聖夜の奇跡① 〜黄昏の天界戦争15〜
―――もし、この世界にもし奇跡があるとしたら、それはとても何気ない物。決して不思議なものでも、何でもない物。
懸命に生き抜いた者達の歴史や、小さな想いのピースが集まり、組合わさり、出来上がっていくジグソーパズル。
出来上がった絵は、時に神ですら、思いも寄らない物になる事がある。
人はそれを“奇跡”と呼ぶんだ。
そしてこの物語に必要な、忘れてはいけない最後の1ピースは、実はとっくにそこにあった。
そう、それは一人を除いてこの世界から忘れ去られたピース。
神々にこの世界から、その存在を無かったことにされた者。
―――ひとりの男が、轟音の轟く戦火の中で、離れ離れになった娘を探し彷徨い歩く。
雪の中で戸惑ったように辺りを見回しながら、ただ歩いていた。
「どういう事じゃ!? さっきまでそこに居た走る地竜が消えた!? い、一体何処に……」
「あの……」
「油断するな! 見失ったのかも知れんぞ!! ―――……お前、なにか言ったか?」
「オイラの娘を知りませんか? 栗色の髪のエルフ……」
「知らん」
「……そうですか」
男は雪の降りしきる夜空を見上げた。
「んー……、参ったな……」
そして男は再び歩き出した。
大事な娘を、ただもう一度その胸に抱く為だけに。
◆
―――雪の降る夜の事。
小さな小さな島の浜辺で、小さなエルフは小さな寝息を立てる、もっと小さな少女の頭を撫でていた。
少女は泣き腫らした顔を、エルフの膝に埋め眠っている。
世界を揺する地鳴りはすれど、戦火は届かず、あたりには深々と雪が積もっていた。
かつて戦場だったその地の瓦礫は雪に沈み、その激戦の跡も、想いも、哀しみも、全てを白く塗り替えていく。
エルフは無防備に眠る少女に、体を暖める魔法をかけた。
風邪をひかないように。
そしてまた、その苦しみが少しでも和らげばいいと、優しく撫で続ける。
―――ーービシッ……
しかしその時突然天から、背筋の凍る音が響いた。
「―――っ!?」
エルフは天を見上げた。
それから慌てて膝で眠る少女を、超硬度の魔法のしゃぼん玉に閉じ込めると、海の彼方に向けて、それを力任せに投げた。
エルフは魔法で足下の強度を増し、大地を蹴って跳び上がった。
直後、空で白い光が弾け、光と鏡の破片が“死を運ぶ雨”となり、世界に降り注いだ。
それから随分遅れて、何かが割れる大きな音が、世界に轟いた。
◆
「大丈夫ですか!? ゼロス様!」
クリスが空から落ちたゼロスの身体を抱きとめた。
ゼロスはクリスの腕の中で、一度大きく頭を振ると跳ねるようにその腕から素速く抜け出した。
そして空を睨み、クリスを手で制する。
「ありがとう、クリス。うっかり大地にぶつかったら、壊してしまう所だった。だけど危ないから君も下がっているんだよ」
クリスは初めて見る、ゼロスの怒りと焦りの混じった表情に、恐怖で言葉を詰まらせた。
―――ゼロス様が、怒っておられる。
ゼロスは本気で、持てる力の全てを出して、止めようとしていた。
―――それでも届かないものが、世界を壊そうとしてるんだ。
世界最強の力を与えられた少女は、神の放つ覇気に息すらできず、ただ震えた。
だが間もなく空から、黒いエネルギーが落ちてくる。
ゼロスが何かを叫びながら、それを受け止めるが、クリスはその衝撃に、枯れ葉の如く吹き飛ばされた。
最強といえど、クリスは戦士では無い。誰かを殴った事すらなく、受け身の取り方など当然知らない。……今まで必要もなかったのだから。
クリスは再び壊れた小島へと、叩き落とされて行った。
◆
レイスが笑う。
