番外編 〜邪竜さんは、召使いを追い出したい52(剣)〜
今回は“歴史の表”サイドで纏めた回です。
“おいおい、違うだろ……”そんな事を思って頂ければ嬉しいです!
〈ブリス視点〉
崖の上からガリューを突き落としたラディーが、何の後悔もなく、それは良い笑顔で微笑んでいた。
高みから黒い被膜の翼を大きく拡げ、空中に留まりこちら見下ろすラディー。
普通なら即死レベルの高さからガリューを突き落とし、更にとどめとばかりに、空中に投げ出されたガリューの身体に追撃を入れた。……そして、岩盤の上で呻くガリューに微笑みかけるそのラディーの狂気の姿に、俺は戦慄を覚えた。
その現実から逃避でもするかのように、ふと俺の脳裏に、ラディーと共に過ごした時間によく見た穏やかな笑顔が過る。
『ブリスさん達のパーティーに入れてもらえて、本当に幸運でした。これからも……』
―――……これが、あのラディー?
……いや、……もう……“魔物”だろ……。
その時、隣にいたジークが歯を噛みしめながら呟いた。
「―――っいい加減にしろよ、ラディー……。俺の妹の腕を砕いて、ミリアの手を裂き、ガリューを崖から突き落として……」
見れば、その横顔は怒りに染まっている。
「ブリス、……俺はもう我慢できねぇ。いくら操られてるとは言えアレは流石にもう、無傷ではやり過ごせないぞ」
「……」
頷くしかなかった。
躊躇なく仲間を傷つけ、それを嘲笑うラディーを許せとは言えなかった。……俺自身だって、もう我慢の限界だった。
俺の頷きを受け、ジークがラディーを見上げながら俺に言う。
「……どんな魔改造をされたのかは知らないが、ラディーのあの姿を見るからに、おそらくラディーは既に“種の血に目覚めし者”だ」
ジークの言う“種の血に目覚めし者”とは、アニマロイド種の中に稀に現れる“覚醒者”とも言われる者達の事だ。
アニマロイドは元々魔法を得意としないが、己の身体を活かす為、その属性に合った魔法が使える者がいる。
その魔法とは魔石もルーン文字も使わず、サラマンダーが火を吐くが如く、息をするようにその魔法を使いこなす。そう、最早魔物に近い本能を顕すのだ。
かく言うガリューも白虎族の“土”の力に目覚め、その力を以てA級としての地位を確固たる物としていた。
「ラディーは蝙蝠族の“風”の力に目覚めてる。あの翼に風を貯め、この断崖の足場を気にせず攻めてくるぞ。……今まで敢えて“翼”を使わなかったのは、俺達を油断させガリューの“土”を封じる為だったんだ」
俺はジークの悔しげな舌打ちを聞きながら、羽ばたきもせず空中に留まるラディーを睨む。
その力は安定していて、昨日今日で“血に目覚めた”訳では無さそうだ。
空中でモーニングスターを回しながらも、全くブレないその体勢に、俺は恐怖と怒りを覚えた。
―――っ馬鹿にしやがって!
ふと、頭に血が昇りそうになる俺を制する声が上がった。
「落ち着け、ブリス」
ジークだ。ジークはいつも軽口を叩いてくるくせに、こういった時だけは沈着冷静な意見を出してくる。
「―――俺にやらせろ。フィフィーの腕を砕きやがって……。ぜってぇ許さねえ」
「……」
……違った。
今回に限っては、俺以上に頭にきてる様だった。
「ブリス、頼む。俺にやらせろ。ラディーの馬鹿と一対一だ。ただし、仕留めちまっても文句は言わないでもらうけどな」
俺はその言葉の意味をよく理解し、頷いた。
一対一、つまり俺は卵の方に行けと。
そして殺す可能性の示唆は、ジークの覚悟だ。
冒険者に於いての“仲間殺し”は、絶対の禁忌。
如何なる場合に於いても“仲間殺し”をすれば、その冒険者人生は終わる。
たとえ俺達のように、過去に多くの実績を積んだA級冒険者だったとしても例外は無い。
その事を踏まえ、俺は頷いたんだ。
ジークが駆け出す。
そしてジークの切り拓く道を、俺は駆けた。
◆
〈勇者アイル視点〉
気を抜けば飛びそうになる意識の片隅で、ポムの声が聞こえた。
『―――……ヤメテ、……勇者様がシンじゃう……』
……俺が死ぬ? 馬鹿を言うな。俺は勇者だ。死ぬはずが無い。
爪を避け、牙を避け、洒落にならないレベルの炎や投石を躱す。
辿り着いたその先で出来るのは、鱗一枚を剥がすだけ。
いつまでこれが続く? 俺はなんの為に戦っているんだった?
