決断
ちょっと重い回です……。 すみません!
その夜リリーの酒場を訪ねたオレは、女医から提示された診断書のあまりの内容に、震えながら目を見開いた。
「―――いや待てよ。……クロを……【魔物化】するだと!?」
それからオレは、酒場のカウンターに広げられた書類の束をはたき落とし、テーブルを力任せに叩いた。
「ふざけんな!! アイツは人間だぞ!?」
女医はそんな威嚇に欠片も動じず、書類に何かを書き込みながら何でもないように淡々と答える。
「まぁ数値的にはもう人間じゃないけどね。それで容量はまた増えてたんでしょ? 昨晩からいくつ増えてたの?」
「……92」
「人間の成人が持ちうるマナを、軽く超える数値ね」
女医はまた、何かをボードの書類にカッカッと書き込んだ。
オレはまた女医の診断に抗議をあげる。
「いやだけどっ、なんでいきなり【魔物化】になる!? あり得ないだろ!」
「あり得ないのはその子供の方よ。もう既に高位の魔物や聖獣に匹敵するマナの受け皿を持っていて、今尚その容量は増え続けている。更にはマナ切れ状態でも、何ら支障無く生活出来るタフさを兼ね揃えてね」
いやいや、確かにそうかもしれない。それでも……
「でも、そこまでしなくても良いだろ。現にクロは……元気だ……普通の子となんにも変わらないのに……」
縋るようなオレの言葉に、女医は書類から目を上げてオレをまっすぐ見た。
「今はね。だけどこのままだと、もし無事に彼が成人したとして、その頃には彼の容量は数千万を凌ぐ限界値を迎える事になる。並の八百万の神々程度なら凌ぐ力ね。そうなってはもう、もはやエリクサーすらなんの足しにもならない。そしてそれを前提に考えて見て? ……そんな彼が【マナを食らう】事を覚えたらどうなる? 自分が今、飢えているという事に気付いてしまったら?」
「そんな事っ……」
返す言葉が見付からなかった。
女医は黙り込むオレに尚も続ける。
「私の知人が言ってたわ。『最悪を想定し、先に手を打つ準備をしろ』……私の想定する今件の“最悪”は、何れあの子が、その飢えを凌ぐ為に“何か”を喰らい始めるという事態。それは【人】かもしれないし、【魔物】かもしれないし、この【世界】そのものかも知れない。……まぁ喰らったところで、大したマナの生成ができるわけでも無いんだけど」
「……そんな事、オレがさせない……」
「空腹に気づかせないように、一生目を離さず見張ってるって? まぁ過保護だこと。また過労で倒れるのが目に浮かぶわね、Mrガラスのハートさん」
「……」
女医はリリー達が面白がってつけた不本意なあだ名でオレを呼び、挑発して来る。
そして氷のような視線で、オレを見据え言った、
「―――甘いのよ、貴方は」
何も言い返せない。それでもオレはただ女医を睨んだ。
何を言われようが納得できるはずなんか無い。他に方法もあるはずだ。
女医はそんなオレに肩をすくめ、一枚の人体模型が描かれた図を取り出す。
そしてペンでそれを指しながら、嫌味のない声で説明を始めた。
「……それに、何も全てが変わってしまうわけじゃない。変えるところはここ、消化吸収器官を主とした内臓の七割と骨髄よ」
女医は、サラサラといくつかの臓器をペンで丸く囲みながら言う。
「本来高位の魔物や聖獣が保有している、膨大なマナはどこから来てどうやって維持しているのか? ま、当然外部からの吸収よ。【聖獣黒麒麟】の獣王ルドルフ様だってそうでしょう? 木や水、空気や土からもそのマナを啜って生きる。それに対し人間は、マナの直接の摂取が出来ず、体内で生成した物しか自分の持ちマナに出来ない。非効率な造りの生物なのよ」
カウンターの角で、ニコニコと笑いながら様子を見ていたリリーが頷いた。
「そうね、だから人間は美味しいの♡ 透過された雑味の無いマナはクセがないのにコクがある。大した力もないのに、魔物に狙われる一番の原因よ」
知らねぇよ。
オレはリリーに一瞥だけくれると、また女医の手元に目を落とした。
「だから彼の身体の中身を、私と師デュポソの開発した魔物の細胞をベースとした【人造臓器】に入れ替える。因みに聖獣の細胞はと言えば【神の呪い】があるから却下ね。そして骨髄も移植し、魔物に近しい血や体液を生成できるようにする。それで、拒絶反応で内蔵が腐り落ちることは防げるわ。……とは言え、身体に馴染むまでの一年程は透析生活になるけどね」
「残るのは、肉と感覚器官……後、脳ね♡ たくさん残るじゃない」
そんな不謹慎なリリーの発言に、オレは思わずリリーを睨む。