「ゼロス、レイスはいい事を思いついた。恐怖を克服すれば、ゼロスは更なる高みへと昇れる。そして恐怖を克服するには、“慣れ”が一番良い」
黒い光を受け止めるゼロスはキッパリと言った。
「僕は高みになんて、別に昇りたくないよ」
「……。ここ迄来て、ゼロスはまだ何も分かってない」
レイスの声が、ワントーン下がった。
「もう、言っても無駄。身体で覚えればいい。これからレイスは“鬼コーチ”となる。……一個でも受け止め損ねたら」
「……やめろ、レイス」
ゼロスの瞳が揺れた。
「世界が壊れる。さあ、根性を見せてみろ、ゼロス」
◆
地上では、勇者が神の光の破片を聖剣で受け止めていた。
受け止めたとはいえ、その勢いは殺しきれず、勇者は音速で押し返されながら悲鳴を上げる。
「ムリッ、ムリムリッ!! “火事場の馬鹿力”スキルで、死なないでふみとどまりましたけどね!? “最後の一撃”スキルのスーパークリティカルヒットで受けましたけどぉぉ!!?」
上空で受け止めたものの、光に押し返される勇者は、徐々に大地に近付いて行く。
「っく、おお、おぉぉぉ――――――ーーっっっ!!!」
諦めはしない。
―――……だけど……
だけど、どれほど足掻いても、敵わないものだってある。アーサーの時だって……、
だがその時、勇者の背中は誰かに“物理的に”支えられた。
勇者はその者の名を、信じられない思いで呼ぶ。
「―――……え? に、兄サン……?」
その背には、魔王がいた。
魔王は勇者の持つ聖剣の柄を共に握りながら言う。
「合図を出したら、聖剣を離せ」
「え? う、うん」
勇者は言われた通り、合図に合わせ聖剣から手を放した。
途端、聖剣は神の光の欠片諸共、天高く弾き上げられた。
「え……」
神の光はそのまま角度を変え、空の彼方に消えていった。
勇者は100メートルほど地を滑り止まると、魔王を見た。
「……何を、した?」
「ルシファーから、お前を助けろと通信が入った」
「でも、どうやって?」
魔王は少し憎々しげに言う。
「……先程の地点が、重力反転のダンジョンになっていた。余が聖剣を持てば、その剣に秘められた聖石により、超重力が発生する。重力反転の場にてそれを行えば、あの破壊エネルギーは空に弾かれる……と言うわけだ」
勇者の顔が青ざめる。
「まさか……」
「ルシファーからそれが誰の策かは聞いてはおらぬ。そして尋ねる気はない! 絶対にっ!」
「……」
世界は今、一つにまとまろうとしていた。
八百万の神々は人に力を与え、人は魔物に力を貸す。
魔物は人間を信じ、精霊達はその全ての者達に助言する。
勇者と魔王は笑い合い、聖者と亡者は手を取り合い、魔獣と聖獣は同じ群れとなり、天使達は全ての生きとし生きる者へ、祝福の歌を歌う。
ただこの夜の先を見たい。それだけを願いながら。
―――でももう、何も見えない。
至近距離で見た眩しい光に、クリスの網膜は焼き尽くされた。
―――もう、何も聞こえない。
ゼロス様の怒声は、白と黒のエネルギーのぶつかり合いに掻き消される。
空の上で響くレイスの楽しげな笑い声も。
至近距離から起こる轟音に耐えきれず、クリスの耳は壊される。
熾烈を極める神々の攻防の前に、ただ見ているだけで世界最強の存在が、それは呆気なく壊れていく。
―――やめて。
小さなエルフは願う。
―――壊さないで。
小さなエルフは祈る。
―――助けて……。
だけど、それは神じゃない。
―――助けて、私はまだ……。
もう泣く事しかできなかった。
目は見えず、耳も聞こえない世界。
その世界の壊れていく振動に、何も出来ず体を震わせ蹲る。
―――暗く冷たい闇の中で、ふわりとラベンダーの甘い香りがした。




