神は、飲み込み賜うた㊤
このタイトルは㊤㊦の2話構成になってます。
神々が、ルシファーの審議を決定してから一週間ほど経った頃。
俺の根元から、若者の澄んだ声が上がった。
「お久しぶりです。お変わり無いですか?」
ここ三年程、聖域を留守にしていたマスターだった。
マスターは最近、よく聖域を離れる。
あちこちを飛び回り、ダンジョンのメンテナンスや、新たなダンジョン設置の為の調査などをしているんだ。
そして聖域に落ち着いて居る時も、ふらりとフィルがここにやってくる一週間前に、何かを察して俺への挨拶もそこそこに、泣きながらここを去っていく。
幸運のドラゴンであるフィルにボディータッチできれば、幸運に見舞われるのだが、あの花粉症がある限り、近づく事も難しそうだ。……可哀想に。
ともあれフィルは先日から、クリスマスシティーに長期滞在を決めたらしい。
レイスに聴いた話では、クリスに貰ったお菓子と惰眠を心行く迄で貪っているとの事。
中でもフィルが長期滞在を決める程に気に入ったお菓子は、雪に閉ざされた世界で、温かい暖炉の前に陣取り、毛布に包まって食べるアイスクリームだそうだ。
この世で一番幸運な者が行き着いた“幸せ”は、案外小さな幸せだったようだね。
俺は丁寧に挨拶をしてくれるマスターに、葉を揺らせながら挨拶を返した。
「お帰り、マスター。変わった事は特に無いよ。君の顔を見れて本当に嬉しい事くらいかな」
マスターはニコニコと俺に笑い掛けながら、頷いてくれた。
「そうですか。では言い直しましょう。この三年の内に神々が何かを創造、若しくは消去なさいましたか?」
俺はその笑顔が愛しくて、尋ねられるままに答える。
「うん。【死のネ申】が出来たよ。冥界のハデスに【神の種】と【第二の月】、そして【絶望】を植え付けられて誕生したんだ。ルシファーに怒られて大変だったみたい」
「―――っ」
マスターが突然、笑顔のまま地に伏し、大地を拳で叩いた。
「マ、マスター? どうかしたの? どうか心配しないで。ハデスはルシファーと一緒に冥界に帰って、今はとても幸せそうに過ごしているから」
そうフォローしながら俺はふと気付く。……あの笑顔、まさか俺への誘導尋問だった?
さっきは愛おしさのあまり気付けなかったが、よくよく思い出せばマスターはいつも、俺の前では仏頂面なんだ。
だけどあの質問をする時だけ、俺にも笑顔を向けてくれる。
あんな笑顔で尋ねられたら、舞い上がってしまうに決まっている。そして、なんだって答えてしまうに決まってる!
……そう言えば以前も笑顔で同じ質問をされた時も、同じ考えに至ってたっけ。
俺は地面に突っ伏すマスターに、ソヨソヨと葉を揺らしながら、優しく言った。
「マスター、他に聞きたいことは無いかな? なんだって答えるよ」
……いやだって、またあの笑顔が見たいんだもの。
だけどマスターは再び顔を上げたとき、物凄い形相で俺を睨んでいた。
そして、マスターが何かを言おうと口を開きかけた時、空から別の声が飛んできた。
「アインス! ちょっと見てみて」
ゼロスだった。
途端マスターは口をつぐみ、膝を折ってゼロスに頭を下げた。
そんなマスターに、続いて空から降りてきたレイスが声を掛けた。
「マスターか。久しいな、この裏切り者が」
「はい、レイス様。ご機嫌麗しく。そして仰る意味が分かりかねます」
「フン、まぁいい」
レイスは突飛に、そしてマスターは淡々とした態度で挨拶を交わし合う。いつもの事だ。
ゼロスもいつものように、困ったような笑いを浮かべながらそのやり取りを眺め、マスターに声を掛けた。
「久しぶりだね。と言ってもまだ300年ぶりだけど。顔を上げてよ、マスター。ここは君の家の前でもあるんだから。楽にしていいよ」
「お久しぶりにございます、ゼロス様。それでは僭越ながら」
マスターはゼロスの促しに応え、頭を上げて立ち上がった。
レイスがゼロスに言う。
「そうだ、ゼロス。発芽の夢は現状潰えた。だけど次にどんな実験をしたらいいか、このイレギュラーに聞いてみるのも面白い」
「……?」
レイス、“知的イレギュラー”の事を言ってるのかもしれないけど、ちゃんと言ってあげないとマスターが困惑しているよ。
そして種の事は、出来ればもうそっとしておいて欲しいな……。
だけどそんな俺の心の声は届かず、ゼロスは頷く。
「そうだね。ねえマスター、この【世界樹の種】なんだけど、様々な実験に沈黙し続けているんだ。次はどんな実験が良いか何かアイデアはないかな?」
ゼロス……。また、なんて無茶振りを……。
だけどマスターは、困ったように首を横に振った。
「はぁ……しかし、僕などがアインス様の種へ何かしようとは、思う事すら畏れ多すぎます」
だけどゼロスは引かない。にっこりと微笑みながらグイグイ押す。
「今回は気にしないでいいよ。言ってみて」
だけどマスターは乗らない。
余計な事にはもう、懲り懲りなんだろう。
「そうは言われましても、過去にどのような実験を為されているのか、見当がつかず……」
だけどゼロスは逃しはしないっ!