「まぁ怖い♡」
……いや、言っても無駄だ。リリー達はそういう奴等なんだから。
オレはまた女医に視線を戻した。
「大手術になるわ。でもそうやって身体を作り替える事によって、魔物達同様外部からの直接的克つ効率的なマナの吸収が可能になる。そうして体内のマナを患者のペースに合わせ、負担なく徐々に増やさせる。後は同時に希釈エーテルの服用も行えば、半年程で精神負担をかけずマナ切れ状態から脱出させる事ができ、以降も枯渇に陥らない様に自身での管理が可能になると予想しているわ。そしてこれが、私が診た結果からの【執刀計画案】よ。受ける?受けない?」
女医は書き込み上がった人体図解に、自身のサインをすると、オレに差し出してきた。
……言ってることは分かる。
このままじゃ危険な事も、手術の必要性も分かるんだ。
でも、やっぱり間違ってる。
人は人として、生きるべきだ。そうあるべきなんだよ。
オレは差し出された紙を受け取ることなく、声を絞り出した。
「でも……あの子はっ人間なんだ……」
「ならどうするの?」
間髪入れず返された言葉に、オレは女医の目を見る。
「え……」
「あの子は人間で、子供で、あなたは親で、私は医者。今のあの子に、この件に関しての選択権は無いわ。親が無ければ生きられない、今のあの子の未来を決めるのはあなたよ。エゴだろうが親心だろうが、あなたが決めるのよ。その一言で、あの子の未来の全てを」
―――オレが、クロの未来を?
「違う。クロの人生はあいつのもんだ。クロにも意思はある。クロに……」
頭の中でぐるぐると色んな事が渦巻きながらも、オレは首を振って否定する。
だが女医はオレに書類を押し付ると、自分の髪を払いながら言った。
「逃げるんじゃないわよ。意思はあろうがあの子はまだ四歳児。判断能力なんて無いわ。―――“始めの親”は、知ってか知らずかあの子を捨てることに決めた。でも私はその人達を責める気はないわ。だってこのままだと、何れ腹を空かせたあの子に食べられるもの。自分達を生かして“人間のままでこの子が生を終わらせられる可能性”を彼らは与えたの。仁義はともかく、結論だけ見れば合理的判断よ」
「……」
ふと、昔同じように諭された事を思い出した。
“―――善悪は、等しくそこにあるんだ……”
……でもオレにはそんなの無理だ。
「さあ、“二番目の親”も決めて頂戴。また前の親のように捨てるか、あの子に食べられるか、あの子を魔物に変えるか」
「っ……」
―――……人間を魔物に変える。
かつて人間は、一体の魔物を生み出したことがある。
その魔物の名は【キメラ】と言う。
キメラが誕生した時、そしてその存在が神々に認められたその時から、合成獣の合成成分に【人間】が交じる可能性はあった。
神に憧れた愚かなマッドサイエンティストが生み出した悲しい魔獣キメラを、神々は祝福した。
そしてその人の業を、神は寛容に笑って許され受け入れられた。
その時から、人間は魔物を生み出せる権利を得ていたのだ。
……そして奇しくもこの女医は、そんなキメラを生み出した男の弟子……。
……人が魔物になることは可能。
―――可能性はあったけどもっ……、なんでクロなんだよ……っ。
そもそも何も知らないあの子の存在を、オレの一言で作り変えるってなんだよ?
あいつはなんて言う? 今は何も分からないかもしれない。
だけど大きくなった時、クロはきっとオレを恨む。
そして真実を知ったクロは、オレに言うんだ。
『よくも化物にしたな』って。
憎しみの籠もった目でオレを睨む青年クロの姿が、一瞬脳裏に浮かんで、すぐに消えた。
そしてオレは決めた。
「―――決めたよ女医さん。クロに“手術”してやってくれ」
オレはクロの、人間としての存在を消す事を決めた。
「いいのね?」
「ああ」
だってさ。
それでもオレは、そんなでっかくなったクロの姿を『見たい』と思ったんだ。
その為なら、恨まれても……まぁいいかな、なんて思ったんだ。
へたり込み、自分勝手なその決断への罪悪感に頭を抱えた時、ポツリと女医がオレに言った。
「……辛い選択を強いてごめんなさい。尽力するわ」
……そうだよ。
女医さんが悪いわけでも、決して無いんだ……。彼女だって、助けたいだけ。
「執刀は明後日よ。リリーの宿を改装して物資を運び、準備を進めるわね」
◇
次の日の朝食の席で、オレはニ人にそれを告げた。
「クロにな、昨日の検査で少し悪いところが見つかったんだ。……だから明日、女医さんに手術してもらおうか」




