番外編 〜邪竜さんは、召使いを追い出したい63(再会)〜
《邪竜ファーブニル視点》
歌に導かれるように、オイラは進んだ。
もう目は見えない。鼻も自分の焼けた匂いしか感じない。
耳も片方潰された。
それでも、聞き慣れたその澄んだ声を頼りに、オイラは歩み進んだ。
曲はいつの間にか変わっていて、テンポの良いマーチングソングになっている。
オイラは流れてくるその歌詞を、頭の中で反芻しながら、機械的にひたすら足を動かした。
……―――進め 進め
もはや我らに恐れるべきものなど何も無い
例え世界が闇に染まろうと
進め 進め
必ず光は灯るのだから
信じよ 固く結ばれた友情を
進め 進め
我らは決して一人ではない
もはや我らに恐れるべきものなど何も無い
幾千の屍を礎に 今この手で 栄光の光を灯せ……
◆
《ポム視点》
歌劇の幾つかの曲を何ループかしていると、火口へ続く洞窟の方から、何かを引きずるような音が聴こえてきた。
……何? 旦那……だよね? 違ったら……、いやいやいや。
オレはドキドキしながら、自分を奮い立たせるために歌い続けた。
そしてその巨大な体躯がオレの前に来た時、ヒューヒューという掠れた空気の漏れる音と、聞き慣れた声がした。
「……おいポム、それ勇者を讃える曲だろ? フザケてんのか」
やっべ!
そうだよ、旦那って勇者様と戦ってたんだ。忘れてた。
でもだって洞窟にたった一人とか、ビビリの俺には歌でも歌って、自分を奮い立たせとかないと耐えられないんだ。
そして邪竜の歌じゃ、到底奮い立たせる事なんてできるはずも無かったんだ……。
オレがドキドキしながら黙り込んでいると、旦那は小さく肩を竦め言ってくれた。
「……まあ、気を紛らわせるのに、ちょうど良かったからいいけどさ……」
それから旦那はガヒュっと肩を揺らし、嫌な咳をする。
オレはふと光のない洞窟の中で、旦那の状態を音の反響で確認した。
あちこち形が変わるほどに腫れ上がり、凹み、トレードマークだった歪んだ翼もなくなっている。
『……旦那? 大丈夫すか……?』
オレは噎せこむ旦那に、旦那には伝わらない声をかけながら、旦那の腕をさすった。
旦那は一通り咳込んだ後、驚いた様に腕を引く。オレも調子に乗った事を後悔しながら、出してた手を引いた。
「―――……なんだよ、それ。オイラを気遣ってるつもりか?」
『ええ、そりゃまぁ……』
オレは怒鳴られるだろうと予測しつつ、引き気味に頷く。
だけど旦那はオレの予想を裏切り、少し照れ臭そうに首を振りながら言った。
「大丈夫だ。喉は焼けたが、オイラの声は音の魔法だから、普通に喋れる。……身体も【魔核】を死守したから大丈夫だ。……問題無い」
醜いドラゴンの照れ隠しとか、誰得だよ? 少なくとも、オレは要らない。
……て言うか“【魔核】を死守したから大丈夫”って、どんな論理だよ?
「さぁ行こう。ポムはラディーを迎えに行くんだろ? 扉が開けられなかったのか? なんて言うか、チョロ助なお前らしいな」
クツクツと笑いながら、旦那は扉を押し開ける。
その動きに、オレは鳥肌が立った。
旦那が扉を開ける為に、力を込めた時、脚の腿の途中があり得ないほど盛り上がり、そのまま皮を破って骨が突き出してきたのだ。
『ひぃっ!?』
「ほら、こんなもんすぐに開く。さ、行くぞ」
オレの引きつった悲鳴は旦那に届かず、当の旦那はその傷をかけらも気にせず、洞窟を奥へと進んでいく。
その姿に寒気を覚えつつ、オレはふと1つのことに思い当たった。
“―――【魔核】を死守したから大丈夫”
……旦那、もしかしてアンタ……もう死んでんのか?
死にそうな程の傷を負って、もう動けないのに、魔核で……魔法で自分の身体を操ってるって事か?
