番外編 〜邪竜さんは、召使いを追い出したい43(暁の空)〜
森を抜け、ディウェルボ火山の山頂に到着する頃には、東の空が明るみ始めていた。
夜の濃紺は薄らぎ、赤い太陽に照らされた雲が紫紺に輝く。
ーーー暁。
ライラの二つ名は“黄昏”が付けたものではないと言っていた。
その名付け親は、この世で誰よりも美しく、強かったと言うライラの姉。
嘗て、ただ蹲る事しか出来なかった幼いライラから、あの今の輝きを見出した者だったと言われている。
ーーーライラにとって、大切な過去の者達。
俺は、明るみ始めた暁の空を見つめる。
ーーー本当は、俺がライラにとって誰より大切な、一番の存在になりたかった。
だってお前は、俺の一番大切な存在なんだから。
……だけど、もういいんだ。何番だって、圏外だって構わない。
ただ、会いたい。もう、それだけで良い。
俺は後ろに続く冒険者達の一団を振り返り、一瞥して短く言った。
「行くぞ」
「ああ」
リーダーのブリスが頷き、他の面々も緊張しつつも自信あるいい面構えでそれに倣う。
俺は勇者らしく先頭に立ち、颯爽と歩みを進めた。
ーーー本当は全部投げ出して、一刻も早く帰りたい。
……自分が、嫌になった。
◆
火口の階段を下り、洞窟に入れば、甘ったるい匂いが鼻を突く。
以前来たときと同じだ。
……以前初めてここに来た時は、洞窟内が迷路になっていると思い、横道に逸れたのだ。すると岩壁の向こうに戦闘の気配を感じ、急いで岩壁を砕いて助けに入ったのだった。
後から聞いた話、真ん中の道を真っすぐ進めばいいらしい。
ダンジョン構成としては、ずいぶん優しい作りになっている。
しかし、こういうダンジョンこそ、経験上気を抜いてはいけない。
“天洞山”然り、大ボスにとんでも無い者が置かれていることが多いのだ。
俺は気を抜く事なく、洞窟を進んだ。
途中、横道に逸れ暗視ゴーグルを回収したところで、白虎のアニマロイド、ガリューがホッとしたように溜息を漏らした。
「これでやっと、闇の中が見えるな」
俺は入手したゴーグルを着けながら、ガリューに尋ねる。
「訓練の中で、目隠しをしての実践もあっただろ。目に頼るなど、おまけのようなものだぞ」
「ぅ、うむ。だがどうしても俺達の特性上、目隠しをした時に鼻に頼ってしまうのだ。だがここでは、この匂いのせいで、鼻が利かない」
成程。五感とは使えれば、意識せずとも頼ってしまう。
外の訓練でガリューは良い動きを見せていたが、アニマロイドの卓越した嗅覚によるものだったか。
だがここでは、俺ですら胸焼けのしそうな強い香りに満たされている。
嗅覚は役に立たず、それどころか良すぎる鼻にダメージを与えてるのだろう。
五感に与えられるダメージは見かけより強烈で、下手すれば今のガリューは、立っているのもやっとの状態なのかも知れない。
……とはいえ、同情してやるつもりは欠片もない。
俺はガリューに冷ややかな視線を送り、短く言う。
「……甘えるな。集中しろ」
ガリューはそんな俺に嫌味な顔一つせず、力強く頷いた。
「ああ、ポムと約束をした。ラディーを必ず助け出すと」
そう。コイツはそう言うやつだ。
アニマロイドとは本来、魔物のように誇り高く、一本気。
更にガリューという男は、ポムの身の安全の為に、敢えて汚れ役を買って出るような、仲間思いの男だ。
こんな所で音を上げるはずがない。
俺は頷き、メンバーに言った。
「そうだ。お前達の目的はラディーを助け出す事。そして、金の卵を奪う事。ポムの話によれば、ファーブニルの居る洞窟の更に奥に、古のドワーフ達の都がある。ラディーはおそらくそこに居る。俺が邪竜の相手をしている間に、お前達は邪竜が手を出せないという“結界陣”に潜み、タイミングを見計らい、通路を抜けて古都に向かえ。森のエルフ達も同様に、卵を狙えばいい」
メンバーは強く頷いた。
この先はただ、それぞれが自分の役目を果たすだけだ。
◇
坑道を更に進み、巨大な鉄扉を開けたとき、今までとは比べ物にならない程の強い匂いが鼻を突いた。
「ぐぅ……っ」
ガリューが顔を顰め、苦しげなうめき声を漏らした。
同時に、不気味な唸り声が聞こえた。
「クルルルルルルルルルルルル……」
低い、威嚇音じゃない。
まるでカエルのような声で、コチラを挑発してくる唸り声だ。
ゆっくりともたげられる、瘤だらけの醜い頭。その不気味な巨体には、溢れんばかりのマナと覇気を感じる。
ーーーは、確かにこりゃ、並の冒険者達じゃひとたまりもないな。
巨大な化物の影が、ズルリと動き、こちらに1歩足を踏み出してくる。
