仔等の仕込み準備①
本題に全く関係のないところで、何とも言えない微妙な空気が支配するその場で、ポツリと救いの声が上がった。
「―――……五百年後、ですか」
神獣達に付き添ってきた、ハイエルフだった。御年千七百八十歳を迎えるハイエルフ達を取り纏める長。
ルシファーは、瞬間少し寂し気な顔をハイエルフに向けた。
だけどハイエルフは微笑み、目を閉じた。
「お優しいですね、ルシファー殿は。そうですね。お察しの通り、私はもうその五百年を越えることはできません。それが私達【ハイエルフ】という種ですから」
ハイエルフの寿命は最長で二千年。この長はもうその“時”に立ち会えない。
ハイエルフは穏やかに笑いながら頷いた。
「心配せずとも【次の代の私】がきっとその結末を見届けます」
何とも声を掛けられずにいるルシファーとは裏腹に、マスターは同情をかけらも出さず言い放つ。
「いや、そんな呑気に言わないでよ。千五百歳超えと、五百歳未満のその戦力や知力は歴然なんだ。ハッキリ言って若いハイエルフ様なんて、大した力もなく役に立たない」
「っレイル、お前!!」
「良いのですよ、ルシファー殿」
ハイエルフは挑発に乗らず、ルシファーを宥めた。
流石ハイエルフ種の長ともなれば、落ち着きが違う。
怒りを見せず穏やかに笑うハイエルフに、ルシファーは尊敬の籠もった眼差しを向け、マスターは口を尖らせ睨んだ。
ハイエルフは静かに告げる。
「良いのです。事実ですから。私に出来る事は、未来を祈ることだけ。実際に立ち会われるのはあなた方です。そこに私は居ません」
「その超越感、気に入らないね。言っていいんだよ? ハイエルフ様方は、厄介事を押し付けた僕を鬱陶しく思ってるんでしょう?」
その挑発的な言葉にも、ハイエルフは首を横に振って笑った。
「まさか。賢者殿がスーパー宝貝を押し付けてきたのは、賢者殿がそれこそ未だ五百歳にもならぬ、若く幼かった時代。そして私などは生まれても居なかった時代。かつてはどうあれ、今の私はあなたを恨んでなどいませんよ」
「っ」
マスターの瞳に、苛立ちと侮蔑の籠もった仄暗い光が灯る。
だけどハイエルフは気せず、胸の前で祈りの印を切り言った。
「どうか賢者殿にも、世界樹様の福音が響きます事を願っております」
―――あ、俺? “福音が”って、葉っぱの揺らぎ音の事で良いのかな?
「いいよ、任せて! ……あ、だけどごめん。今、俺は落葉中だった」
俺は喜々として声を上げたが、すぐに今それが不可能な状態である事に気付いた。
ハイエルフは『しまったっ!』みたいな顔で、俺を見上げる。
そしてマスターに至っては、先程より数倍深い皺が眉間に刻みつけられた顔で、俺を見上げてきた。
俺は慌てて言い募る。
「ごめんね、がっかりさせてしまって。あと2日程度で(葉っぱが)生え揃うと思うから、少しだけ待ってもらえる?」
「……いえ、(福音)いりませんし、(がっかり)してませんし、待ちませんので気にしないで下さい」
「―――なるほど、全否定と言うことだね。……全く、俺の守護者であるマスターは、一体俺を何に目覚めさせたいんだい?」
「っ何を仰ってるんですかっっ!?」
俺が笑いながら冗談を言えば、マスターは全身を震わせ怒鳴ってきた。
その目の奥からは仄暗い光は消え、代わりに怒りの闘志が燃えている。
俺がハハハと笑っていなしていると、マスターは肩をすくめ、またハイエルフに向き直った。
「……相変わらずハイエルフ様は綺麗事ばかりだ。まぁ、どちみち聖域から出られない者には、出る幕なんかないだろうね。僕はこの後【ダークエルフ】の所に行く。ハイエルフ様達よりかは役に立つだろうからね」
マスターがそういった瞬間、ハイエルフの長の澄んだ瞳の奥が揺れた。
