閑話……?㊦
飛び込んで来た客に、マスターはニコリと微笑みかけ答えた。
「やぁいらっしゃい、ルシファー。流れに帰った筈のマリアンヌを呼び出すなんて、職権乱用甚だしいね」
「お前に言われたくねぇよ! なんだよ、このバラの庭園は!! ベルサイユかよ!? キューブで何作ってんだお前はっ!?」
その時、怒鳴る客の肩から、ひらりと軽やかに少女が飛び降りた。
実はこの少女、この店の裏方を担当する店員だ。
店員は怒鳴る客の前に降り立つと、懸命に声を上げる。
「違うの、ルシファーさん! この薔薇はね本物なの。苗を持ち込んで、なるべく外と同じ環境で育ててるものなの!」
そう弁明する店員にマスターは歩み寄り、優しく話しかけた。
「マリー、そんな事はいいんだよ。それより今のこの状況は、マリーが仕組んだと聞いたんだけど、どう言うつもり?」
店員はハタとマスターを振り返り、嬉しそうに答えた。
「えへへー。マリーね、マスターにサプライズしたかったの!」
「……いや、うん。とても驚いたけど……駄目でしょ。ルシファーにまでルールを破らせて……」
そう店員を叱ろうとするマスターだが、それを一人の客が止めた。
「待ちなさい。……その子を叱るということは、貴方が私に会いたくなかったと言う事に、他ならないわよ」
「……」
マスターは客の一言に、一瞬固まりやがてマリーの頭を撫でた。
「……まったく。困った子だ。それで? 流石にマリーが言ったから蘇らせたって訳じゃないよね? 一度流れに戻った魂を呼び出し留めるためには、数百人単位の死人が出る筈だ。そんな犠牲をルシファーが容認するはず無い」
すると取り敢えず我に返った客は、事情を説明した。
「あ、あぁ。実は前々から準備してたんだよ。マリアンヌちゃんには、仕事を頼もうと思って。で、今後マリアンヌちゃんには、デュポソの下で研修を受けながら、マリアが手がけている研究の補佐をして貰う。あと、楽園との通信役兼、オレの秘書だな」
「……何度も言うけど、頼み過ぎじゃなくて?」
「いや、天才外科医【神の手を持つ貴婦人】の異名を持つ貴女なら出来るでしょう」
「うんうん」
「くっ……」
どこの世界も、有能な人材ほど忙しい。
客の一人はその場を取り纏める様に告げた。
「ま、そんな訳で今回は挨拶に来たってわけだ。……てか、さっきのキャラはなんだよ? 鳥肌立ったんだが」
「何言ってるの? レディーを尊ぶのは当たり前でしょ」
マスターはサラリとそう返したが、客たちはヒソヒソと話を始める。
「そうよね? 私が二十歳を過ぎた頃辺りかしら。突然ああなってたの。素を知ってる分、気味が悪いったら……。まあ【賢者】としての外面的な受けは良かったようだけど?」
「あー、な。オレもあれは正直ビビった。マリアンヌちゃんたちと別れてから、十年後くらいにアイツが魔窟に尋ねてきてさ。勇者パーティーに入っててさ、その中で【大賢者】とか呼ばれてたんだ。なんの冗談かと思ったぜ」
「騙されてるわよね。しかも出生が王家だったって事もあって、巷じゃ“チャーミング王子”って呼ばれてたわ」
「嘘だろ? こんな可愛くないチャーミングって見たことないんですケド」
「……おい」
とうとうマスターが笑顔のまま怒気を立ち昇らせ、客達の会話にストップを掛けた。
客達は何事も無かったかのように、話を止め視線を反らせる。
マスターは肩をすくめ、客に言った。
「じゃあ、貴女は今後ルシファーの所にいる訳だ。忙しそうだし、魔窟にはダンジョンを設置していないから、もう会う機会はないでしょうが……まあ応援していますよ。頑張ってください」
「……」
マスターの声援に、客は冷めた視線を送った。
そのギスギスした空気に気付いたもう一人の客が、慌てて間に入る。
「ま、まぁ、そういう訳だから。今日はもう行こうかマリアンヌちゃん。仕事の説明もまだやんなきゃだしなっ」
