神は、驚き賜うた
サラサラ超絶ストレートヘアとなったハデスが、ゆるふわ天然パーマのルシファーに、指を突きつけ言った。
「我輩の名は【冥界神ハデス】。この世の全てに死を与え給う者なり。二つ目の月が闇に染まりし時、我が力は満ち、この世に死の安らぎを与えるであろう。それは優しき眠り。それは救済……」
「……」
ルシファーはそんな変わり果てたハデスを、優しさも哀れみもこもらない無表情で、何も言わず見据える。
神々も俺も、そんな二人を見つめる。
その時、ザザァ……と風が吹き抜けた。
風はルシファーの髪をフワリと揺らし、ハデスの髪をサラサラと撫でた。
次の瞬間、この聖域に高い音が響き渡った。
―――ッパアァァ――――――――――――ッッン……!!
ルシファーがハデスの頬を、ノーモーションで引っ叩いていたのだ。
「!?」
「ルシファー!? 何をっ」
神々が驚愕に目を見開く。
「……」
それからルシファーは、無言で自分の荷物袋からなにかケースを取り出し、中の軟膏のような物を乱暴に指で掻き取ると、そのままハデスの頭を鷲掴んだ。
◆◆◆◆
《ハデス視点》
―――……俺は目を閉じ、蹲っていた。
いや、心を閉ざしていたと言った方が良いのかも知れない。
俺の蹲る場所から少し向こうに、眩しい光の壁がある。
闇の中、どこからともなく現れたんだ。
それは俺を照らし出し、俺がここに在ることを映し出した。
そしてその壁の向こうから、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。
“目を覚まして”
“もういいんだ 良く頑張ったね”
“早く 時間がナイ……”
だけど俺は耳を塞ぐ。
―――……聴いちゃ駄目だ。
アレこそがこの闇の元凶。絶望の虚無の始まり。
―――目を閉じろ。心を閉ざせ。思い出すな。何も思い出すな。もう、何もいらない。
……何もいらない。
―――だからどうか、俺に終わりを……。全てに終わりを。
終わりたい……。
だがその時、目の前が揺れた。
それは懐かしい衝撃。
それはいつだったか、俺を掬い上げた優しい……
光。
そう 光だ
でもそれは そこにあるような 眩しい光じゃなくて
もっと小さくて 弱々しい
だけど 優しい光
光
光
―――ルシファー様……
◆◆◆◆
ルシファーが目を据わらせたまま、無言でハデスのサラサラの髪に何かを揉み込んでいく。
俺は枝を傾げ、ルシファーに尋ねた。
「何をしているの?」
「ハードワックスを塗り込んでるんです」
続いてゼロスも唖然としながら尋ねる。
「……なんで、ハデスを叩いたの?」
「ハデスのくせに“サラサラ”って……。何だかイラッと来て、思わず殴りました。後悔はしていません」
……。
……ルシファーにとって、ハデスが神になろうがどうしようが、その点はあまり重要ではないらしい。
ワックスを丁寧に揉み込みながらも苛立ちを立ち昇らせるルシファーに、俺はおずおずと声をかけた。
「……その、……なんというか……そのくせ毛、すごくいい感じ。ルシファーらしくて、とても似合っているね……」
「ありがとうございます。……っと、出来た」
そう言ったルシファーの前には、プロのスタイリストにも負けない、完璧なモヒカンがあった。
フンと鼻を鳴らし、荷物袋から出した布で手を拭うルシファー。
その時、……奇跡が起こった。
「ル……ルシファー……様?」
顔を上げたモヒカンハデスが、震えながらルシファーの名を呼んだのだ。
ゼロスとレイスの目が見開く。
ルシファーは親指で背後を指差し、何事も無かったかのようにハデスに言った。
「おう、ハデス。お勤めご苦労。もう帰っていいぞ」
「え? ……あれ? 俺……一体何をしてタンスか?」
「忘れたか。相変わらず物覚えが悪いな。ま、いーさ。忘れとけ。帰るぞ」
「うぇ……ウェーイ……?」
不思議そうにハデスは返事をするが、明らかに納得出来ていなさそうだ。
というか、俺も納得できない。
ゼロスもレイスも同様に、信じられないと言う顔でハデスを見つめていた。
……だってどういう事?
ゼロスとレイスがあれ程尽力しても帰って来なかったハデス。なのにルシファーがハデスの頬をひっぱたいて、モヒカンチェンジをした途端目覚めた。
一体何が起こったのだろう? 悠久なる時を過ごす内に、ハデスの意識はモヒカンとなってしまったのだろうか? そんなことはあり得るのか? モヒカンが……ハデスの本体……?
