ジョーイさん
《イヴ視点》
「リリー、パンとハムが欲しいの」
空が薄っすらと明るみ始めた朝、私はクロを連れ立ってリリーのお店を訪ねた。
リリーは間髪入れず扉を開け、出迎えてくれた。
「あらイヴちゃんにクロくん♡ おはよう」
「おはようリリー」
クロが答えたのを見て、私はあいさつを忘れていた事に気付いて少し口を尖らせた。
昨日シアンが倒れた時も、私は泣いてるだけでクロはシアンを助けるためにリリーを呼びに行った。
私の方が“しっかりしたお姉さん”なのに……。
リリーは私があいさつをしなかった事なんか気にも止めず、聞き返してきた。
「それでパンにハム? 勿論構いませんわよ。ですがシアン様は? いつもならとっくに起きて、朝食の準備は勿論、洗濯まで終わらせているはずですのに」
「まだ寝てるの。だからね、今日はおれたちでごはんの準備をしてあげようって、イヴと決めたの」
「あらぁん♡ シアン様は四歳の子供にお世話をされてしまうのですね……素敵♡」
リリーはそう言って、店内に戻って行った。
……と言うか、朝ご飯はクロの案だ。
私はシアンが寝坊をしてたから、起こしてあげようとした。だけどクロは、ごはんの準備をしてびっくりさせてあげようと言ったのだ。
そこで私は、ふと昨日シアンが倒れたことと、前にシアンが『体調が悪いときは、遊びたくても無理せず寝てるんだ』と言っていたことを思い出した。
だから、シアンはきっと今日寝てなくちゃ駄目な日なのだ。
その時リリーが、2つの籠を手にお店から出てきた。
「はい、お待たせ致しました。パンとハムと、おまけでフルーツサラダも入れておきましたわ。持てるかしら?」
私とクロはホッとして頷き、それを受け取った。
「「ありがとうリリー!」」
声を揃えてそう言えば、リリーは嬉しそうに手を振った。
クロはそのまま階段へ駆け出し、私も後を追おうとしたが、ふと気になって足を止めた。
そして振り返ってリリーに尋ねる。
「―――……ねぇ、リリー。お金はいいの?」
冒険者さん達が、リリーに何かを貰う時はお金を払っている事を知っていた。
だけどリリーは私とクロ、そしてシアンには何も言ってこない。
リリーは笑顔で私の頭を撫で、オデコにキスをして来た。
「ええ。覚えてないかも知れませんが、私は返しきれない程の物を、あなたから既に受け取っておりますの。だからお気になさらずとも宜しいのよ」
私は首を傾げた。
「えー、リリーにパンをあげたことはないよ?」
「いえ? パンも、水も、その他も全て頂きましたの。ありがとうね、イヴちゃん。そして大好きよ♡」
リリーはそう言って私をぎゅっと抱き締めた。
私がパンやお水をあげた? 全く覚えが無い。リリーはきっと何か、勘違いをしてるんだろう。
だけど、温かくて柔らかいリリーに抱きすくめらたことは嬉しかった。
その時、階段の上からクロの声がした。
「イヴー! 早くー!」
リリーはパッと回していた腕を放し、私はリリーにもう一度お礼を言って走り出した。
「ありがとうリリー。私もね、リリーが大好き!」
リリーが驚いた顔をしていたけど、クロが待っていたから私は階段を駆け上がった。
「―――……グフゥ……っ♡」
ふと後ろから変な声がした様な気がして振り向けば、リリーが鼻を抑えて片膝を突き踞っていた。
「イヴー!」
「はーい!」
まあ、結構あることなので、私は戻る事なくクロの呼び声に答えて走った。
そしてやっと上を言ってたクロに追いついた時、樹の下から女の人の声が私達を呼び止めた。
「……あ! もしかしてイヴちゃんとクロくん?」
声につられて下を見れば、そこには私の“憧れのお姉さん”であるジョーイさんが居た。
私は思わず嬉しくなってまた階段を駆け下りた。
「ジョーイさん! 来てたの!?」
「あっ、待ってよイヴ!」
クロも続いて駆け下りる。
私がジョーイさんのスカートにひしっとしがみついて、ご挨拶をした。
「おはようジョーイさん! わぁいジョーイさんだぁ!」
「おはようジョーイさん!」
「ふふふ、おはようイヴちゃん、そしてクロくん。相変わらず破壊力が半端ないわね」
ジョーイさんはそう言って私の頭を撫でた。
ジョーイさんはお医者さんだ。
シアンの体を検査したり、私やクロがお熱を出した時に診に来てくれたりもする。
背格好はリリーと比べれば小柄で細い。でも背筋がまっすぐした“淑女”なのだ。
前はよく縦巻きロールヘアーをしていたけど、最近は長くて金髪のきれいな髪をゆったりと編み込んで、前に垂らしている事が多い。今日も編み込みだけど、どちらも良く似合っていて、いつも素敵だと私は思う。
そんなジョーイさんの事をシアンはよく『凄い女性』と言っていた。
しかもシアンの机の引き出しには【ジョーイさんそっくりの人形】がこっそり隠されている事を私は知っている。
きっとジョーイさんはシアンにとっても【素敵な女性】なんだろう。
だから私も、ジョーイさんみたいな女性を目指す事にしたのだ。
私はジョーイさんを見上げて尋ねる。
「ジョーイさん! またシアンの診察に来たの?」
「ええ。それから今日は二人も診るつもりよ。……シアンは?」
