聖夜の奇跡⑧ 〜夜の終わり〜
「どうした? 勇者よ」
ふとラムガルは、勇者が無言で涙を浮かべていることに気付き、声を掛けた。
勇者は涙に視界が霞む事に、もどかしさを感じつつ、素早く何度も溢れる涙を裾で拭った。
そして言葉を詰まらせながらも、ラムガルに答えた。
「ーーーっ、……これが……見たかったんだっ」
その答えにラムガルは一瞬沈黙し、勇者から目を逸らせると、また目の前の光景に視線を戻した。
それからポツリと言う。
「……お前は“理想郷の記録”に、ずっと憧れていたからな。魔物と人間達の共存。箱庭のなかでしか実現しなかった幻が、今ここにあるのだ」
「っ」
勇者がまた一度涙を拭い、ラムガルの横顔に目を向けた。
ーーーずっと、ずっと夢見ていた。貴方の隣で、この光景を見る事を。
その時、独特の訛りある声が、勇者の後方から上がった。
「見つけたで! 勇者ぁ!」
「!」
同時に小柄な少女が、振り返った勇者の胸の中に、飛び込んで来る。
「ライラちゃん!?」
ライラは紫紺の髪を一度勇者の胸に埋めると、嬉しそうにその腕の中から勇者を見上げ笑った。
「探してたんよ、ずっと。ーーー……あれ? 勇者泣いてんの? 大丈夫?」
至近距離から勇者を覗き込んだライラは、その目が赤くなっていることに気付き、心配げに首を傾げる。
それを見た勇者の頬が、信じられないほど緩んだ。
そして、キュッと優しくライラを抱き締めると、その髪に頬ずりした。
「うん。大丈夫だよ。ライラちゃんと仲良くできることが嬉しすぎて、涙が出ちゃった」
「も、もうっ! 勇者、恥ずかしやんそんな……」
「ダメ?」
「ダメちゃうけど……」
ライラを追いかけてきたルースと魔族、そしてその周りにいた者達が、その突然のテロ行為に砂糖を吐いた。
「ラ、ライラ! 魔王様の御前で、お前は一体何をしているんだ!!?」
「そうだ、そうだぞライラ! お父さんの言う通りだ! チャラ勇から離れろ!」
ひと通り砂糖を吐き終えた魔族とルースが声を上げる。そしてラムガルも、抱き合う勇者とライラを睨んだ。
「お前は、何者だ? ……勇者よ、どういう事だ」
「あ、兄サン。この子はね、僕の未来のお嫁さんだよ」
ラムガルの眉が釣り上がる。
ライラはハタとラムガルを見上げ、もぞもぞと勇者から抜け出すと、ラムガルに跪いた。
「魔王ラムガル様。私は魔族長フェンガスの娘、ライラと申します。魔王様に折り入ってお願い申し上げたい事がございます」
……ラムガルは俺から見ても、それはそれは厳しい姑だ。
これまで歴代の勇者の嫁を、その代の勇者に見合った者かどうか検分し、時には袖にし、時には叩き上げてきた。
そして、今のこの勇者は覚醒せし者。並大抵の相手では、ラムガルの目に適わないだろう。
ラムガルは跪くライラを、冷ややかな目で見下ろしながら言った。
「魔族ごときの娘が、余に頼みだと? 分を弁えよ、カスが」
始まった。ラムガルの嫁イビり!
「そうだぞ、ライラ! 分をわきまえろ!」
「そんな! 兄サン、ライラちゃんに酷いことは言わないで」
「あれが魔王……!? 他の魔物達との力が段違いだっ……」
外野はラムガルに様々な見解を示す。
だけどライラだけは、曇りの無い瞳でラムガルを見据え、ハッキリと言った。
「わきまえているからこそのお願いにございます。私は無力にして無知。どうか、……どうかそんな私に、“家事”を教えてください! その為なら、私はどんな苦行にも耐えてみせます!」
「「「「!!?」」」」
その場の男共が、目を見開いた。
ライラは知っていた。ラムガルの主夫力の高さを。
ライラは知っていた。魔王のスカーフがいつも、そして未だに美しい事を!
