じじいの呟き 〜賢者の石の行方㊤〜
オレンジ色の光を放つ蝋燭の灯りに照らし出される岩壁の部屋で、わしは今日も研究に没頭しておった。
だが不意に、背後から衣擦れの音が響く。
わしが振り返ると、袖が引きずる程に長い、襟だけが黒い白い着物を着た若者が、拳と手のひらを合わせ跪いておった。
前襟を重ね合わせ、ボタンでは無く帯で留めるその風変わりな服装は、とある大国の正装らしい。
跪く青年の隣には、青年が昔から使っている、身長の1‚5倍はある長い木の杖が、伏せ置かれていた。
わしが振り返って、その姿を認めるまで待った青年は、頭を下げたまま声を掛けてきた。
「師父、お久しぶりにございます」
そう。コレはわしの弟子じゃ。
ちっ、……こいつが来ると分かっておったら、居留守でも使い姿をくらましておったのに。
最近こ奴は、わしの宝を本気で狙ってきておるのからのぉ。
とは言え、実際の所こやつから隠れるのは無理じゃろうな。
こやつはいつも唐突にここを訪れる。
宝さえ狙って無ければ、わしはこ奴との語らいは嫌いでは無いんじゃがの。
こやつの話は面白い。“真言”をうまく隠しながら話をするのじゃ。
一言一言を漏らさず聞いておかねば真意が分からぬ、まるで会話全てが謎掛けになっている。……ま、わしは、かつて一度たりともそれを見抜けなかった事は無いがのう。
わしは溜息を吐き腹を決めると、いつも通りの飄々とした好々爺の体で弟子に声を掛けた。
「おお、お前か。何年ぶりか? ……いや、尋ねるのであれば『何百年ぶりか』と、尋ねるべきかの」
「は、経年418年に御座います」
わしの声に弟子は顔を上げ、その拍子に紐を編んだ長い耳飾りが揺れる。
わしを見上げる弟子の顔には、明らかに安堵が浮かんでおった。
……なんじゃい。怒鳴り散らされるとでも思っておったのか? 心外じゃわな。
取り敢えず警戒心を解いてやるために、わしは笑い声を上げ、歓迎してやった。
「ほっほっ、相変わらず物覚えが良いわ。わしなど耄碌してしまって、1000年も100年も、つい昨日のことのように感じてしまう。ついこの前、自分は何処ぞの王子だと吠えていた若僧だった筈なのにのぅ?」
弟子は照れたように笑いながら答える。
「はい。師父も私も、最早寿命というリミット
が無くなったのですから、仕方のない事でしょう。それに貴方の前では、私はいつだって若僧。どう頑張ったところで、同じ時間軸を歩いている間は、追いつく事など不可能ですからね」
わしは頷き、この猫被りをからかう。
「違いない。しかし、初めて見た時よりその姿、更に若返っておるとはどういう事だ?」
「え? あぁ、はい。この姿に別に意味はありません。敢えて言えば“生前の内で一番思い出深い時代の姿”と申しましょうか」
「ふむ。……ちょうど“化物”に攫われた頃合いか」
「……っな、なぜご存知なのですか!?」
案の定目を剥く弟子に、わしは満足し種明かしをした。
「ほっほっ。まあ、今となってはわしに知らぬ事等殆どない。使命だ役目だに縛られるお前等と違って、わしは暇でな。まあ、お前が紹介してくれた時の神と仲良くなってからは、尚更世界がよく見える」
「―――……まさか本当に、あのクロノス様を手懐けたのですね。流石師父です。参考までにどうやったか教えて頂けますか?」
「大したことではない。レディーの雅な優美さを共に語り合っただけ」
さほど難しくも無いその方法をきいて、弟子はウンザリとした顔つきで頷いた。
「―――……あぁ、なる程。私には出来そうもない」
その顔を見て、わしはまた声を立てて笑う。
「ほっほっ。お前には難しかろうな。噂は聞いておるぞ? 随分な悪事を働いておるとな」
じゃが弟子はことりと首を傾げ、眉を上げる。
「……一体誰がそのような事を? 全く心当たりかございませんが。―――私は常に世の為人の為となるべく、尽力していると言うのに……。ま、何も分かっていない者達の事など、いちいち気にする事も無いでしょうがね」
―――……コイツ……。
わしは呆れ果てつつ、こやつの目的の核心に触れた。
この弟子はここ最近、本気でわしの宝を狙ってきておるのだ。
今回の訪問も、その件じゃろうて。
「思いあたりがないならば良い。浮世を離れたわしにとっては詮無い事でな。所でここに来たという事は、まさか【世界の真理】に辿り着いたという訳ではあるまいな?」
それはこの弟子がまだ、寿命に縛られた若造だった頃、わしがおちょくって言い放った売り文句に、奴が買い文句でした口約束。
『―――人は神の真理には触れられぬよ。若造が調子に乗るなよ』
『いいや、出来るよ。……てか、そもそも師父は人じゃないだろ』
『はぁー……何も分かっておらん愚か者の癖に、揚げ足を取る事だけは上手いの。そんなんだからモテ無いんじゃないかのぉー? んー?』
『なっ、関係ないし! 出来るって言ったろ!? 絶対……絶対解き明かして見せてやる、このムカつく狸爺!!』
