神は、飲み込み賜うた㊦
……。
「……」
「……」
「……。どう?」
俺とマスターがじっと見つめ、ゼロスがやや緊張気味にレイスに尋ねる。
それからまた暫くの沈黙が続いた後、レイスはみんなの視線から逃げる様に俯き、低い声で言った。
「……うん。消えた。……所謂、消化をした」
「え?」
「!?」
……。
マスターが驚愕に目を見開き、ゼロスは慌ててレイスに詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待って。スキル値の上昇は?」
「無い。そもそもレイスにスキル値のような物があるとすれば、それは全て99999pt。増えようが無い」
そうだよね。俺もそうなる気がしてた。
「じっ、実験中止! レイス種を吐き出してっ!」
「無理……消化した……。消えた……」
「……っ」
ゼロスがバッと顔を上げ、マスターを睨む。
「マスター! 何という事をっ!!」
マスターは恐れ慄き、一歩後ずさる。
「し、しかし、僕は言いました……。『この実験は不可能』だと……」
確かに言ったね。
言ったのに、ゼロス判断で実行したね。そしてレイスもノリノリだった。
「くっ……、こうなる事を予測しなかったのか!? マスターならした筈だ! なんの為にデータを見せたと思ってる!?」
「よ、予測は確かにしました。しかしまさか本当に消えるとは……。それにゼロス様は仰いました。『今回は気にしないでいいから、言ってみて』と」
……うん。確かに言ったね。
自分のゴリ押しが、凄い勢いで跳ね返って来てるね。
「くっ……」
歯を噛み締め、言葉を詰まらせるゼロスに、マスターは崩れる様に跪き言った。
「どうかお怒りをお鎮めください。僕に罪があるのなら、どんな酷い罰でも謹んで受け、償わせて頂く所存です」
そんなマスターに、ゼロスはビシリと指を突きつけ、フルフルと震えながら言い放った。
「っマスターは! っ正しいっ!!」
そしてゼロスはレイスを連れて、すごすごと俺の枝の高い所の方へと御隠れになっていった。
―――……なる程ね。こういう試練のクリアの仕方もあるのか。
やがて神々の影が見えなくなった時、マスターはすっと立ち上がり膝を払う。
……流石、神々の創り出したアイテムを一手に管理する存在。処理の仕方が手馴れているな。
俺はその見事な手並みを、純粋に褒めた。
「最小の手数で最大の結果、鮮やかだったね。畏れ入ったよ」
「―――なんの事でしょう? 僕は神々の、指示に従っただけ」
……マスターは主語をきちんと入れないと、はぐらかしてくる。
だけどいいんだ。あの【種】を処理してくれた事に、俺は本当に感謝しているんだから。
俺はもうその事を深くは突っ込まず、マスターに尋ねる。
「マスターは『こうなる事を予測してた』と、言ってたね。何故レイスがあれを食べれば、種が消えると思ったの?」
マスターは若干面倒そうに目をそらしつつも、律儀に答えてくれた。
「……レイス様はその身に無限に溢れ出る力を宿されている。ですが神々の理の中には、【無限のプラス】という概念がない。プラスとマイナスは常に対局に存在するのです」
「だけど【理】はレイス達が定めるんだよ?」
「だからこそです。神々に持ち得ないものを理として定めるはずがない。つまりレイス様の【無限のプラス】の対が、どこかにあると仮定しました」
「それがレイスの中だと?」
「あくまで仮定。憶測の範囲。確証なんてありませんでした」
「当たったね」
「そのようですね」
マスターはホッとしたようにそう答えた後、ふと俺を見上げ、尋ねてきた。
「アインス様は、既に知ってらしたんですね?」
俺はその勘の良さに枝を巻きながら、葉を揺らし尋ね返した。
「さぁ? どうしてそう思ったんだい?」
「……ズルい返し方ですね。だってアインス様、止めなかったでしょう。僕のアイデアが神々に実行される事を」
「止める間もなかったんだよ。それに俺はただの樹だし、葉を揺らすのが精一杯だ」
「……」
滅茶苦茶睨まれた。
そして今ふと『この似非ウドの大木がっ!』と聴こえた気がしたんだけど、きっと樹のせいだね。だって俺は読心術は使えない。
俺がそよそよとその鋭い視線を受け流していると、マスターはげんなりしたため息を吐きながら、俺に言った。
「……本当に、もう余計な物は生み出さないでください。具体的には【世界樹の種】とかです。あと樹液と、林檎もですね」
その言葉に、俺は枝を振って、昔と同じ答えを返した。
「……それは難しいな」
するとマスターは拳を握りしめ、怒鳴ってきた。
「っ今回! 【死のネ申】の誕生で、ルシファーが消されそうになったのではありませんか!? その種が元凶で!」
俺はハタと、枝のゆらぎを止めた。
―――……なる程ね。この仔も気付いていたのか。ルシファーの持つ、力の大きさに。
俺もさっき、言われて気付いたばかりだと言うのに。
「樹だと言い張るならっ、ただの樹らしく……何もしないでください。お願いします……」
そう頭を下げるマスターの姿に、俺は幹が締め付けられる思いに駆られた。
「うん、そうだね。俺はただの樹だ。なのに花を咲かせて、実を実らせてしまった。本当にごめんね……」
……。あれ? ただの樹って、花を咲かせて実を実らせるよね? 俺、……もしかして間違ってないんじゃ無いかな? ……まあいいか。
