神は、長孝し賜うた
ルシファー達の気配が聖域から消えた頃、俺の枝の影から、ヒソヒソとゼロスとレイスの話し声が聞こえてきた。
「やっぱりゼロスの言った通りになった」
「僕じゃなくても、ルシファーが怒ることくらい分かるよ」
「レイスは分からなかった。ゼロスは凄い。……でも、そんなゼロスでもハデスを戻せなかった。なんでルシファーは戻せた?」
「うん。完全にその光が消えていたはずなのにね。……なんでだろう?」
「多分全ての鍵は、あのモヒカンにある」
「そんなわけ無いでしょ」
……あ、やっぱり違うんだ。
そしてゼロスはうーんと考え込むと、突然俺に話を振ってきた。
「アインスはなんでだと思う?」
―――……モヒカン……とは、答えられず、俺はうーんと枝を捻った。
「そうだね……俺にもよく分からない。ゼロス達は299年も呼び続けていたんだよね?」
「そう。僕らが渾身の光を灯し、迷える魂の正しい帰り道を照らし出し続けていたのに、反応しなかった」
眉を寄せながら頷くゼロスに、俺は枝を傾げながら考えた答えを言う。
「うーん。神はいつだって、正しい道を指し示す。だけど選択は本人次第って事かな」
途端ゼロスが頬を膨らませ、少し不機嫌になる。
「……それはおかしいよ。じゃあなんで“正しい道”を選ばないの?」
「分からないなぁ」
俺がそう言うと、ゼロスの小さな舌打ちが聞こえた。
「……虚無の闇を独りで抜けた者達は、いつも何処かおかしくなる。ガラハッドは僕を真っ向から否定したし、ハデスは見ての通りだ」
……実は俺もその一人……いや、一本ではあるんだけど、ここは黙っておこう。舌打ちされたくないもの。
ゼロスはそれから、またなにか考えるように黙り込んだ。
◆
―――それから少し経った頃、ルシファー達はとうとう魔窟に帰り着いた。
ハデスに至っては300年ぶりの帰還である。
ルシファーはハデスにはなんの説明もせず、まずS級に及ばない魔物と悪魔を魔窟から追い出した。
そして楽園からマリアとその他主要な聖者を数名呼び出し、魔窟の亡者と聖者の代表者達、そして悪魔長達を魔窟の最下層の広間に集めた。
すると直ぐに、悪魔達から抗議の悲鳴が上がる。
「っルシファー様!? なんすかこの死臭は! 死臭に慣れた高位の悪魔でもキツいんですが!?」
ベリアルが絹のハンカチーフを口元に当てながら、青い顔でルシファーに叫ぶ。
「すまんな、我慢してくれ。オレも我慢するから。後、さっき追い出したA級以下の悪魔共には『高位悪魔になるまで帰ってくんな』って伝令しといてくれ」
「酷っ!? 鬼!?」
「鬼じゃねぇし」
ハデスの死臭は悪魔すら苦しむ強烈なもの。
亡者や聖者は死者であるから影響はないが、生きた魔物にとっては、その生が一瞬で蝕まれる強烈な物だった。
よってこの件以降、魔窟には高位の悪魔と死者しか寄り付かなくなり、また知らずに生きて足を踏み入れた者は、必ずその命を落とす【死の魔窟】となったのだった。
ルシファーは集めた者達に向かって大声で言った。
「いいかー、みんなー! よく聞け。この度ハデスは、【神】へと昇華した。今後みんなで崇める様に!」
途端あたりは、騒然とどよめき始める。
「は、ハデスさんが神?」
「ハデスを崇める? 世も末だわ……」
「?」
亡者や聖者はその決定に不満を漏らし、悪魔達は眉を顰める。
当のハデスは、首を傾げただけ。
だがルシファーはハデスを除く、そんな面々を叱咤した。
「馬鹿野郎! いいか!? 今回神のもとに召されたのはハデスだったが、この件については、亡者も聖者も等しくここに居る全員にその可能性があった! だがこのハデスは、お前らの身代わりにその業の全てを引き受けたんだ! 見ろ! この痛ましい姿を!」
全員の視線がハデスに集中する。
それを見計らい、ルシファーがボソリと低く呟いた。
「永久の命……」
「!!?」
次の瞬間、ハデスの目が大きく開かれ、そのまま崩れるように蹲った。
モヒカンが崩れ、その髪が重力に引かれるがまま、真っ直ぐと下を向く。
「死……死、すなわち安らぎ。生は絶望。果てなき絶望に、救済の死を! 死こそが比類なき愛! この世の全てに死を! 我輩の名は【冥界神ハデス】!!」
「「!!?」」
ゆらりと立ち上がり、目の前の、面々にそう言い放つハデス。
その背後に立つルシファーが、暗い声で事情を語る。
「ハデスは【絶望の闇】の末、ネ申へと至った。全てを拒絶し、優しく包み込む【死のネ申】だ。モヒカンの時はハデスとしての自我を保っているが、一度トリガーを引けばこうして、死を撒き散らす神へと変貌する。またそのトリガーとは“永遠を匂わせるワード”と“創世神の出現”……」
その時、ハデスがゆらりと動き、亡者達の後列で様子を見ていたベリアルに向け、スッと手を翳した。
「?」
腕を組んだまま首を傾げるベリアルに、ハデスは仄暗い光を放つ眼光を向け、冷たい声で短く告げた。
「……汝に、優しき死を与えよう……」
「っ!?」
途端、遠く離れた場所にいるベリアルが膝から崩れ落ちた。
奥歯をガチガチと鳴らしながら、荒い息を吐き、両腕を抱える様に握り締めながら震え出す。
「っな? ……さ、寒い……か……身体が動かねぇ……っ! ……な、なんっ……」
ベリアルは悪魔の中でも最高位。
一万年以上に渡って、愛を求める人間を喰らい続けて来た“最古の悪魔”の内の一人だ。
「くぁっ……や、ヤメロ……やめてくれっ……し、……死っ……」
だがそんな力も肩書も、純粋な【死】を前に抗う事はできない。【死】は全ての者に、等しく訪れるのだから……。
―――パアァァ――――――ンッッ!!