『おお、やってみよみよ。もし真理に触れられれば、わしの【石】でもなんでくれてやる。―――まぁつまり、無理じゃということじゃよーっ! ほっほっほぉー!』
『言ったな!? 覚えたぞ! 今に見てろよ? いつかその表紙、破り取って燃やしてやるっからなぁ!!』
『はっ、吠えるな若造。それから手が止まっておるぞ。何度も言っとるだろう。並行思考が出来んなら一言も喋るな。とっとと時空理論を完成させろ。証明できる魔法陣も忘れるなよ』
『今やってる、お前が黙ってろじじい!』
『まあ、わしならお前をおちょくりながら、超電子振動の解析とか余裕で出来るがのぉ? まあしかし黙っておいてやろうか。凡才は一つの物事に集中し、渾身しておくがいいわ。若造』
『ふっざけるな! 僕だって出来るに決まってるだろおぉぉ! くそっ、喋れよじじい!』
―――……。
……ふむ。あの頃と比べると、随分落ち着いたもんじゃの。
まぁ、からかいまくってたせいもあるんじゃが……。
ともあれ以来弟子は、あの約束を無かったことにはしてくれなかった。
人としての生を終えてからも、あやつは足繁くここを訪れておった。
ただ以前は、半世紀毎にわしを訪ね宝をせびりに来ておったのに、今回はなぜか随分時間が開いたの。
弟子は穏やかな微笑みを浮かべながら、すっと胸に手を当てて言った。
「はい。かつて師父は約束してくださいましたね。もしこの世界の真理を理解出来れば、師父の宝を私に授けてくださる”と。今こそ、この場所と宝を私にお譲り下さい」
……“場所と”? “場所で”では無く?
わしはその言葉に違和感を感じた。
やはり何か言いたいことがあるのか?
たがまだ、足りない。真意を見出すにはもっと言葉を引き出さねばならん。
わしは弟子の言葉を注意深く耳を傾けながら、何事もないように頷く。
「そうか。至ったのか……」
……まあ、この件についてはなんと無く分かっておったんじゃ。
いずれコイツなら出来るかも知れんと、予感はあった。
だから無駄に逃げようとしたんじゃ。
天才が並外れた努力を惜しまず、計画的に物事を成そうとひた駆けていたのだ。ま、出来ぬ筈がないわな……。
……悔むべきは勢いとは言え、何故あんな約束をしたのかと言う事。
わしは悔やみつつも、諦めて頷いた。
「……良いわ。好きにすればよい。どうせわしは所詮ただの【記憶】。魂の復元すら出来なかった時代に作られし形骸。魂すら持たない本体のコピーじゃ。“オリジナル”のお前に敵うはず……」
少しの皮肉を込めたのは、単純にわしを超えてゆく弟子を妬んでじゃった。
「―――っ!!?」
だがその時何故か、弟子は目を大きく見開いた。
「……なんじゃい」
「―――……師父は、……何処迄ご存知で?」
なんのことを言っとる?
わしは内心首を傾げつつも、言葉を濁す。
「さぁの? 全てを知っとるのかもしらんし、何も知らんのかもしれぬ」
「……」
まるで、何かの言葉を待っているかのように、弟子はわしをじっと見つめた。
わしは何も言わず、そんな弟子に紅い小石を投げる。
小石は一度カツンと跳ね、逸れる事なく弟子の前に、転がった。
「約束じゃからの。よくぞ、そこまで至った。お前のことじゃ。添削など不要なまでに仕上げているのだろう。ただ、称賛を贈ろう」
弟子は頷くと、右手を伸ばし小石を拾い握り込む。
そして俯き、こう言った。
「―――……はい。ありがとうございます……」
……なんじゃ? この違和感は。
こやつは昔から、泣きそうになると俯くクセがある。
何が言いたい?
何を見落とした?
わしは立ち上がろうとする弟子に、何か焦りのようなものを感じながら、声を掛けた。
―――まだ、行かせてはならない。そんな焦りじゃった。
「待て。約束通りそれはやるが、一つだけ教えろ。お前それで、何をする気じゃ?」
「え? あぁ、【世界】を私の手中に収めます。……まあ、浮世を離れた師父には関係の無い事ですね」
「せ、……世界?」
あまりの規模に、わしは思わず愚者の如く尋ね返した。
「お前、……己の役目を……己の領分を弁えておらぬのか?」
「弁えているからこそですよ。分かりませんか? この世に絶対はない。ですが私は絶対であらねばならないのです。その為には、私は何だってします」
そうじゃ。さっきこやつは“この場所と宝を”と、そう言っていた。
―――こやつ、……本気じゃ。
「……っ」
「そもそも世界を私の物にすることなんて、私にとっては“対策の一環”程度の意味しか持ちませんがね」
……そう笑顔で言い切ったこやつに、わしは寒気を覚えた。
―――わしはこいつの言わんとしている事が、ようやっと分かったのじゃ。
お、……終わらんかった。(´;ω;`)
賢者の生涯については、番外編 〜ルシファーの花嫁 悪役令嬢と、悪魔のプリンス20〜に軽く触れてます。
グリプス攻略時に賢者は師を見つけ、性格の悪さを確立させました……。
※今後、後書きに振り返りページをなるべく記載します!