「でも、例えここで俺が君に願われた事を叶えると約束したとしても、俺は心が弱いから、今のように誰かに乞い願われれば、花を咲かせてしまうよ。マスターとの約束を破る心苦しさに幹を引き裂かれそうになりながら、実を実らせてしまうだろう。ごめんね。だから俺は……」
「構いません。……約束して下さい」
俺の必死の言い訳に、マスターはきっぱりと言った。
約束を破るかも知れないのに構わないなんて、マスターはなんて心が広いんだろう。
俺は、そんな懐の広いマスターに、快く頷いた。
「ごめんね。なら約束しよう」
俺の言葉にマスターは顔を上げ、ニコリと笑ってくれた。
気が良くなった俺は、マスターに軽い気持ちで話しかける。
「しかし意外だね。俺は、マスターの事、もっとリアリストだと思ってた。俺が言っては何だけど、破られる約束をするなんて」
「いえ、僕にも益はあるんで本当にいいんです」
「ん? 益って?」
俺が枝をかしげ尋ねると、マスターはいい笑顔を浮かべながら答えた。
「……どうせやめてくれって言っても駄目で、どうせこっちに後処理が回って来るんです。だからせめてその都度、約束を破った事に対し、僕に心からの懺悔をして下さい。それで僕の気が、少しだけ晴れます。……ほんの少しですがっ!」
……。
―――……なんて仔だ。
俺は天使のような悪魔の笑顔を浮かべながらそう言ったマスターに、心の底からほっこりした。
「それでマスターの気が晴れるなら、俺はその都度、うろが空く程にマスターへ懺悔を尽くそう」
「……やっぱり晴れない気がしてきました……。っでも約束は守ってくださいねっ!」
「分かったよ。約束する。……そう。どれほど世界が形を変えようと、必ず守るよ! そして間違い無く君に懺悔する!」
俺が喜びに任せ枝を振りながら、そう言うとマスターは驚いた様に様に目を見開き、慌てて逃げるように踵を返した。
「なっ!? なんでそんな嬉しそうなんですか!? しかも大袈裟ですっ! そっ、それでは、失礼します!!」
マスターはそう言うと、慌てて俺の根本のダンジョンの中へと消えていった。
うん。今回もお疲れ様、マスター。
そして、特大のデレをありがとう。
◆
それから少しして、またゼロスとレイスが降りてきた。
「アインス!」
「どうしたんだい? ゼロス」
「うん。さっきアインスに見てもらおうと思ってたのを忘れててさ。マスターは?」
「ダンジョンに帰ったよ」
「そう。まあいいや」
そう言えば、さっきゼロス達は、何か『見てみて』と言いながらこちらに来ていたな。
俺は気になって、ゼロスに尋ねる。
「それで、一体何を見るのかな?」
「あ、うん。これなんだ」
「―――っ!!!!!!?!?!? っ!!?」
それを見て、俺は幹が裂けそうなほど驚いた。
だって、ゼロスの手の上には、た……
た……
たた……
……っ種!!?
なんで!? レイスに消化されたはずじゃ!!?
「どうしてっ!?」
俺が枝を大きく揺すりながら思わず叫ぶと、ゼロスは得意げに笑いながら、俺に教えてくれた。
「ハデスをね、元に戻そうと必死で頑張ってたら、世界樹の種のコピーを創れたんだよ。とはいえ、外殻だけで胚なんかは出来てはいないけどね」
俺は唖然としながら、ゼロスに尋ねる。
「え、……だって、それはゼロスとレイスには創れない……筈……じゃ?」
「そう、不思議な事にこの種の複製を創ろうと思えば、すごく嫌な気分になって力も出なくなるんだ。複製は無理だと思ってたんだけど、ハデスを何とかしようと必死になってやってる内に、ここ迄出来てたんだよ」
その時ふとゼロスの背後から、ひょこりとレイスが飛び出し、首を傾げる。
「―――アインス。『創れない筈』って、どういう事?」
……。
「……。あぁ、ちょっとした言い間違いだよ。気にしないで。ゼロスは凄いね。本当に頑張ったんだね」
「ふふん、まあね。あ、ねぇレイス。この殻でレイスの【入れ物】を作れないかな? だってあの耐久テストに耐え抜いた殻だよ?」
「!! 出来るの!? 凄い! 流石ゼロス!!」
「ホントに……本当に、凄いね。―――……“強い想いは、時に神の定めし理すら打ち破る”か……。なる程ね、うん。確かに……」
「どうしたのアインス? 褒めてくれるのは嬉しいけどちょっと大袈裟だよ」
「え? あ、あぁ。そうかも知れないね」
「じゃあゼロス! また帳の外に行って試作を創ろう!」
「そうだね。アインスへのサプライズも成功したし、行こうか」
「うん……い、行ってらっしゃい」
「「行ってきます!」」
2柱は元気にそう答え、楽しそうに空へ昇っていった。
サプライズね。なるほど、……確かに樹液を吹き出しそうなほど吃驚したよ。
俺は、その姿を見送りつつ、ふとまたあの俳句を思い出す。
―――朝顔に 鶴瓶とられて もらひ水……
俺は悟った。
風情や情緒や人情。それに、朝顔の生命力なんか、議論すべき点では無かった。
もっと根本な部分。
そう。朝顔が“飲水を汲む井戸”の側にあること自体が、間違いだった。そこに派生していること自体が駄目なんだ
「―――……だって、朝顔の種は【毒】なんだ」
俺は青く澄んだ空を見つめ、しみじみとそう呟いた。
今回はアインスの『秘密』に触れる回でしたので、かなり謎の多い回になりました。
とはいえ【破壊と終焉の神】により、無事種は破壊されましたので、世界樹の種の編は、終わりです。




