新たな伝説のプロローグ
マスターによる胸糞注意を含みます。
神々は聖域へと帰り、シヴァもまた楽園へと去った後に、ふとラムガルが振り向いた。
そして所在無さげに、1歩下がった所に居るマスターに、声を掛ける。
「……貴様、ポヨポヨだった時の記憶はあるのか?」
マスターは目も合わさずキューブを捻りながら、面倒そうに答えた。
「無いよ。記憶を回収する間もなかった。もうアレの破片も記憶も、何処にも無い。……ま、アレは人形。気に留めることも無いか」
「……」
そう言ってマスターがカシャンとキューブを揃えたとき、ラムガルが唸る様な低い声を上げた。
「……あれは、……人形などでは無かったぞ」
「は?」
マスターは妙な声を上げ固まった。
それから物凄い不機嫌な顔でラムガルを睨んだが、すぐに何かに思い至った様に、ニヤリと可笑しそうに口元を歪めた。
「へえ? ずいぶん人形と仲良くしたんだ。僕そっくりだったはずなのに、……気味が悪いね」
「仲良くなどしておらん。だが、あれを人形と言うな」
「じゃあ何さ?」
「ーーー……あれは、……“英雄”であった。……今の貴様などより、よっぽど“英雄”であったわ!」
怒りさえ混じえながらそう怒鳴ったラムガルを、マスターは鼻で笑い、首を振った。
「は、理解できない。あれは単なる人形だ。組み込まれたプログラムに沿ってのみ動く形骸。ーーー……まあ、冥福を祈りたいなら祈れば良い。それこそ“魂”すら欠片も残っていないケド? 元々無かったんだから」
ラムガルはニヤニヤと嗤うマスターに、冷ややかな視線を送った。
そして踵を返し、鼻を鳴らした。
「ーーー……フン、言われずともそうする。祈りとは、もとより形あるものにする物ではない。貴様なぞ、いずれ誰にも祈られず消えれば良いわ」
「……」
マスターは魔王の後ろ姿を、憎々しげに激しく睨んでいた。
だけど唐突に、誰も思いもよらなかった言葉を、ラムガルの背に掛けた。
「魔王よ、お前はまだ強くなれる」
振り向きはしないものの、ラムガルの歩みが止まった。
マスターはまるで、賢者のような凛とした、刺すような鋭い声で言う。
「かつてダンジョンで僕が出した“魔王”があったろう? あれが魔王の真の力だ」
「……」
魔王は答えない。だけど、歩み去ろうともしない。
「ーーー力が欲しくばくれてやろう。ただし、恥辱に塗れる覚悟があるのならば」
……何処かで聞いたことのありそうな台詞だ。もっともそれは、多分悪役的な者が言うセリフなんだけど。
そして、やはりラムガルは答えなかった。
マスターは肩を竦め、その背中から視線を逸らせると、いつもの様に人を小馬鹿にした口調で吐き捨てた。
「……まあいい。気が向けば、僕の作ったダンジョンに足を踏み入てみればいい。地獄が待ってるだろうけどね」
「……」
ラムガルは、何も答えずまた歩みを進めると、やがてその姿を消した。
そしてそれと丁度入れ替わりのタイミングで、空から一体の美しい天使が舞い降りてきた。
泣きそうな顔をした、ティーガテイだった。
そしてティーガテイは、着地と同時にマスターに詰め寄る。
「ーーー……マスターっ、ごめんね。ごめんね、あの……」
「謝らないでください」
マスターは慌てふためくティーガテイに、そっと手で制しながら、それは優しそうな微笑みを向けて言った。
その言葉と、笑顔に、ティーガテイは目を見開く。
「ーーー……っ」
マスターは顔に笑顔を張り付けたまま、ティーガテイに恭しくお辞儀をした。
「僕は別に、貴方に囚われた事なんて、なんとも思っていません。貴方に裏切られた事も、僕にとってはどうでもいい事です。だって、始めっからどうでも良かった。だから今も僕は、貴方に怒りも悲しみもしてませんよ? ……ね? ティーガテイ様。そういう事なので、謝らないで下さい。無意味です」
「っ」
