神は、友を作り賜うた①
春も深まり、深緑の初夏を迎えようとする今日この頃。
ここ聖域では例年に漏れず、俺の根元から大きなクシャミが響いてきた。
「ふえっっくしゅ!!」
俺はくしゃみの主に、声を掛ける。
「マスター。また花粉症かい?」
マスターは、涙目で鼻をすすりながら頷いた。
「ええ、あの年を境に」
そしてマスターは、懐からチリ紙を箱ごと出し、滲む涙を拭き取り、鼻をかんだ。
……あのチリ紙は、どうやって懐に収めていたんだろう。懐に荷物袋を仕込んでいるのかな? 箱ティッシュを収納するために?
俺がそんな事を考えていると、また一つ大きなくしゃみが上がった。
今さっき拭ったばかりなのに、マスターの瞳はもう涙がボロボロと出ている。……俺はそれを見て、ズキリと幹が痛んだ。
だってね、辛いんだよ。
愛しい仔が、目の前で涙を溢しているのは。
―――……例えその原因が、花粉症だったとしてもっ!
俺は力無く枝を下げながら、痛々しく涙に暮れるマスターに尋ねた。
「可哀相に。突然来るって言うからね。一体どんな植物が原因なんだろう? 杉? それともまさか……俺……?」
どうしよう? ……もし俺が原因なら、マスターは引っ越しをしてしまうかもしれない。
俺は気落ちしながら、恐る恐るマスターに尋ねたのだが、マスターは冷めた声で俺の予想を否定した。
「いえ、そんな筈無いでしょう。アインス様に花は咲きませんし」
……心外な。
「……頑張れば咲くよ?」
「やめてください」
睨まれた。
それからマスターは肩を落とし小さな溜息を吐き、ポツリと言った。
「―――……原因は“ラベンダー”ですよ」
「……ラベンダー? 生前マスターに、そんなアレルギーは無かったよね?」
「ええ、無かった筈なのですが。……そもそも実体の無い僕が花粉症? しかもダンジョン内でも防げないなんて……っふ、ハッブションッッ! ―――……失礼いたしました」
「いいよ。気にしないで」
俺はそっと葉を揺らした。
そう。マスターの異変は、ある日突然起こったんだ。
それは今から3年前のこと。この聖域の南東に位置する場所で、とある火山が噴火した日、マスターは突然原因不明の激しい嘔吐と腹痛に見舞われたのである。
目の前で悶え苦しむマスターのその様子に、俺はどうしたらいいか分からず、ただあたふたと枝を振り続けた。
そんな俺の様子に、ハイエルフ達は『光が灯され、世界樹様がお喜びになられている!』と言って歓喜していたが、慌てふためいていた俺には、それを否定する余裕すら無かった。
“違うよ。皆、マスターの調子が悪いんだよ” 俺はそう言いたかったのだけど、額に脂汗を浮かべながら悶え苦しむマスターが心配で、そちらを放って穏やかにハイエルフ達に訂正をする事が出来なかったんだ。
それに、後ですれば良いだろうとも思ったしね。
……そう言えば、まだ訂正して無いな。まぁ、後でいいか。
兎に角、マスターもその時は俺がわたわたと枝を振っている事を気にする余裕もなく、膝を付き頭を抱えながら懸命にキューブを回していたっけ。
『くっ、ディウェルボ火山に何が起こった……? くそっ、頭痛で目が眩んで、上手く情報の抽出が出来ない……っ。僕に何が起こってる? 新手の呪いか? だが僕には実体が無い。なのにどうやって……』
『マスターに分からない事が、俺に分かるはずないよ!』
『っアインス様には聞いてません! 僭越ながら黙ってていただけますか!? くぁっ……』
頭が痛いのに律儀にツッコんでくれるマスターに、俺はなんだか申し訳なくなり、言われた通り黙る事にした。
『……っぐ、なんだ……コアが、作り手を拒否しているのか? っ駄目だっ……頭がっ、割れる……』
俺は言われた通り沈黙したまま、ただ枝だけを大きく揺さぶり続けていた。
それから、二時間程たった頃だろうか。
『―――……ハクシュンッ!』
『!?』
―――……と言うわけだ。
その二時間程で頭痛や腹痛は治まったみたいだけど、以来マスターは春から初夏まで、酷い花粉症に悩まされるようになってしまった。
そして結局、例の【ダンジョンコア】の解析は原因不明の“不運”が続き未解明のまま、放棄される事となったらしい。
マスターがそのコアこそが自身に降り掛かった“呪い”の原因だと判断し、そのコアを消滅させ、ダンジョンを解除したのだった。
―――ふと俺が過去の回想に耽っていると、また一際大きなくしゃみが上がった。
「ふぇ……っっくしゅうぅ!!」
「……大丈夫?」
俺はまた声を掛ける。
だけどマスターはそれには答えず、チリ紙を握りしめ、ふるふると震えながら、何かブツブツと呟き始めた。
「……マスター?」
「……くるっ、奴がっ……来るっっ!!」
「奴?」
俺がそう言って首を傾げると同時に、マスターは普段見せない俊敏な動きで高く跳び上がると、早口で俺に告げた。
「“奴”の正体が何なのか、僕には分かりませんっ。―――……しかし、アレは危険だ……。僕にとって最大にして最悪の存在っ!!」
……天敵ってことかな?
「っ僕はこれより暫く聖域を離れ、この世界の反対側に避難します!!」
「はい」
俺が答えるやいなや、マスターは跳び上がった空中で、空を蹴り、SHINOBI顔負けの脚捌きで木々の隙間を縫うように駆け去って行った。
―――……流石、かつて勇者を扱き上げた“人類最強の一角”。
黄昏の天界戦争レベルでは目立ちはしないものの、平時であれば、普通に並外れて強い人間だったのだと実感する。
俺が感心しながらその姿を見送っていると間もなく、丁度反対側から、上機嫌のレイスが帰ってきた。
レイスの肩には小さな可愛らしいドラゴンが、ちょこんと乗っている。
俺はレイスとそのドラゴンに声を掛けた。