いや、そんな訳ない。
だがしかし、そうとでも考えなければ、今目の前で起こっている事に説明がつかない。
俺が目の前で起こった奇跡のピースを過去の記憶から探っていると、キラキラとした笑顔を浮かべたゼロスとレイスが、ハデスに声をかけた。
「ハデスが、戻った!」
「ハデス、やっと目覚めたか。もう少し早く戻っておけば、レイス達はあんな苦痛を受けずに済んだのに」
ふとハデスが振り向き、ゼロスとレイスをその視界に入れたその瞬間、突然ハデスのモヒカンが“抗えぬ大いなる力”によりバサリと落ちた。
「……あ……」
―――……そして。
「っ我輩の名はっ、我輩の名はっ、【冥界神ハデス】!!!死をっ! すべっ全てに、全てにおわっ、終わりをおぉぉおぉぉぉ―――っっ!!」
「うわっ! 戻った!!」
「何故!?」
「トラウマでしょう」
ルシファーの一言で、ゼロスとレイスはすごすごと俺の枝の高い所の方へと御隠れになっていった。
ルシファーは溜め息を吐くと、ハデスの胸ぐらを掴み、再び殴り飛ばした。そしてまた丁寧な手付きでモヒカンを立て直す。
「は!? ル、ルシファー様!? 俺今……?」
「うん。いいから忘れろ。そして気にするな。まぁ取り敢えず、帰ろう……な?」
「え? う、ウェ〜イぃ」
そうしてルシファーとハデスは、暗い森の魔窟を目指し、飛び立った。
俺はふと思い立ち、ルシファーを呼び止める。
「ルシファー」
ルシファーは俺の声にその進みを止めるが、一緒に立ち止まったハデスに、ふと声をかける。
「……あ、いや、ハデスは先に行ってろ。すぐ追いかける」
「ウェイ」
ハデスは首を傾げつつも、一人暗い森を目指して飛び上がる。ルシファーはなんやかんやあったが、一刻も早く、ハデスを帰してあげたいのだろう。
そして俺はハデスの姿を見送った所で、ルシファーに再び声を掛けた。
「ねえ、ルシファー。今回ハデスはとても辛い思いをした。そして覚悟も無いハデスに、ゼロスとレイスは無理矢理強大な力を与えてしまった」
「そうですね」
そう答えたルシファーの言葉は刺々しい。
まぁルシファーは身内をとても大切にする。それが傷付けられ、怒って当然。今だって俺には“ただの不機嫌”を装っているが、腹の中は煮えくり返っている筈だ。
大切な仲間が“死のネ申”等という、よく分からないものに創り変えられてしまったのだから。
その己を顧みないほどの怒りがあったから、ルシファーはクリスと肩を並べる強大な力の前に、物怖じせず向かい合えたんじゃないかと俺は思う。
ゼロスが言った様に、今のハデスはそこに居るだけで、数日の内にこの森を腐り落とす力を、無意識に、そして無自覚にばら撒いていた。
並大抵の精神力で、その前に立てる筈がない。
―――……いや、まぁ本当にサラサラストレートヘアを妬んだ可能性も捨てきれない訳ではあるんだけど……。
ともかく、色んな意味で変わり果てたハデスを、ルシファーは受け入れた。
そして神々ですら目を背けた程の凶悪なる存在に、真っ直ぐ向き合い、近くに置くリスクも物怖じせず『帰ろう』と言い切ったんだ。
本当に……なんて強く、優しい者なんだろうと思う。
そして卑怯な俺は、そんなルシファーの優しさにいつも付け込んでしまう。
「ねえルシファー。それでも、ゼロスとレイスを許してやってくれると、俺は嬉しい」
俺はゼロスに『一緒に謝る』と言ったしね。
ルシファーは静かに頷き、だけど刺々しい口調で吐き捨てた。
「……ええ、勿論です。いつだってオレ達はその試練を受け入れ、神に赦される存在なんですから。許すも許さないも、オレ達に選択権は無い。受け入れるしかないんですよ」
……つまり訳すと『いい加減にしてくれ』って所だろう。
俺は枝を揺らしながら、ルシファーに弁明した。
「でもね、ゼロスとレイスは『怒られたくない』って、それは懸命に頑張ったんだ。分かるかな? 怒られたくないって事は、つまり嫌われたく無いって事なんだよ」
「……」
「二柱はこの世界が大好きだよ。まだ若く不完全で、二柱にとっては改善の余地など山ほどあるこの世界。だけど二柱は大好きなこの世界を傷付けないよう、細心の注意を払っている。大好きなこの世界に、嫌われたくないからね」
「……でもっ」
「うん。まあ今回二神はちょっと油断して、こんな事になってしまったのは事実。だけど今回の件を、二神はとても後悔していたよ。ルシファーが来るまでに、何とかしようとそれは必死だったよ。……ルシファーはさっき『自分達に選択権はない』なんて言っていたけど、ゼロスとレイスは既に創造物を自身と対等に認め、その上で“共に在りたい”と願っているんだ」
「つまり、“そんなつもりは無かったし、反省してる”……だから何をやってもを許せという事ですね?」
「いや、許してくれれば嬉しいけど、強要はしないよ。ただ、そこに至った過程も知っておいて欲しかっただけ」
俺がそう言って枝を揺らせば、ルシファーは俺の言葉で拳を固く握りしめ俯いた。
だけど一拍後、ふっと肩の力を抜き、棘の無い声で俺に言った。
「……どうか二神にお伝え下さい。“いつでも、気にせず遊びに来て下さい。皆待っています”と。……オレ達も日々を神々に感謝し、愛おしみながら生きておりますと」
俺は嬉しくなり、葉を揺らしながら頷いた。
ルシファーは俺に一礼をすると飛び上がり、ハデスを追って去っていった。
俺はその背を見送りながら、そっと葉を揺らし呟く。
「……こうやって、世界は一つになっていくんだね」
ゼロから創られた世界。
地を這う創造物は遥かな頂点を目指し、頂点に居る神は、遥か下の地上を目指し歩いていく。
ゆっくりと歩み、ゆっくりと育つ。
手を伸ばし合い、それでも届かない遥かな距離を、一歩ずつ歩む。
やがて点で交わり、
やがて神は人に近づき
やがて人は神に近づき
やがて世界は一つになる。
まぁ、この世界がそこに至るのは、……もう少し先の話。




