうぅ……」
「昼ごはんは?」
「おべんどうぅぅがいいぃぃ……ヒック」
「はいはい」
そしてイヴは、お昼ご飯のサンドイッチをバスケットに入れ、泣きながらも楽しそうにルドルフと出かけていった。
本当に、子供って謎だなぁ……。