……そうだ。ポムだ。あいつを兄に会わせてやるんだ。
そして、帰るんだ。あいつの所に……。
……ライラ。
―――……キンッ……。
「……なっ、」
鱗の隙間に挿し込んだ刀が、小さな音と共に真っ二つに折れた。
なまくらになってた刀だ。当然と言えば当然だが、この状況では冗談にならない。
ファーブニルが俺を払い落とすため身を屈め首をひねり、俺に向かって顎を開けた。
……その時だった。
『っこっだ!! 邪竜!!』
ポムが魔法陣から出て、ファーブニルに向かい叫んでいた。
―――……何をしてる?
そしてポムは手に持った金の竪琴を、胸の前に構える。
「―――……ッヤメロ!!」
俺が叫び駆け出すのと、ファーブニルがポムの存在に気付くのは同時だった。
ファーブニルは爪を構え、ポムへと長い長い腕を伸ばした。
「っくそ、間に合え!!」
ポムが魔法陣から出たのは、たった一歩だ。
だがファーブニルの反射神経は、その一歩の後退すらポムに許しはしない。
俺はひた駆けた。折れた刀の柄を握り、ただ一心で駆ける。
――――――……護る。
折れた刀を構えながら、邪竜とポムの間に滑り込む刹那、脳裏に声が響いた。
『“―――今こそ、汝の力を我に示せ―――”』
その声に、俺は目を見開いた。
それはかつて“教会”と呼ばれる、聖女の住まう地で手渡された、勇者のみに扱えるという“聖剣ヴェルダンディー”の“声”だった。
あの時は“刀”ではないその聖剣を俺は拒んだ。
ずっと荷物袋と呼ばれる、魔法収納に仕舞ったままだった。
それが今、空間の壁を超え俺に話しかけてきたのだ。
俺は迷う事なく折れた刀を捨て、荷物袋で空間を開くと、白く輝く聖剣ヴェルダンディーを抜き出す。
それは羽根のように軽い両刃の宝剣。
扱い慣れないその宝剣で、俺は渾身の力を込めファーブニルの爪を防いだ。
その一撃の重さに、俺の口から小さな呻きが漏れる。
「くっ……」
そんな中、紙一重で凶爪から逃れたポムが、俺の背後でおそるおそる声を上げる。
『……勇者……様? あ、ありがとうございます……それはまさか、伝説の“聖剣”?』
慣れない剣で、俺に余裕は無い。
俺は絞り出すような声で、ポムに言った。
「さ……がれっ、魔法陣に……、この剣は……慣れてないんだっ」
『っ』
ポムは飛び退くように魔法陣に入り、そして俺も転がるように、その後に続く。
荒い息を吐き膝を突く俺に、ポムが慌てて声を掛けてきた。
『勇者様、大丈夫ですか!?』
「あぁ、……なんで、魔法陣から出た? なんて馬鹿な事をっ……」
そう諌めながら俺がポムを睨めば、ポムは泣きそうな顔で俺に言う。
『だって……、勇者様が死んじゃうと思ってっ』
「……」
……怒る気も失せるその言い訳。
俺は立ち上がり、またこの慣れない剣を構えた。
『勇者様? 駄目だよっ! その傷じゃ……』
懸命に俺を止めようとするポムに、俺は言った。
「言っただろ、俺は勇者だ。……それに、俺がここでゆっくりしてる余裕は無い。なぜならその間に、ファーブニルがブリス達を追うとも限らないからな」
そう。俺が魔法陣に入れば、邪竜は消える。
しかしこのディウェルボ火山自体がダンジョンになっている以上、その可能性も捨てきれない。
そしてそれは、起こってはならない最悪の可能性。
俺が魔法陣から踏み出そうとした時、またポムが声を上げた。
『待って、勇者様! なら、オレが……オレが邪竜を眠らせる!』
「……? どういう事だ?」
俺はその言葉に、思わず足を止め聞き返す。
『旦……いや、ファーブニルが眠る時に聴いてる曲を、オレ知ってるんです。それでファーブニルが眠れば、勇者様は安心して魔法陣で傷を癒せる。……そうでしょう?』
「……それはそうだが……、そんな事が出来るのか?」
俺の疑念に、ポムは力強く頷いた。
『やります』
“出来る”では無く“やる”。
その確信に満ちた頷きに、俺はポムを信じる事にした。……そしてふと気付く。
……あぁなる程。ポムがここまで来れたというのは、その切り札があったからか。
ポムは立ち上がり、慣れた手付きで竪琴を弾き始めた。
その優しい旋律は、何故か泣きそうな程に懐かしい、森の木漏れ日を思わせる。
俺がその曲に聴き惚れていると、ふと目があったポムがにっと笑った。
『勇者様。ファーブニルが寝てる間、勇者様に伝えたいことがあるんです』
……なんだろう?
しかし俺はその懐かしい憧憬を映し出す旋律を邪魔したくなくて、その疑問を声にすることはなかった。
ポムは目を閉じ、澄んだ声で旋律に歌を乗せ歩き始める。
―――そして、魔法陣から出て数歩進んだ時、突然天井から巨大な影が落ちてきた。
轟音と土煙を上げながら落ちてきたその影。
固く目を閉じ、死んだ様に動かなくなったファーブニルだった。
(孵化迄後46時間)