ティーガテイの表情が凍り付く。
その心の在り方を言い表す言葉として、“好き”の反対は“嫌い”では無い。“無感情”こそが、向けられる好意を完膚なきまでに拒絶するのだ。
言葉を詰まらせるティーガテイに、マスターはふと思い付いたように指を立て言った。
「ーーーあ、そうだ。ただもし、僕に何か罪滅ぼしをと勝手に思ってくれてるのなら、ひとつお願いしてきましょうか」
「……?」
凍りついた表情のまま、ティーガテイは不思議そうに頷く。
そしてマスターは笑顔のまま、ティーガテイの育て上げた“心”を打ち砕いた。
「二度と、僕の事を好きとか気になるとか、“冗談”でも言わないで下さい。大天使様だから言えませんでしたが、迷惑でした」
「ーーーっ」
ティーガテイは俯き、口元を抑えると無言で飛び上がる。
そのまま空の彼方へと、去っていった。
そしてマスターは、また何事も無かったかのように、キューブを回し始めた。
その様子を見ていたライラが、眉間にシワを寄せてポツリと言う。
「……噂では聞いてたけど、最悪な奴っちゃな」
そんなライラの肩を、そっと勇者が押す。
「ああ言う奴なんだ。行こう。近くにいるだけで、胸糞が悪くなる」
「……」
そして勇者に促されるようにライラと魔族、そしてルースもまた去って行った。
残ったルシファーが、呆れ果てた顔でマスターを見る。
マスターは居心地悪そうに、ルシファーを睨んだ。
「……何だよ、ルシファー。言っとくけど事実、僕は被害者だ。責めるなら……」
「……いや、それにしても最悪だろ」
ルシファーの答えに、マスターはげんなりと溜め息を付き、野良犬でも追い払う様に手を振った。
「ハイハイ、ルシファーもさっさと行けば? 言ったでしょ? 今回は手を組んだけど、本当は組みたくなかった。もうこれっきりだ」
「……」
億劫そうにまたキューブを弄り始めたマスターに、ルシファーは笑いながら、突然その頭をぐしゃりと撫でた。
「っ!?」
「でもさ、良くやった! お前がいなきゃ、きっとこの結末は見れなかったからな」
「なっ、……何を言ってるんだ!? 魔王も言ってただろ! やったのはあの人形だってば! 僕は何もしてない! 捕まってただけだ!!」
驚き、慌てて身を捩ってその手から逃げるマスターに、ルシファーはガッシリとその頭を掴みながら、ニヤリと笑う。
なんと言っても、彼は人の良いところを見つけるのがうまい。どんな些細な善意も、決して見逃さないのだから。
「でも、人形を作ったのはお前だろ? それにあの人形が言ってた。お前の行動パターンが組み込まれてるって。つまり人形が無くたって、お前はあいつと同じ行動をとってたって事だ」
マスターは一瞬、信じられないとでも言うように、呆然とルシファーを見つめた。
だけどすぐに、その目に敵意が宿る。
「ーーー……違う。僕は関係ない。……関係ない! そんな無理矢理妙な解釈しないで、……っルシファーも僕を嫌えば良いだろう!? あー、もう、腹立つなぁ! 僕はアンタの事も嫌いなんだからっ!!」
そう言って突然キレだしたマスター。
「? な、なんだよ?」
「……っ、いいからっ、早くどっか行けよっ!」
ルシファーはマスターの事を、生前から知っていた。
更にはその生前以前から、切っても切れない縁がある。
その上で彼の個性を認め、チョクチョク怒り心頭にさせられつつも、生意気な“弟”の様に感じていた。
誰が彼を“最凶”などと呼ぼうが、ルシファーは彼がかつてはただの人だった事、そして今はただの聖者である事を、正しく理解していたのだ。
そんなマスターを、ルシファーは何を言われようが、嫌いにはなれなかった。
まるで手負いの獣のような目で睨んでくるマスターに、ルシファーは肩を竦めながら言う。
「……そうか。……お前も少し休め。また連絡する」
「いいよっ、もう来なくて!!」
