千年の恋① 〜黄昏の天界戦争⑩〜
上空から走る地竜に足止めの為の玉を投げつつ、ルシファーがポツリと呟いた。
「ーーー……いいなぁ、オレもあの紋欲しい……」
「馬鹿なの?」
すかさずマスターからのツッコミが入った。
「魔物は使役される側だからね? 使って欲しければ、幾らでも僕が使ってあげるよ?」
「……遠慮しとく」
ルシファーは顔を引きつらせながらそう言うと、残念そうに眼下に輝く紋を見送った。
まあ、紋を使わなくても、ルシファーは自分より強い者との戦い方をよく心得ている。
マスターも“悪魔長達と亡者を従える者”が、個人に使役されるなんて、悪夢でしかない事を理解しての提言だった。
その時、ルシファーの背後に何かがぶつかって来た。
「ぐっふ、ーーー……っなんだ!?」
その衝撃に、ルシファーは墜落こそしなかったものの、バランスを崩しくぐもった呻きを上げた。
そして同時に背中から明るい声が掛かった。
「ヤッホー、ルッシィ! 翼どうしたの? そっちの方がイイね!」
「あぁ?」
ルシファーが怒気を込め背中を睨む。
そしてその背中には、見た事もない赤い髪の若い男が取り憑いていた。
「ーーー……誰?」
「やだなぁ、ルッシィ、僕だよ、僕!」
「……スミマセン、知りません。降りていただけますか? マジで」
敵意が無いため瞬殺的な行動は取らないが、ルシファーには珍しく初対面の相手にブチ切れそうになっている。
若者は悪戯げに、そして囁きかけるように、ルシファーに言った。
「僕だよ。“ドグサイ勇者様”だよ」
「ーーー……!!?」
途端、ルシファーの目が見開く。
「ゆ、ゆゆゆ、ゆ勇者サマ!? まさか、記憶っ!!?」
完全にキョドり気味のルシファーに、勇者はサムズアップとウインクを決めて言う。
「バッチリ☆」
「精霊王様に続きお前もかぁーーーっっ!!」
絶叫するルシファー。
まあ、勇者と精霊王は双子の兄弟みたいなものだしね。
勇者はルシファーの背中に取り憑いたままニコニコと言う。
「で、ルッシィは何してるの? ルッシィの強みって亡者を使える事じゃん」
「ーーー……あー……、実は……」
ボソボソといったルシファーの言葉に、勇者は可笑しそうに笑った。
「魔核の欠片を失くした!? ダッサ!」
「……(イラッ)」
「やだなぁ、そんな目で見ないでよ。ほら、僕が見つけてあげるから、ね?」
勇者はルシファーの頭をバフバフと叩くと、指を鳴らした。
「おいで、“精霊王”」
途端、ルシファーの隣に光が集まり、小さな子供の姿を象っていく。そして少年の姿が完成した時、精霊王は嬉しそうに声を上げた。
「勇者! どうしたのその身体!?」
「やぁ、兄弟! 神様から賜ったんだよ。ねえ、それより精霊王。ルシファーの魔核の欠片、知らない?」
「知ってるよ」
精霊王はそう言うと、小さな革袋をその手に出した。
「あ! オレの!」
驚くルシファーに、精霊王が眉をしかめながら言い募る。
「僕が盗ってた訳じゃないからね! ガンジスに流されたのを分身の精霊が見つけた。それを今取り寄せただけだ」
「あ、はい。わかってます! ありがとうございます!」
ルシファーがそう言って手を差し出すと、勇者がニヤリと笑いながら、口を出す。
「ーーー……ルッシィ? 僕へのお礼は?」
「……(イラッ)。……アリガトウゴザイマシタ……」
「もっと心を込めてっ」
勇者が楽しそうにそう言ったとき、ふと声が上がった。
「そのくらいにしてあげて? “おバカな勇者様”」
「っ」
勇者の肩がビクリと跳ね上がる。
そして恐る恐る、声の方に目を向ければ、そこにはニコリと微笑むマスターの姿。
「お久しぶりです、勇者様。過去の記憶があるように、お見受け致しますが」
「な、……何で、賢者レイルがここにっ……」
「あれ? 言ってませんでした? 僕、ルシファーと仲いいんですよ」
勇者の目が疑惑に揺れ、顔が引き攣る。
「嘘だっ、そんなっ、お前と仲良く出来るやつなんて……っ……」
近づく全ての者の心を、嘲笑いながらバキバキに叩き折る最凶の男。それがマスターだ。
その時、ニコニコと微笑んでいたマスターの顔が、一瞬般若のように歪み、低く震える悪魔の声が響いた。
「ーーーその袋を置いて、とっとと消えな。このドグサイ糞馬鹿勇者が。それかお前とも仲良くしてやろうか、ゴルァッ!!」