「なら、実験データを閲覧させてあげるよ」
「!!?」
そして空を埋め尽くす程に描き出された、黄金の神の文字。
マスターは一瞬驚いた様に目を見開いたが、すぐに観念したのか目を細め、片っ端からそのデータに目を通し始めた。
マスターはこの前、俺の樹体検査の記録をダンジョンに回収してた。きっとあれを読み込んで更なる神の文字の解析が進んだんだろう。
……そして俺はふと気付く。
待って? あれをダンジョンに仕舞い込んだって事は、つまり俺の全て(のデーター記録)を記した部屋を、マスターが所持してるって事だよね?
そしてマスターはコアなストーカーもビックリな程に、俺の詳細データを貼られたその部屋で、ずっとムフムフ……いやフムフムしてたと言う事……。
――――……いやん。
俺が照れながらチラリとマスターを見れば、空を見詰めていた筈のマスターが突然、クワッと目を見開き俺を睨んできた。
……マスターは最近、読心術を身に着けたのかもしれない。流石、創造主と創造物だなと、俺は思わず感心してしまう。
俺がそよそよと葉を揺らす中、怒気を立ち昇らせながらもマスターはまた空のデータに視線を戻した。
やがて、マスターはポツリと呟く。
「素晴らしいですね。耐久テストのエネルギー数値が桁外れている。魂の移植については返す言葉もありません」
それを聞いた2柱はとても得意気だ。
と言うか、その文字の殆どを読めたんだね。流石マスターだ。俺なんか欠片もわからない。
そしてゼロスは言う。
「さあ、僕等のデータを見たんだ。次は君の番だよ?」
大変だ。ゼロスったら、またゴリ押そうとしてる。
三百年前の失敗に懲りていないのか?
また神々からの試練が、このか弱き仔羊に与えられるというのか!?
ハラハラと見守る俺を他所に、マスターは静かな声で答えた。
「はい。単純な意見で申し訳ありませんが、ここまでの実験をされたのであれば、僕なら次は【魂の逆移植】をするでしょう。つまり種を食し、取り込むのです」
「あ」
「あ」
なるほど。
マスターの答えに二柱は声を上げ、顔を見合わせた。
そしてレイスがゼロスに言う。
「一理ある。アインスの話によれば【世界樹の種】とは何時だって“スキル値の底上げアイテム”として活躍していた」
うん。ゲームの中でだけどね。
その時、マスターがポツリと呟いた。
「……とはいえ、もうゼロス様とレイス様は創造物には手を出されないそうですね? となればその実験は不可能。余計な浅知恵でした」
ゼロスはそんなマスターに、フフンと鼻を鳴らす。
「そう、創造物にはね。だけど僕ら自身が試すには、何ら縛りはない」
「え?」
「レイスやりたい」
「いいよ」
マスターの驚きを他所に、ゼロスは頷き種をレイスに渡した。
……というか、レイスは一体これ以上なんのスキル値を底上げするつもりなんだろう……?
二柱がアイデアを登用した事に、マスターは驚きつつも、畏れ入った様にスッと2柱に頭を下げた。
……だけど俺だけは見てしまった。
――――下げた頭の下で、マスターがニヤリとほくそ笑んだ所を。
レイスは種を受け取り、それをパクリと口に入れ飲み込んだ。
始まりました。しばらくマスター回が続きます。
マスター苦手な人は、申し訳ないです!




