番外編 〜邪竜さんは、召使いを追い出したい16(悪夢)〜
ーーー……ヤメロ。
ーーー言うな。そんな奴と話すな。
オイラの意識は、必死で目の前の和やかな憧憬を拒絶する。
だけどその声も願いも届かず、停止ボタンの無い動画のように、“オイラ”と男は話を続けた。
『ーーー……オイラは思った。ノルマンに居る奴等なんざか、馬鹿ばっかりだってな』
『はは、手厳しい。だけど、実は僕もそう思ってまいす』
『行ったことあるのか?』
『はい。そこにあった一通りの論文や、研究については目を通しましたが、在学するに値しないレベルでしたね』
『だよなぁー! オイラもそう思った。そういやあれは知ってるか? “眠らずの錬金術師”の本は』
『ええ、勿論。あれはなかなか興味深かったですね。尤も、著者不明のあの本は、一般的には“狂人の幻想魔法”として袖にされているものでしたが』
『へぇ? そんな事になってたんだな。お前はそれ見てどう思った?』
『興味深くはありましたが、皆が“狂言”と言う意見には同感です。何故なら、あの魔法の根本自体がまず不可能。そして矛盾も多い。……例えば“無”に“有”を取り込む事が“無”を否定しているし、もし出来るとするなら、その魔法こそ“創世”の原点にすら当たるのですから』
『ーーー……そうなんだ。……へぇ? そうだったんだ……』
かつて書いた本が、想像以上に読み込まれ、検分され、自分でさえ想像もしてなかった可能性の指摘に、オイラは戸惑うと同時に、こそばゆい様な愉快な感覚に襲われた。
だからオイラは、この男にもっと色んな事を教えてやりたくなったんだ。
『ま、何れにしろ“無”と“有”を繋げるなど不可能ですし……。それが何か?』
『あ、ああ。そいつの遺した“原本”があるんだ。見るか?』
『それは凄い! 是非見せて頂きたい!』
男は目を輝かせながら、嬉しそうに即答した。
気分の良くなったオイラは、なんの疑いも無く、誇らしげに言ったんだ。
『ああ、いいぞ。ついて来いよ』
ーーーもう、後悔してもしきれない。
何であんなやつを信じた?
何であんなやつに心を許した?
何でオイラは、……あんな奴にベラベラ喋っちまったんだよ……。
オイラは溜に溜まった鬱憤を晴らすように、男にドワーフ達の事や、黄金の宝と卵の関係について話した。
オイラはが卵を守り続けている理由を、嬉々として話した。
話を聞き終えた男は、目を丸めながらオイラに言ってきた。
『ーーーでは、貴方は古のドワーフの為に、己を犠牲にして心を殺し、侵入者を追い返し時に滅しているという事ですか。なんとも献身的で自己犠牲的。その尊さに、僕は心を打たれました! どうか僕にも、ファーブニルさんの為に何かさせてください』
『なにか? へへ、よせやい。これはオイラの罰。オイラで何とかするさ』
オイラの努力を知ってもらって、褒めてもらった。
それだけでオイラは満足だった。
だけど男は、思いもよらぬ提案をしてきた。
『ならこう言うのはどうでしょう? 僕はある場所を切り取って、特殊空間にすることができるんです。その特殊空間内では、時間の進みを限り無く遅らせる事ができる』
『……え?』
『例えば“いくら手入れをしようと4000年後には間違いなく風化により朽ち崩れる、古のドワーフ達の居住区を保護する”なんて事も出来ます。あれ等は誰の目にも触れられず朽ちるには、あまりにも惜しいと、貴方は思いませんか?』
男の提案は、オイラが懸念していた事そのままだった。
そして、それを解決出来ると言う。
『僕にはある力があるんです。“世のため、人の為”となるよう、神から与えられた力。貴方が望めば、僕は願いを叶えてあげられる』
『……聞いたことがある。人々の願いを叶えるために、神から無限の力を与えられた者達がいるって。ルービィ……お前、デーモンなのか?』
男は肯定も否定もせずに、ただ優しく笑った。
オイラは眉を寄せ言った。
『だけどルービィ、悪魔って“代償”が要るんだろ? オイラにゃ……』
『ファーブニルさんの願いは世界から見れば、さほど大きな願いではありません。なので魂の代償は要らない。今回の願いに必要な条件は、この守るべき場所を囲った結界陣の発動の為のマナを、貴方に提供頂くだけで問題ありません。そして、この“宝玉”を飲み込んでください』
『宝玉?』
『ええ、ダンジョンのコアとなるものです。これがあなたの中にある限り、この聖地は守られ続けます。“時”という浸食から』
男はそう言って、丸いオーブを掲げた。
オイラは守りたかった。
そんな事で済むなら、安い事だと思った。
ーーーそしてオイラは結界を発動させるための魔力を陣に込め
オーブを呑み込んだんだ。
途端、男の様子が激変した。
今までの優しげで誠実な雰囲気は消え、底冷えのする気配を放ちながら、肩を震わせ嗤っていた。
そして嗤いを堪えながら、やっとのようすで喋る。
『くっ、ははは。貴方は本当に強欲ですねぇ?』
『な、……にを?』
『アレもこれも守りたい。何一つ取りこぼしたくない。時間と共に朽ち、土へと還る事は神の定めし真理だというのに』
『え……、え? 待てよ。ルービィもさっき“朽ち枯れるには惜しい”って言って……』
『いや? 貴方の意見を聞いただけだ。僕はあんな物、別に朽ちようが、埋もれようがどうでもいい』
何も変わらないこの闇の洞窟が、まるで異空間のように感じる。
そしてそれ以上に、この男の変わりように、オイラは混乱した。
……何が起こった?