じゃなきゃ、あの状態で……動けるはず無い……よな?
旦那の骨の突き出した傷や胸や首、体の至るところから、水で満たしたブーツを履いて歩く様な、グジュグジュとした音が響いて来る。
オレはその壮絶さに恐怖し、全身が痺れたように動かなくなった。
そんなオレに、旦那は自分の事など欠片も気にしてない様に、普通に尋ねてくる。
「どうした?」
……いや、あんたがどうしたんだよ。……てか、どうなってんだよ? 何でそこまで……。
言葉を出せないオレに旦那は歩みを止めず、ふと思い出したように言った。
「そうだポム、道すがらさっきの歌の続きを歌えよ」
『え……』
「嫌とは言わせないぞ。だってそれは“お前が勇者を、何かに目覚めさせた”罰なんだからな。……でもまあ、それでチャラにしてやる」
『……あ』
……そうだ。
そうだった。オレのせいで、旦那は……。
「早くしろ。歌えばチャラにしてやるってんだから。……それに、……お前の歌を聞いてると、前に進みやすいんだ。まだ歩けるって……そんな風に思えるんだ。……だから早く歌え」
『……っ』
旦那の言葉にオレは胸が詰まり、目頭が熱くなった。
そしてオレは、歩みを止めることのない旦那を小走りに追いかけ、竪琴を鳴らす。
旦那の後ろで、その歩みを応援する様に、オレは懸命に歌った。
―――もう、ホントに誰だよ? この人を“邪竜”とか言ったのは。
……こんなのっ
こんなの、ただの“オレの大切なお得意様”じゃないかよ!
オレ、旦那の為なら何だってするよ! つっても歌を歌うくらいしかできないけどな。
◆◆
《ラディー視点》
ローレンは相変わらず、持ちうる限りのマナを魔法障壁に費やし続けていた。
広大な洞窟内の熱は上に溜まり、卵から放たれる衝撃は上と横に弾ける。だから僕達は里の最下層の岩陰に腰を下ろしていた。
だけど熱は上に行くとはいえ、黄金の卵が放つ熱波は障壁を越え、ジワリジワリと僕たちの居る場所も気温は上がってきている。
僕は汗で張り付くシャツの胸元を引っ張りながら、ローレンに声を掛けた。
「暑いね……」
「そうだな。気温70℃を越えたから」
……70度か。ちょっとサウナだ。僕はシャツを引っ張って服の中に風を送りながら、ふーっと深く息を吐いた。
ローレンは汗を流しながらも涼しい顔で、そんな僕に手のひらサイズの小瓶を差し出してくれる。
「喉が乾いたなら、ラディーも飲むか?」
「……」
因みにこの小瓶の中身は、大昔に“大賢者”がその製法を産み出したと言われる、神薬【エリクサー】だ。
一口飲めば、体力と魔力を全回復させる“奇跡の妙薬”。
ローレンは昔から、ずっとその薬を作り溜めしていたそうで、今ここに来てガンガン消費されるマナを補う為、湯水の如くそれを飲み干していた。
……とはいえ、“暑いから”を理由に飲んで良いものでない事くらい、僕はちゃんと理解している。
「飲まないよ。僕は気にしないで、ローレンがしっかり飲まなきゃ」
「そうか。……しかし、飲みすぎてエリクサー酔いしそうだな」
ローレンはそう言うと、手に持ったエリクサーを一気に呷った。
ローレンに飲み干されたエリクサーの瓶は、悠に五十本を超える。
新人冒険者が“安いポーションを飲み過ぎて酔った”という話は聞いたことがあるけど……。
……エリクサーでも……酔うんだ。
僕がそんな事を考えながら、整然と並ぶ空になった瓶を眺めていると、ローレンがポツリと言う。
「ラディーだって酷い怪我なんだ。気にせず飲んでいい。こういった時の為に作り溜めしていたのだから」
ふと見下ろせば、僕の身体はジークさんに付けられた切り傷が至る所に付き、ブリスさんのあの衝撃の影響か、あちこちに鬱血した痣が浮き出て来ていた。
だけど僕は首を振る。
「僕は大丈夫だよ」