だ不機嫌な客は、伸ばされた手を振り払い、もう一人の客を睨む。
「そう急がなくてもいいでしょう? 私達のティータイムはまだお開きになってませんの。寧ろ席に呼ばれてもいない貴方がなぜここに居るの? 不躾ではなくて?」
「え……」
気の弱い客は、気の強い客の一言にたじろいだ。
「私はもう少し、ここでお茶を飲んでからそちらに向かうわ。送って頂けるんでしょう? レイル」
「え……」
突然話を振られたマスターもたじろぐ。
「ま、まぁ。構いませんが……」
「なら決まりね。ではルシファーは先に戻っておいてくださる?」
「え、でも……」
「“でも”何かしら?」
「いえ、なんでも無いです」
気の弱い客は頭を掻きながら、素直にそのまま扉を開けて出て行く。
その哀愁漂う背に、マスターが若干同情の視線を向けながら、その客の背に声を掛けた。
「そうだルシファー。【神々の器】が、もう間もなく完成するかも知れない。そろそろ整理を始めたほうがいいよ」
「!」
途端客は先程までの気の弱さが嘘のように、緊張のある表情になる。
「分かった、サンキュー。またなんかあったら知らせてくれ」
そう言って客は、何かブツブツと呟きながら店を後にした。
いつの間にか店員も奥に引っ込み、そこにはマスターと不機嫌な客だけ。
マスターはフレーバーティーを新しく温めた薄桃色のチューリップカップに注ぎ入れながら、まだ刺々しい空気を放つ客に声を掛けた。
「一体どういうつもりですか? 貴女はかつて、ルシファーの影を追いかけていた。やっと側に居られると言うのに追い返すとは……」
「なっ、私が生涯独身を通したのは、別にルシファーを追っていたからじゃないわよっ! 勘違いなさらないでっ! ―――……まったく。後その喋り方やめてくださらない? 薄気味悪いのよ」
「相変わらず毒舌ですね。ですかやめるつもりはありませんよ。僕と貴女では、最早立場が違いますから」
「なんの立場?」
「分からないでしょうね。貴女には」
笑顔でそう一言だけ答えたマスターに、挑発を受け客はマスターを睨む。
「何をっ……」
「……」
しかし殴りたければ殴れば良いとでも言うように、沈黙する無防備なマスターに、客はやる気をなくし溜息を吐いた。
「―――……もういいわ。そのままで良い。その代わり普通に話す振りをして下さる?」
マスターは、笑いながら頷いた。
「……分かった。それならいいよ」
張り付けたような笑顔。客はその顔を不安げに覗き込んだ。
「ねえ、レイル。あなた本当におかしいわ。なぜそこまで人を突き放すの?」
「……」
マスターは答えない。
「ルシファーが言っていたの。大きな戦争の終わったあと、貴方ルシファーに『嫌い』だと言い放ったそうね。貴方昔、私には『嫌いじゃない』と言ってた筈よ? どういう事?」
「……相変わらずマリアンヌは優しいね。それを尋ねるために、ルシファーを先に帰らせたの?」
「はぐらかさないで」
「……」
客の鋭い視線に、マスターは逃げるように俯いた。
客は尚も、そんなマスターに声をかけ続ける。
「その戦争が終わってね、ルシファーはその一言をずっと気にしてたそうよ。本当に……気が小さすぎるわよね。ともかく、それで世界に散った私の魂の欠片を何百年もかけて集め始めたんですって。まあ復活後、私が有能すぎて、マリア様に引き抜かれそうになったのは想定外だったみたいだけど?」
迷惑そうに自慢する客に、マスターは目を逸らせたまま、小さく笑う。
「……私が目覚めたとき、ルシファーから貴方の話を聞いた。そして問われた。“貴方の所に行くか、それともまた流れに戻るか。私の意思を尊重する”と。……そして私は残ることを選んだ。私がここに居るのは、貴方の為よ」
「……」
「皆、貴方を心配しているわ。……だから教えて頂戴?」