「……ローレンの所へ?」
「そうだけど何か?」
「いえ、……手紙を届けて頂けませんか?」
ハイエルフの頼みに、マスターがニヤリと笑った。
最早悪役にしか見えないその表情。
ルシファー辺りがハラハラとしながら見守る中、マスターは直ぐに答えた。
「もちろん良いですよ。明日の夕方にここを立ちますので、午後までに持って来てください」
「分かりました。ではお願いします」
ホッとしたように微笑むハイエルフ。
マスターは笑顔を浮かべ頷き、一同はざわ付き始めた。
そしてあちこちから疑惑と非難の声を上がる。
「いや、なんだあの笑顔。裏があるとしか思えない……」
「やめろ、誰かあのハイエルフを止めろっ!」
「あなたっ、後悔するわよっ!! 今ならまだ間に合う、撤回なさい!」
「……」
マスターは、笑顔で静かにそれらを無視した。
追記しておくと、マスターはずっと昔にハイエルフ達に武器の管理を任せて依頼、彼等にずっと“お礼”の機会を狙い続けてきた。
だけどハイエルフと言う種は、完璧超人で構成されていて、助けを求めたり他人に何か望むことをしない。
つまり百倍返しをもっとーとするマスターにとっては、この上なく厄介な種族なんだった。
だから、そんな彼等の頼み事を今回マスターが受けるのは当然……というか、そんな二度とこないチャンスをマスターは、逃せないと言うか……。
笑顔で即答したのは、そういう訳だと俺は思うんだ。
いや、言わないけどね。以前ゼロスに言わない方がいいとも言われているし。
そして結局、ハイエルフはマスターに手紙を頼んだ。
マスターは翌日、その預かった手紙をダークエルフのローレンに届け、その役目を問題なく完遂する。
俺はそんな様子を微笑ましく思うと同時に、少し寂しくも思った。
―――“身辺整理”、着々と進んでいるんだね……。
そんな寂しさを抱えながら皆の様子見ていた俺は、ふと考える。
ゼロスはマスターに壊れない物の守りを任せた。
言い換えれば“絶対に達成出来るけど、この世界が終わっても終わらない役目”を任せたんだ。
―――ゼロスは一体何を思い、その役目をこの仔に任せたのだろう?
―――そしてこの仔は、その思いをどう受け取るのだろう?
俺がそんな事を考えていると、ルシファーが独り言を言うようにポツリと呟いた。
「―――しかし【鑑定】なぁ……。便利なものではあるが、もうゼロス様はイム様に神託を降ろさないんだろ? どうやって【鑑定】を世間に浸透させるんだ?」
マスターがじろりとルシファーを睨む。
「そんなの一つしかないでしょ?」
「どうするんだ?」
首を傾げるルシファーにマスターは指を突きつけた。
「あんたが普及させろ」
「だからどうやって!?」
叫ぶように声を上げるルシファーに、マスターは淡々と話した。
「この【鑑定】をゼロス様が僕達に創ってくださった理由は、レイス様の状態観察のためと言っても過言ではない。人の身体に入るとはいえ、あのレイス様だよ? 気付かない内に人外になってる事態なんて、当然の事態だと想定しておかないといけない」
「……」
……ごめんね、レイス。でも言い返せない。
「この鑑定には個人情報保護の観点から、他者を覗き見ることに関してロックがかけられている。しかし【正教会】に殉ずる者はその限りではない」
「あぁ、さっきそう言ってたな」
そういったマスターの真意が読めないルシファーは、首を傾げる。
マスターはポンポンとルシファーの肩を叩きながら、何でもない事のように言った。
「うん。だからルシファーが今からちょっと行って【大教皇】になって【鑑定】を普及させてくるんだよ。レイス様のステータス確認も出来るようになるし、一石二鳥でしょ」