俺は刀の鞘に手をかけ、腰を落としながらブリスに言った。
「俺が飛び込む瞬間、お前達は魔法陣へ駆け込め。いいな」
「おぅ!」
ブリスの返事と同時に、俺は邪竜に向かって駆け出した。
「おおぉぉぉぉぉおぉおぉぉぉっ!!」
「クギャアァァァォ!!」
ファーブニルは奇声を上げながら、俺の行く先に岩の棘を落としてくる。そして、巨体からは想像のできない速さで、不気味に長く細い腕を伸ばし、振り切って来た。
其のあまりの速さに、魔法無しに鎌鼬とソニックブームが発生する。
使ってくる魔法のレベルが高い。
しかも穴蔵に籠もっていた筈なのに、筋肉はバランス良く鍛え上げられ、その動きも洗練されている。
更には何故か俺に対し、まるで戦い慣れているかのように、緊張ない攻撃を仕掛けてくる。
ーーー強い。
俺はその初撃で、このファーブニルの実力は、間違いなくSSクラスだと判断した。
目の前に落ちてきた岩を魔法で砕いたその岩陰から、剣先のように鋭い鱗を生やしたファーブニルの尾が、俺の左脇に迫って来た。
俺は刀を返しその打撃を受けるが、その勢いは殺しきれず、俺は木の葉のように弾き飛ばされる。
ーーーーーガンッ……
「グッ……」
岩壁を砕き、それをクッションに受け身を取るつもりで居たが、予想外に硬かったその壁との衝突に、俺はくぐもった呻きを上げた。
「……っ馬鹿に硬いな。なんだ?」
宙返りで体勢を整え着地し、よくよく壁を見れば、そこには見たこともない不思議な文字が、びっしりと刻み込まれていた。
……わからないが、この広間の強度はこの文字が何かしら関係しているのかも知れない……。
俺はすぐさまその仮説を採用し、次の攻防に備える。
この程度の打撲は負傷にも入らない。それより、この一撃の意味は、ブリス達を結界陣まで移動させる事。
ちらりと見れば、七人は無事結界の中に移動していた。
成程。ポムの言っていた通りだ。
結界に入れば、あれほど無防備であるにも関わらず、邪竜は手出しをしない。……いや、出来ないのか。
俺はまた、邪竜に刀を向けた。
鱗は硬く、一撃で仕留めるの無理だ。
そしてあの巨大であればスタミナは俺より上。長期戦になれば、俺は不利になるだろうし、結界陣があるとはいえ、地の利はやつが上。
なんせ、こいつの“巣”なんだから。
「クルルァァァァァァァァァーーーーーーッッッ!!!」
再び攻撃を仕掛けてきた邪竜から、俺は身を躱し鍾乳石で出来た柱に身を隠しながら、辺りの索敵を行う。
地の利は奴のが上。
だが、さほど広いフィールドでは無さそうだ。ならば、索敵で、こちらも把握してしまえば良い。
そう思い索敵を開始した所、俺はふと妙な違和感を感じた。
この広い洞窟の、天井に近い一角の壁にある窪み。そこに“横穴”が開いていたんだ。
……窪みだから穴とか、そう言うんじゃない。
ソレは、直径一メートル程の黒い穴。
その穴は底のない深い、深い穴。索敵の触手を伸ばそうとしても中には何も無く、まるで異次元への入り口の様な、そんな身の毛のよだつ“闇”。
俺がその穴を警戒していると、その穴の裏側からあり得ない者が、チラリとコチラに頭を覗かせた。
「!?」
俺は邪竜が目の前にいると言うのに、思わず慌ててそちらに頭を巡らせ声を漏らした。
「ーーー……ポム?」
俺と目があったポムは、慌ててその頭をまた穴の裏側に引っ込めた。
見間違いじゃない。……だけど何で、あいつがこんな所に……?
俺は混乱しつつも、再び目の前に迫る邪竜に向かい、跳躍した。
〈ポム視点〉
ーーーその日、とうとう勇者達が洞窟にやってきた。
オレは旦那に出してもらった、この“闇のシールド”の裏側で、内心震え上がっていた。
……あんだけ大口を叩いたんだ。オレだってちょっとはいいとこ見せないと。
そうは思えど、目の前で繰り広げられる旦那と勇者の戦闘は、ローレンとラディーの打ち合いがままごとに見える位の“殺し合い”だった。
オレが震え縮こまっていると、ふと勇者がこちらを見ている視線に気付いた。
……嘘だろ?
だって目の前に旦那がいて集中しなきゃだし、ここと勇者、一キロ以上離れてんだけど……。
オレは気付かれていないことを祈りつつ、そっとまた闇のシールドの裏側に身を隠した。
ーーーーーそこに 私は居ません 眠ってなんか いませんー 千のかぁー……。
現実逃避の為、オレが心の中で歌を歌っていると、呟きにも似た勇者の小さな声が聴こえた。
「ーーー……ポム?」
……っバレたぁ!!?
〈孵化まで後3日〉