優しくそう問いかける客に、マスターは目を反らせたまま答えた。
「理由を君達に言う気はない。どうせ分からないだろうからね。ただ僕は、今のルシファーは嫌いだよ。それは間違いない」
「泣きそうな顔で言うセリフではないわね」
「……」
「……」
長い沈黙の後、マスターはポツリと言った。
「紅茶、冷めてしまったね。気持ちは嬉しいけど、君達の思いに僕は応えられない」
「そう」
「送るよ。―――……楽しかった」
「そうね。私もよ」
そう言って、客は半分のお茶をカップに残したまま席を立った。
◇
あれから二人は、一言も言葉を交わすことはなかった。
暗い森にそびえる巨大な門に、客は優雅な足取りで歩み進んでいく。
何も言わず、振り返らず。
すっと美しいその後ろ姿が門を越えようとするその直前、とうとうマスターは意を決したように声を掛けた。
「ねえ、マリアンヌ。……僕は何一つ変わってない。だけど、変わりたいとは思っているんだ」
客は声を掛けられる事を知っていた様に、滑らかな動きで歩みを止める。
そして振り返り、美しい笑顔を向けてマスターに言った。
「そう、頑張ってね」
「―――……っ」
マスターは一瞬何かを言おうとしたが、首を振り穏やかに笑い頷いた。
「ありがとう。君のその言葉のおかげで、僕も心を決められた」
「何を悩んでいたのかは知らないけれど、解決できそうなら良かったわ。お互いに頑張りましょう。―――また行くわ。薔薇を見にね」
マスターは笑顔で頷き、客の背を見送った。
そして自分も踵を返す。
振り返ったマスターの顔からは、先程の笑顔は欠片も残らず消えていた。
そしてその何処か冷ややかな表情を浮かべたまま、マスターはまっすぐと店を目指した。
◆
「お帰りなさい、マスター」
「ただいまマリー。片付けをしてくれてたの? ありがとう」
扉を開けた途端帰ってきた言葉に、マスターはいつも通り、にこやかな声を掛ける。
そしてマスターが店に踏み込むと、既に薔薇の庭園は消えていて、いつものカウンターと客席、そして部屋一面に膨大な画面が映し出されていた。
そこに映し出されるのは、世界のありとあらゆるデータ。
店員はまるでジャズピアノでも演奏するかの様な、並外れた指の動きでその画面に何かを打ち込み、スワイプし、処理して行く。
「どういたしまして。マリーね、マスターのお手伝い大好きなの。その為に居るんだもん」
「その為だけじゃなくていい。もっと遊んでもいいんだよ」
その時ふと、店員が魔窟の入り口を映し出した映像の前で手を止める。
そして振り返ると、マスターに言った。
「ねぇマスター。マリーね、そのままのマスターが大好きだよ」
映像には、門の前でマスターと客が話している、ついさっきの映像が流されていた。
マスターはじっと画面を見つめた後、目を閉じて小さな店員の頭を撫でる。
「―――……そう、ありがとうマリー」
「えへへ」
だけど嬉しそうに笑う店員の視線を、マスターは目を閉じたまま、受け取る事はしなかった。
そしてまた目を開けると、はぐらかす様に直ぐ画面を見上げて言う。
「僕も一緒にやろう。そして早く片付けてしまおうか。その後、僕はまた少し出掛けてくるよ」
「うん。マリーもお勉強終わったら、少しお出かけしてきてもいい?」
「いいよ。だけど今回みたいに、外には干渉しないようにね」
「はーい。中だけにする」
そしてマスターはまた、仕事に戻っていった。
もう、何も言わず無言で。
―――……もう、俺に話を振ってはくれないんだね……。
俺は少し寂しかったけど、声を掛けることはしなかった。
……閑話……じゃ無いですね。
その内サブタイトル変更するかも……です。
次話でマスターのターンは終わりとなります。そして今章も終わりです。(^^)長かったー!