『僕はね、あなたの話を聞いてこう感じました。貴方は見かけほど恐ろしくは無い。ーーーそれどころか、吐き気がするほど、甘いなって』
『……何を……言ってる? おま、……おまえ、“世のため人の為に”つて……』
『そうですね。言いました。ですが貴方は色々と何か勘違いをなさってるようだ』
『?』
『“人”とは、貴方以外に何百億人と居るんです。“自分は特別”なんてまさか思ってしまいましたか?』
『っ!?』
『“世の為に”と言うならば、世界にとって危険なそんな炎など、無い方がいいに決まってる』
『なっ……』
オイラの宝を全て否定するこいつは何だ?
これまでのアイツの意見が正しかっただけに……、世界から否定されているような気分に陥る。
『あなたは言ってくれましたね。僕は“あらゆる方角から、物事を見ている”と。僕はあなたの話を聞きその結果、世の為人の為“ここは僕が守るに値しない場所だ”という結論を出した』
『待て……、待てよ、ルービィ』
『ああ、そうだ。僕は実は“ルービィ”なんて、馬鹿みたいな名前ではありません。ま、貴方に名乗る気なんて、端から無かったんですよ』
何なんだ? コイツは……。
『ーーー……っお前は、何者だ?』
『さあ? そんな事より重要なのは、ここが“ダンジョン”となった事です。まあご心配無く。貴方の希望通り、あの里はもう老朽化することはありません。四千年を四日まで短縮しておきました。しかも汚れても、5分で元の状態へ現状復帰します』
……それはオイラが男に望んだ願いの通り。いや、予想以上に理想通りだ。
だけどなんだ? この嫌な予感……。
コイツの寒気のする、笑いの意味は……。
『ーーーかつてあの里にいたドワーフ達の大半は、狂い死んだ。知ってます? 所有権の無い宝は、見つけそれを欲しいと思った、他人の物になるんです。しかしその権利を、貴方やダークエルフ、そして僕も望んでいない。つまり、ここ迄来た“勇敢な冒険者達”の物です』
『な!? ちがっ、違う! 違うぞ! これはドワーフ達のものだ!! オイラはいつか、あいつらに返すためにっ』
オイラが慌てて否定すると、男は鼻を鳴らして笑った。
『はっ、かの大狂乱の中で、“誇り”より“命”を取った、腰抜けドワーフのもの? 笑わせる』
頭に血が登るのがわかった。
目を閉じ、気配を探るのをやめ、呪われた瞳でやつを睨む。
そして殺意を持って顎を開けた。
『て……テメェ……、っ喰らってやるっっ!!』
ーーーーーギィィィンッッ!!
だがその蠢くゴミムシに、オイラの顎は届かず、空を噛む。
気味の悪い虫は、オイラを小馬鹿にするように、辺りを飛び回った。
『へぇ? それが呪われし瞳か。だけど残念だったね。ここはもう“ダンジョン”となった。つまり、全てが僕の意のままだ。例え魔王だろうが、僕のダンジョン内では羽根のもがれた蝿にも劣る』
『……っ』
最悪だった。