いくらエリクサーを飲んだからと言って、たちまち部位欠損が治るわけではない。
骨折はちゃんと添え木で手当をしないといけないし、部位欠損は、縫合をしてからじゃ無いとくっつかないのだ。
とはいえ、今の状態でも打撲傷が失せ、爪のヒビも治り、痛みや腫れが引き、マナが全回復して気力が湧いてくる程度の効果はあるだろう。
だけど、やはり僕は飲むべきじゃない。
僕の戦いは終わり、ローレンは今尚戦っているんだから。
ローレンはまた新たなエリクサーを空けると、僕に言った。
「じゃあ、ファーブニル様が来るまでに、今回のラディーの戦闘での敗因を検証しようか」
「え? 終わったのにやるの?」
「何を言ってる? “人生常に戦闘態勢”でと言ったろう。生きてる限り、常に備えておかないといけない」
「―――……。……そうだね」
……相変わらずだなぁ。
僕はもう、その真面目さに呆れ笑いながら頷いた。
「ブリスさんには完敗したなぁ。でも逆に、あれを切り抜けられる方法はあったの?」
「ブリスの【震】を込められた剣に触れた時点で、敗北は確定だった。あの魔法の脅威を識らなかった事、そして気付けなかった事が敗因だ」
「ブリスさんが強いことは知ってたけど、……“【震】の脅威”って?」
「うん。【震】とは即ち“波長”。それだけみれば大きな括りだが、細かく分岐していくと“光”や“熱”、それに“音”なんかも全て波長なのだ。つまり【震】とは、すべてのエネルギーのエンジンとも言える。ラディーは耳がいい分“音”の波長をよく理解していたのだろう。だが、それに慣れてしまっていたからこそ【震】を甘く見た」
「……」
……返す言葉もありません。
「かつて、この世界を破滅させようとした“最悪の存在”も【震】を極めた者だったと云う。“声”による“音”の波長を操り、一声呟けば100人の命を奪い、武器による共振を使って、半径十キロ圏内を瞬時に塵に変えたそうだ」
「……嘘でしょ? 何それ、怖い」
「そうだ、怖いぞ。そして真実の史実だ」
……うわぁ……。
「……じゃあ……勉強不足の僕には、やっぱり無理だね」
僕がそう肩を落とすと、ローレンは笑いながら首を横に振った。
「いや? 知らなくても、踏みとどまれることがある。一般的には勘と呼ばれるが、洗練されれば“未来予知”にも匹敵する力を発する事がある」
「勘!?」
ローレンらしくない大雑把なその答えに、僕は思わず声をあげた。
「実際ブリスくらいになると、それで踏みとどまれる。ブリスはあの家屋の扉に触れる前に、ちゃんと踏みとどまったからな。……あの時ブリスが感じた物が私の覇気か、森のエルフ達の殺気か、はたまた卵の放つエネルギーなのかは分からない。だがブリスは、それらの実態を知らず、“死”に触れる事を拒んだ」
そして僕は、気付けず触れてしまった……。
「……そうなんだ。やっぱり、ブリスさんは凄いな……」
僕が感心して頷くと、ローレンはいつもの様に言ってくれた。
「大丈夫。ラディーならきっと……いつか出来るようになる」
「……」
―――泣きそうになった事を悟られない様に、僕はその言葉に頷き、そのまま顔をあげなかった。
俯いまま、僕は小さな声で尋ねる。
「……出来るようになる迄、また訓練に付き合ってくれる?」
「……」
ローレンは答えず、またエリクサーの小瓶を呷った。
―――……きっと、……聞こえなかっただけだろう。
そう思ったけど、僕はもう一度尋ねることはしなかった。
◆
あれから僕等はぽつりぽつりと、他愛無い会話を続けていた。
と、突然ローレンが顔を上げ、少し緊張した声で言った。
「来た。……戻って来られたっ」
僕もその声に、弾かれるように顔を上げる。
そしてじっと耳を澄ませていると、程なくして僕にも“歌声”が聞こえてきたんだ。
(孵化まで後26時間)