「まだ寝てる」
私が答えれば、ジョーイさんは可笑しそうに笑った。
「あらそうなの。お寝坊さんね」
「うん! だからね、私とクロでご飯の準備するの!」
「まぁ偉い。じゃあ忙しいのに呼び止めてしまってごめんなさいね。またシアンが起きて朝ご飯を食べたら、一緒にお話しましょうか」
「うんー!」
私が頷けば、ジョーイさんはニコリとしながらまた背筋を伸ばし言った。
「リリーのお店にいるわ。急がなくていいからね」
私はコクコクと頷き、今度こそ階段を駆け昇った。
◆
《リリー視点》
子どもたちを見送ったジョーイを、私は店に招き入れた。
「早かったわね、ジョーイ様。何か飲む?」
「御機嫌よう、リリー。ではお水を頂こうかしら」
「ふふ、“紅茶”では無いのね」
「ええ、それは別の方と約束があるからね。では早速だけど、今の内に“シアンの体調管理表”を見せて頂けるかしら?」
私は頷き、戸棚から分厚い書類の束を出した。
「どうぞ♡」
ジョーイは受け取り、私が記入してきたその数値を片っ端からチェックしていった。
書類から目を上げることなく、ジョーイは言う。
「流石リリーね。よく書き込んで下さってるわ」
「仕事ですもの♡」
「ふふ、ありがとう」
私はグラスに水を注ぎ、ジョーイの邪魔にならない場所にコトリと置いたが、ジョーイは手をつけず、一心に書類を捲っていた。
暫く沈黙が続き、ようやく書類から顔を上げた時、ジョーイは初めて水を飲み息を吐いた。
そしてそれを鞄に仕舞い、代わりに新たな未記入の書類の束を出しながら言った
「問題ないわ。昨日の件については瞬間的なダメージね。転倒時の数値も、危険レベルは超えてないから大丈夫よ。しっかり睡眠をとって回復させれば、直ぐに精神も安定して持ち直すわ」
「そう。なら良かったわ♡ なんせ今“しっかり”眠ってるみたいだもの。子供達の外出に気付かない程にね」
私がそう言えば、ジョーイはニヤリと笑った。
「効果抜群でしょ?」
そう。それはこのジョーイの処方した薬のせいだった。
とは言え、昨晩シアン様に渡した錠薬は単純に体力を回復させる成分しかない。
ジョーイが言ったのはもう一つの薬、睡眠薬の事だ。
私は笑顔で頷いた。
「えぇ♡」
ジョーイも満足げに頷き、少し悪戯っぽい可愛らしい笑顔を浮かべながら聞いてくる。
「ねぇリリー、どうやって飲ませたの? 警戒心の強いあの人に」
私は口に指を宛てながら笑った。
「簡単よ。お酒に混ぜたの。お茶だとあの人“茶利き”とか訳のわからないこと言って言い当てちゃうでしょ?」
「あー、ね。だけど“育児パパ”にどうやってお酒を?」
「んふふ、ちょっと煽ってあげれば、簡単に飲み干したわ。単純よねぇ〜♡」
私がそう打ち明ければ、ジョーイは非難どころか手を打って喜んだ。
「さっすがリリー。貴女に薬を任せて正解だったわ♪」
楽しそうにコロコロと笑う彼女が、とても可愛らしく思えた。
「その手腕、本当にご教授願いたいものね」
そう付け加えてきたジョーイに、私はふと悪戯を思い点く。
「うふん♡ なら御礼も兼ねて、貴女にこれをあげるわ♡」
私は胸の谷間から、小さなハート型の小瓶を取り出した。
中には輝くピンク色の液体が揺れている。
「何かしら?」
「うふふ♡ 惚れ薬♡ 気になる殿方に飲ませれば、魂ごと永遠に貴女の虜にできるわ♡ 私が作ったから、効果はお墨付きよ♡」
大抵の人間はこれで引く。
内心怯えながら笑い流し、受け取る事はしないのだ。
だけどジョーイはじっと薬を見つめて微笑んだ。
「魂まで……? ふふ、いただくわ」
躊躇なく差し出された手に、私は小瓶を乗せて尋ねる。
「あらぁん♡ 誰に使うのかしら? シアン様? ジョーイ様となら大歓迎でしてよ?」
「まさか。既婚の子連れに興味は無くてよ。ふふふ」
……まあこの娘の趣味の悪さは知ってる。センスはいいのに本当に、そこだけは残念な娘だ。
でも私は笑う。だってその残念さが、私達の“天敵”の弱みを握る事に繋がるかも知れないのだから。
「あら残念。でも頑張って? うふふふふふ♡」
「おほほほほほほ……」
ジョーイ。貴女の度胸に、私達の命運を託すわ♡
《シアン視点》
「ぐっむむっ………ううんん………っっはぁ!!?」
背筋の凍るような凄まじい寒気を覚え、オレは目覚めた。
飛び起きて辺りを見回せば、窓からサンサンと明るい光が射し込んでいる。
「やっべ。寝過ごした……」
オレが呆然と窓の外を見詰めていれば、横腹にボフンと衝撃を受け、視線をおろした。
「シアン!」
「父ちゃん、起きたー!」
「シアン大丈夫? 大分うなされてたけど」
イヴとクロ、そしてロゼが団子になってオレを見上げていた。
ヤバい……かわい……じゃなくて、朝食の準備もまだだ……。
オレは膝の上に乗ってきてるイヴとクロの頭を撫でながら謝った。
「……ゴメンな、寝過ごした」
「「「いいよ!」」」
「……っ」
きれいにハモった三人。オレは心の声に従って、その団子を抱き締めた。
そしてさっき見た悪夢のような物についてはもう、二度と思い出すことは無かった。