ルシファーは手を振ると、踵を返し飛び上がった。
マスターはその姿を見送ることも無く、かと言ってダンジョンに帰るわけでもなく、美しく色を変える空の下で、何処か悔しげに大地を睨んでいた。
ーーーそしてルシファーは、後の彼を止める最後のチャンスを、この時逃したのだった。
それこそが大きな戦の後に皆が気を抜く中、例外なく気を抜いていた彼の垣間見せた“本心”だったと言うのに。
◆
一人の男が、戦で抉れた戦地跡を、ゆっくりと聖域に向かって歩いていた。
その時突然、疲れ果てた男の前の空気が一瞬揺らぎ、男は目を見開いた。
「やぁ、こんにちは! ボクは幸運な神だね。生まれてすぐに、こんな腕の良い鍛冶師に出会えるなんてさ」
「ーーー……っ」
その瞬間、男は疲れなど忘れてその場に跪いた。
「あれ? もしかしてボクを崇拝してくれるの? ボクは鍛冶の女神だよ」
恍惚とした表情で男は、見開いた目から涙を流した。
「ーーー……僕の……、僕の女神!」
「ねえ、君の名前は? ボクはブリキッド。キッドって呼んで」
「キッド、……キッド! 僕はガルダだ。僕はっ、君のために鍛冶をする! 死ぬ迄だ!!」
「うわーい! いいね、ガルダ!! 君最高!」
喜ぶブリキッドに、一瞬ガルダの声のトーンが落ちる。
「……だけど僕は、多分武器はもう打たない……、っでも……」
「……武器? 何それ? 何だっていいよ。それより君の力をボクに見せて! あのソリも凄かったけどさぁ……」
八百万の神々は、力を求める。
だけど、それは決して“戦力”に限る物ではない。
そこで無邪気に笑うブリキッドは、きっとこれから、人の心を感動させる物を生み出す神となっていくのだろう。
俺はそう思った。
そしてその時、ガルダとブリキッドにの背後から、小さな少女の声が上がった。
いつの間にそこに居たのか、カーリーだった。
「ガルダおじさん」
ガルダは振り向き、カーリーの姿に目を丸めた。
この戦の後に於いて傷一つ、汚れ一つ無い、逆に異様なその姿に。
「カーリーちゃん、無事だったのか……」
「……クリシュナに、助けられた」
ガルダが目を見張っていると、カーリーは崩れるようにガルダに駆け寄り、しがみついた。
そして大声で泣きじゃくる。
「おじさんっ、……皆、皆行っちゃった! 死んじゃった! ラクちゃんも、サラちゃんも、シヴァお兄もっ、……皆、神様の所にっ、行っちゃった!! イヤだよ、置いてかないで! ガルダおじさんも行っちゃうの!? 嫌だよ、死んじゃいやだよっ……」
「……っ」
ガルダはシヴァから、カーリーの死に対する妄執が消えたと言う話は聞いていた。
ーーー……だがそれにしても、この変わり様は何だ?
ガルダは、カーリーが自分に触れられるのを、嫌がっている事を知っていた。
だけどそれすらかなぐり捨て、自分に行くなと、……死ぬなと泣き縋ってくる。
ガルダはカーリーに対し、今まで感じていた以外の愛情が芽生えるのを感じた。
そしてその感情に任せ、自分の服を握りしめて泣く少女の頭を撫でる。
「……あーぁ、大きくなっちゃったなぁ……。心配要らない。僕は神様の所に行くけど、死ぬ訳じゃないし。……そうだ、カーリーちゃんも来るかい? クリシュナと一緒に仕事をするんだよ」
「……っ、行く」
カーリーは二つ返事で答え、顔を上げた。
そしてガルダとカーリーは手を繋ぎ、また聖域に向かって歩き始めた。
ーーーこうして、新たな希望と、小さなしこりを残し、新しい朝は始まったのだった。
これにて、下々の者達のその後のお話は終わります。
そして今後に繋がる、分かりやすい伏線を張っておきました。(^^)
その他にも、この戦いの中で後の話への伏線は結構あったんですが、それはまた後のお話で、「あー、あれか!」と思っていただければ幸いです。
次話“神々の考察”みたいな話を書く予定です。