だからぜひ、姉の形見のスカーフの手入れの方法を聞き出したかった。因みに勇者との将来は、ライラの決定事項なので、許可を求めるつもりはサラサラなかった。
だが、男共は勝手に感動した。
「ライラちゃん……。僕の為に……? 健気すぎる!」
「……ふ、頼み事というから何かと思えば……。なるほど良い覚悟だ。良いか? 余は、決して甘くは無いぞ」
「……ま、魔王様が……、ライラを認めただと!?」
「そんな、ライラ……魔王に魂を売ってまで……」
その時のラムガルの目は、彼本来の本領を遺憾なく発揮できるだろう期待に、それはキラキラと輝いていた。
……息子の嫁や孫と、仲良くお茶を出来るとか、最高だね。
ーーーこうしてライラは、またもや名もなき姉に、図らずもその未来を祝福されたのであった。
◆
上空ではレイスが満足げに大地を見下ろし、地上ではゼロスがため息を吐きながら、体に刺さったアロンダイトを抜いて投げ捨てた。そして、重い腰を上げるようにして、レイスとエルフ達のいる上空へ飛び上がった。
レイスは不機嫌そうな顔のゼロスに、嬉しそうに声を掛けた。
「あ、ゼロス。聞いて、凄いことになった!」
「……見てたよ。何なのこれ? 僕との戦いは何だったの?」
レイスはキョトンとしながら、答える。
「? 楽しかったよ」
「ーーー……はぁ……」
ゼロスは脱力して、大きな溜め息を吐いた。
それからゼロスはふと、何処にも居ないエルフに視線を送り、またレイスを見て尋ねた。
「それで、レイス。僕初耳なんだけど、彼の願いを何でも叶えるとか約束してたの?」
「約束では無い。レイスの胸の内に秘めた誓い!」
「じゃあさっきは誓いを破ったの!? 意志弱いな!」
……まあ、あの時は俺も驚いたからね。
ゼロスも色んな意味で驚愕しつつ、レイスに叫んだ。
レイスは口を尖らせながら、ゼロスにモゴモゴと言い訳する。
「……別に、誓いを破った訳じゃない。あの時は、取り込み中だっただけ。今なら、別にいいし……」
「……」
その言葉にゼロスは、無言で何処にも居ないエルフを睨んだ。
何処にも居ないエルフはビクリと震え、その視線から逃れるように引き気味に言い訳をする。
「え!? あ、オイラ、レイス様にお願い事とか、ホントアレで最後のつもりでしたよ!? ほら、えー……と、レイス様にお願いして、その結果がヤバイ事くらい重々承知してますから! 闇の力で十分懲りてますし……ねぇ?」
闇の力。それはレイスがノリで与えた、ゼロスの渾身の一撃すら容易く呑み込む程の、無限の力。
そしてそれは、あまりの危険さにより、この世界から封印された力でもあった。
ゼロスはまだ若干冷ややかな視線を送りつつ、何処にも居ないエルフに言った。
「そう。君が奢りの無い、小心者で良かった」
「……それ、褒めてます?」
冷や汗を浮かべながら、首を傾げる何処にも居ないエルフに、ゼロスは微笑み、エルフに手をかざしながら言った。
「あはは、褒めてるよ。まあ何れにせよ、君の取った行いは“尊い結果”を招いた。僕は君を祝福する」
「え?」
何処にも居ないエルフの困惑をよそに、ゼロスはかざした手に光を集める。
「もちろん僕は、君を信じている。君はきっとそのレイスの課した成約を悪用しはしないと。だけど君の意思に関係なく、その想いは蹂躙されることもあるかも知れない。その時は僕からの加護で、その身を守り……」
「ヒィっ……」
その瞬間、ゼロスが差し出した手から、名もないエルフは、身を捩り逃げた。
「?」
首を傾げるゼロスに、小心者はきっぱり言った。
「かっ、加護もっ、寵愛も要りませんっ!」
「「……」」
……加護と寵愛は、今回の戦の発端で、事を大きくした原因である。
勘の良い何処にも居ないエルフは、神よりの贈り物を力いっぱい、必死で断った。
神々はその無礼を言及する事はなく、ただ気不味そうに目を逸らせ、掲げた手を引っ込めた。
何処にも居ないエルフも若干気不味そうにしたあと、笑顔でフォローを入れる。
「……それにオイラ、かくれんぼだけは得意なんです。悪い奴が来たら、隠れてやり過ごします。生まれた時に貰っていた能力だけで何とかしますよ」
ゼロスは笑った。
その時、不意に何処にも居ないエルフの存在感が弱くなる。
クリスもそのことに気付き、泣きそうな目で何処にも居ないエルフを見上げた。
何処にも居ないエルフは、ふと透ける自分の手を見つめ、思い出したように慌ててレイスに言った。
「あ、そうだレイス様! ひとつだけ、お願い事があります!!」
「「!!?」」
レイスとゼロスが、驚いたように何処にも居ないエルフを見た。
ーーー先程、あれほどいい感じに話しがまとまったのに、ここでひっくり返すとは、なかなかレイスにも負けていない。
「あ、いやね。クリス、サンタ様の元で働くの、ずっとずっと楽しみにしてたんです。ーーーだからレイス様。どうか俺のチビの事、よろしくお願いします。……あ! これは、オイラのお願いじゃなくて、クリスの親としてのお願いで……」
彼の言葉が終わる前に、東の空がうっすらと明るみ始める。
ーーーそして何処にも居ないエルフの姿はそのまま、まるで霧のように薄らぎ、そして夢の様に消えた。
レイスは茜色の空に向かって、珍しく微笑みながら、呟くように言った。
「いいだろ。計らってやる。 ーーーボスとして当然の事でもあるのだから、ついでにな」
はい。この回で、ラムガルのハッピーエンドフラグを立てておきました!
もうね、皆が幸せになる呪いをかけときます。
皆、お疲れ様!!
この後、“その後の彼等”を少々書いて、5章は終わりになります。
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