稽古試合の見学①
《イヴ視点》
「……なん……ですか、これ……」
私の後ろに座っていたロロノアさんが、シアンとガラムおじさんの稽古試合を見て呟いた。
そして私はまた、地面に叩きつけられたシアンに目を向ける。
稽古試合が始まって五分、天蓋の中は緊張に、みんな固唾を飲んでいた。
◆
―――試合が始まるまでは、とても和やかだった。
私とクロはリリーに呼ばれて走り、、天蓋の下に準備されたふわふわのソファーに跳び乗った。
リリーが真ん中で、私とクロはその左右に分かれて座る。
ソファーの両サイドには、サイドテーブルが置かれていて、そこには結露の雫の浮いた蓋付きコップが一つずつ置かれていた。
「ピンクのストローはアイスココア、ブルーのストローはレモネードよ」
「私ココアがいい。クロはレモンが好きだからレモネードをあげるね」
「うん! ありがとう」
「あらーん♡ 私が準備したのに、全部イヴちゃんに持って行かれちゃったわぁ♡」
「リリー、僕のは?」
「勿論、りんごジュースを」
「うんー! ありがとう!」
「……っあふん♡ こ、これに二十四時間耐えるなど……流石シアン様ですわっ!」
リリーが口元を押さえて震えている。
よくある事なので、私達は気にせずジュースを手に、リリーの隣に詰めて座った。
するとその時、突然リリーは私達の頭を抱えこんで、スイカみたいな胸に押し付けた。
「こっ、子供体温っ! ちっちゃいっ! 温かいっっ」
私とクロの後頭部が、リリーの胸に沈む。
「リリーやめてよ。ジュース溢しちゃうでしょ」
「そうだよ、リリー。おれ達は子供だから、大人より熱いのは当たり前なの。大きくなってるからだって、父ちゃんがそう言ってた」
そう言って私とクロは、スイカのような胸を押し退け、またジュースを啜る。
「そ、そうですわね。ごめんなさいね……。意外とクールだわ」
「……すげぇ……。クロのやつ、リリーちゃんのおっぱいに動じねぇ」
「う、羨ましすぎる……」
後ろでは、冒険者の人達が何かブツブツと呟いていた。
私は座り直して、シアンとガラ厶おじさんに目を向ける。
シアンは冒険者の人達が飛ばす野次を特に気にすることなく、ガラムおじさんに短剣を構えた。
ガラムおじさんは、そんなシアンを面白そうに一瞥したあと、こちらを向いてリリーに声を掛けた。
「この木材を貰うぞ」
そう言って、手に取ったのは、冒険者さん達が前に森から切り出してきていた丸太。
「ええ、どうぞ♡」
リリーが笑いながら頷くと、ガラムおじさんは近くにおいてあった斧でそれをササッとカットした。
ものの三秒で、丸太は木剣に姿を変える。
「……え? あの人、……何をしたんですか?」
ロロノアさんが驚いたようにそう言ったから、私は説明してあげた。
「ガラムおじさんはね、昔“鍛冶屋さん”をしてたの。あと、山に籠もって“しがない木彫り師”をしてた事もあるんだって。だから、丸太から剣を作れるんだよ」
「―――……え? そ、そうなの? そういう物なの?」
「うん!」
私は上手く説明できたことに満足し、またジュースを飲んだ。
また前を見れば、ガラムおじさんは出来上がったロングソードみたいな木剣を、重心を確認する為にくるくると投げ上げている。
そして問題ないとでも言うように頷くと、剣先をシアンに向けた。
「待たせたな。どこからでも来ていいぞ。……ウォーミングアップが必要とか言うなよ?」
―――ザワっ……
ガラムおじさんから、お肌のピリピリするような気配が立ち昇った。
戦う準備のできた人から出る“覇気”と言うものだとシアンは言っていた。
冒険者さん達の野次が静まり返る。
私はふと気付きソファーに膝立ちになると、後ろを向いてロロノアさんをつついた。
「ロロノアさん、息しておかないと倒れちゃうよ?」
「っは、……え……!?」
ロロノアさんは青い顔で私を見た。
私は頷き、また前を向いて座る。
初めて見る人は、結構これで倒れてしまう人が多いのだ。
シアンは額に汗を浮かべながら笑って言い返す。
「はは、まさかっ、……いつでも動けるくらいの準備は……常にしてますよっ」
ガラムおじさんは笑って頷き、シアンに言った。
「うむ。……なら、来いっ!!」
同時に、シアンが踏み込む。
一撃目、ガラムおじさんの脇を抜けたシアンは背後から首の後ろめがけてナイフを突き立てた。
冒険者さん達からどよめきがあがる。
「おおっ!!」
「いきなり急所かよっ、相変わらず訓練じゃねえなぁ!?」
だけどその短刀の軌道を読んだガラムおじさんは、手首のスナップを効かせ木剣を回し、シアンのナイフを側面から払い飛ばした。
木剣なんて、シアンのナイフに触れたらスッパリ切れてしまう。だからガラムおじさんはシアンのナイフを正面から受け止める事はできないのだ。
だけどガラムおじさんの重心の乗った払いは、シアンの刺突を大きく横に払い飛ばし、シアンの正面はがガラ空きになった。
ガラムおじさんはツーステップで躊躇なくシアンの胸を蹴り飛ばす。
「グッ!?」
胸が潰され呻きが上がり、シアンはよく弾むボールの様に、後方に飛んでいった。
でもガラムおじさんは大地に蹴り上げた足をつけると同時に、地面を踏み砕きながら吹き飛んだシアンを追う。
シアンは地面にぶつかる直前、宙返りで大勢を変え、地を蹴って、上へとガラムおじさんを避けた。
土煙が上がり、付近の木々が蹴られて揺れるその場で、ロロノアさんが独り言のように呟いた。
「―――……も、……木剣……て、意味なくないですか?」
ジルさんが肩を竦めてそれに答える。
「ねぇよ。あんなモン、ハンデ以外の何物でもねえ。あいつらにとっちゃ、タンポポの綿毛を持って、それを飛ばさないように野原で追いかけっこをしてるようなもんだ」
「タンポポ……? ま、待ってくださいジル先輩……。たぶん、これ! そんな和やかなもんじゃないですよ!!? 目を覚ましてくださぁぃ!」
「はっはっはっはっは!」
笑うジルさんに、ロロノアさんは諦めたように肩を落とし、目を擦りながらまたシアン達を見る。
「……なん……ですか、これ……。最早動きが見えないですよ……」
……見えないの?