だがその時、ルシファーがハデスの頬をノーモーションで引っ叩いた。
そして、サラサラストレートヘアーを鷲掴みながら、淡々と言い放つ。
「やめろ、ハデス」
「―――……あ、あれ? 俺今、何やってたんすか? ん? ベリアル様、何やってんスカ?」
「……っ」
ベリアルは荒い息を吐き、尚蹲ったまま、言葉もなく呆然とハデスを見つめていた。
―――こうして、弱い者は追い出され、強い者でも棲み分け区分をされると言う被害を被った悪魔達だけれども、意外と皆嫌な顔はしなかった。
“強い者だけが魔窟に住める”と言うプレミアが付き、魔窟は悪魔達の【聖地】として憧れの存在となったからだ。
そして呆然と蹲るベリアルにルシファーは一瞥を送り、ハデスの髪を整えながら、唖然とするその場の者達に向かって言った。
「【死のネ申】の力は見ての通り絶大だ。だがこうしてオレが殴り、このモヒカンを立て直せば、ハデスは全てを忘れて自我を取り戻す。―――……もう一度言う。ハデスはお前らの業をこの一身に引き受け、こうなった。そしてハデスがこうならなきゃ、お前らの誰か、もしくは全員がこうなっていたかもれないんだ」
……あり得るね。良い読みだ。
その場にいた者達の全員が、ゴクリと固唾を飲んだ。
「俺達が……さっきのハデスさんのような状態に……?」
ルシファーは深く頷いた。
「あぁ、つまり悪魔すら容易く屠るこの力を得て、“このキャラ”に至っていたかも知れないと言う事……」
「!!?」
「―――っ!」
ルシファーの言葉に、半数の亡者が膝から崩れ落ち、涙ぐみながら胸の前で手を組んだ。
「は、……ハデスさんっ、スンマセン。アンタは間違いなく俺らの神だっ!」
「は? 何言ってんだ?」
「なんでもねっす! アンタは何も気にせず、……ただ崇めさせてくださいす!!」
ハデスに跪き、咽び泣く亡者達。
その時、亡者達の後列に佇んでいたマリアがすっと進み出て、ハデスの前に跪いた。
「マリア姐さんまで、どうしたんすか? 皆おかしいすよ?」
困惑し、マリアを立たせようと手を差出すハデス。
マリアは恭しくその手を取ると、ハデスに向かって慈愛のこもった美しい微笑みを向けた。
「いいえ。……いいえ、もういいのです。貴方は尊い存在。私と聖者達は、この時を持ってあなたのその存在を認めます」
「な、何を言ってんすか?」
―――何も知らない、無垢なハデス。
ルシファーとマリア、そして亡者達の目に涙が滲む。
マリアはその涙を悟られないよう立ち上がると、踵を返しハデスに背を向けた。
そして背中越しにハデスに言う。
「……何でもないわ。貴方はもうっ、何も気にしなくて良いのっ。―――……ね、ハデス。それより今度、……ランチを奢ってあげるわ」
「マジすか!? 何かわかんねーすけどヤリィ―――!!!」
「あっズルい! っ俺も御供えさせてください! ハデスさん!!」
「俺もっ!」
「俺からもですっ! 我らの神よ!」
「は? そなえ……? は?」
こうしてハデスの献身に、死者達はハデスを崇めることに決めた。
当のハデスは、混乱しつつも『何故かみんなが、スゲー優しくなったッス!』と喜んでいたと言う。
うん。……いっぱい優しくしてもらえばいい。無限の優しさに包まれてしまえばいい。
俺はハデスのこれからの神生を思い、切なさと愛しさで幹が一杯になった。
そして、俺の枝に腰を掛け考え事をしているゼロスに悟られないように、静かに枝を揺すった。
―――こうして、死者達は死のネ申を崇めるようになった。
死者達は、死をばら撒くこの最狂のネ申に“救い”も“願い”も求めない。
死者達は【死のネ申】に欠片の見返りも求めず、ただその存在を狂信的に崇め、奉ったと言う。
ゼロスが何を長考しているのかは、また次話で!