私が首を傾げ、シアンに目をやったその時、すごい音と一緒に目の前にシアンが落ちて来た。
どぉんと言う大きな音とともに、地面が少し沈み込み足元が揺れる。
更に続いて、折れた太い木の枝がこっちに落ちて来た。
ロロノアさんが震えながら悲鳴を上げる。
「ひゃぁ!?」
でもその木は天蓋にぶつかる前に、リリーがニコニコと笑いながらノーモーションで魔法を放ち、弾き飛ばした。
「はっはっはっはっは! 心配すんな。“大魔法使いシアン”がちゃんと防護壁を張ってくれてる。俺たちの所までダメージは来ねえよ!」
そう笑ったのはジルさん。……だけどこの天蓋を防護してるのはシアンじゃなくてリリーだ。何を言ってるんだろう?
私が不思議に思い首を傾げたその時、地面で呻いていたシアンが、突然横に転がった。
次の瞬間、ガラムおじさんが上から飛び降りてきて、さっき迄シアンの居た地面を大きく刳りながら踏み抜いた。
「うわぁ!?」
「ちっ、近い!!」
天蓋の中の冒険者さん達は、後ずさりどよめいた。
ガラムおじさんは気にせず、転がるシアンに木剣を突き立てようと追いかける。
転がりながら追い込まれ、シアンに私はハラハラとしながら、心の中で呟いた。
―――……っなんで起きないのよ、シアン。そんな体勢で逃げてたら負けちゃうよ。
私はもどかしくて手を握りしめていると、突然隣のリリーが叫んだ。
「シアン様ぁー♡♡ がんばってぇー♡♡」
「!?」
私はリリーを見上げ、尋ねた。
「どうして叫んでシアンを呼んだの?」
リリーは私の頭を撫でながら言った。
「“応援”っていうの。心の中でも声に出してでもいい。頑張ってほしい気持ちを言うのよ」
すると一緒にそれを聞いていたクロが、大きく息を吸い込んで叫んだ。
「父ちゃん、頑張れぇー!!」
それを皮切りに、冒険者さん達も叫びだす。
「そ、そうだっ! シアン教授頑張ってください!!」
「いいやガラム!手加減はいるが容赦なくやっちまえ!」
「うおぉ――! ガラムぅー!!」
「シアン! 距離を取れっ!! 頑張れよぉ」
私も真似して叫んでみた。
「シアンっ! 立って! 地面の上じゃ駄目っ! 木の上がいいの!」
私の声に合わせて、シアンが跳ね起き、木の上に大きく跳躍した。
なんだか、心が繋がったみたいな気がして嬉しかった。
そして私はまたみんなと一緒に“応援”をした。
◆
《ガラムおじさん視点》
一時は静まり返っていた外野が、またうるさく囃し立て始めた。
イヴも一生懸命こちらに叫んでいる。
「シアンっ! 立って! 地面の上じゃ駄目っ! 木の上がいいの!」
微笑ましく思った。
そしてその一瞬のすきに、シアンは立ち上がり、跳躍して木の上に飛び上がった。
―――木の上は少し厄介だ。
魔法を使わないと言うハンデの中で、足場を強化できない踏み込みは、威力が十分の一以下になる。
この地上なら、柔らかい腐葉土質の地面とはいえ、下に岩盤があり支えられるが、木の上はそうも行かない。
うまく衝撃を殺さなければ、着地だけで足場を踏み壊してしまうのだから。
とはいえ、じっとしてるわけにも行かない。
私もすぐに跳び上がり、シアンを追った。
すぐに地上から声援、歓声が上がる。
イヴも、楽しそうに声を張り上げていた。
「シアンー! 撹乱はいい! 打って!!」
力の及ばない者が、強者と相対する際、撹乱しながらの攻め込みは基本だ。
だがイヴは攻めろと叫ぶ。
「手数を増やしてっ! フェイント少ないっ、木から落とすつもりで叩き込めぇー!」
……。相変わらず、戦闘に関すれば尚お楽しそうだ……。
私はシアンの放った風の刃をいなしながら、そう声援を送るイヴに和んでいた。
シアンは大振りの回し蹴りをしてきたが、容易に私が防げば、カウンターを警戒し飛び退いた。
すかさずイヴが悔しげに……いや、もはや怒声に近い声を上げた。
「シアンっ、だから手数が少ないぃ! 一発じゃ無くて、そこは五発だよ! なんで続けて蹴り込まないのぉ!? 距離取る必要ないって、シアン! その短刀は飾りなのぉ!!?」
……存外に的確なその指示に、私はイヴに視線を向けた。
―――そしてその時、シアンの動きが変わった。