「うわ……うわあぁぁぁっっ!!」
ーーーそうして、勇者は乱戦の波の中に消えていった。
……よっぽどマスターと、仲良くしたくなかったんだね。
精霊王もいつの間にか消え、ルシファーの手には小さな革袋が握らされていた。
「……フン」
鼻を鳴らしたマスターに、ルシファーはドン引き気味に尋ねる。
「ーーー……レイル……。お前勇者サマと、どんな付き合い方してたんだよ?」
「いや、普通だよ。……簡単に言うと“ムチとムチ”」
……普通はアメとムチだ。
ルシファーは溜息を吐く。
「……完全に恐怖支配じゃねえかよ……」
「ルシファーもやったことあるでしょ? ほら、ラタトクスを相手に」
「……。……まあいいか。魔核も戻ったし、やるぞ!」
ルシファーは、それ以上ツッコム事をやめたのだった。
◆
ーーー走る地竜達の動きが変わった。
魔物達はそれを肌で感じとり、人間達はすぐさま仮定と対策を打ち出し、互いに共有した。
そんな中、ライラとルースは孤立した集団となり、走る地竜の群れに取り囲まれていた。
ライラが斧を握り締めながら言う。
「ーーー……ヤバイでルース。……アイツら、アタシ等を分断して追い込もうとしとるわ」
「ああ、しかもそれだけじゃない。役割に分担が出始めてる。追い込む係と突っ込む係」
分かっていても、まるで牧羊犬に追い込まれる羊のように、集団はただ下がるしか無い。だが、背後には走る地竜を落とした大地の裂け目があった。
しかもその巨大な深い穴の中は、走る地竜の爆ぜた槍が刺さっていて、さながら針地獄のような裂け目へと変貌を遂げている。
「ルース! 指示だしな! はよせんと、穴に落とされて串刺しやで!」
「でもっ、無闇に突っ込んでも喰われるか、踏み潰されるだけだ」
走る地竜は己の食欲の為に、獲物を狩るわけではない。
ーーーただ、殺し尽くすため。
だから腹が膨れても攻撃を辞めることなど無いし、自分の身が危険だから狩りを辞めるなんて事すらない。
己の命を賭して、獲物を狩り尽くす。それが、彼らの生き様。神から与えられた使命でもあった。
「ーーーっもうええ! どうせやられんのやったら、1匹でも道連れにしたるわぁ!」
ルースからの一向に出ない指示に痺れを切らし、ライラは2丁の斧を振りかぶり、駆け出した。
「待っ、ライラ! はぐれたら奴らの格好の餌食だっ!!」
ルースは叫ぶが、ライラは止まらなかった。
走る地竜の嘲笑うような吠え声だけが、高く、高く響いた。
◆
〈ライラ視点〉
目の前に、走る地竜の口が大きく開かれていた。私は重心を変え、辛うじてその牙を避ける。
ルースは私を止めようとしたけど、私はそれを振り切った。
この紋を使って、はっきりと分かったことがある。
ーーー人間は、優しい。
魔族や一定の教養のある魔物達も、誰かに親切にしたりする事がある。
だけどそれは、そんな行動を取れる自分が好きだから。
分別を弁え、教養あることを誇りとし、そんな自分が好きだから、親切にしてあげたりはする。
でも、人間は違った。
息をするように、親切にするんだ。
大事な人を自分の物差しで見つけ出して、利害無しに好きになって大事にする。
それは心地良かった。安心した。もっと一緒に居たかった。
ーーーでも駄目。
人間は弱すぎる。
優しすぎて、肝心な所で判断を見誤る。
ルースにお姉様と、同じ道は歩ませない。
私が巻き込んだ。
だから、私がーーー……
「っああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっっ!!」
私が気合と共に斧を振り下ろした。
狙いは“目”。さっきルースと一緒に戦っていた時によく狙った場所だ。
「駄目だっ、ライラっ……」
ルースの声が聞こえた。
ふと気付けば、私のすぐ隣に別の走る地竜の大顎が迫っていた。
これは、避けられない。
お姉様なら、どうする?
いや、もう諦めるしかないよね。
ーーーねえ、お姉様。……誰か、私の想いを受け継いでくれるかな?
私は目を閉じた。
そして呟く。
「ーーーもっと、平和な時代で逢いたかったな……」
ーーーもう、私も死ぬんだ。
そう思ってた時、思いがけず優しい声が耳元で聴こえた。
「そんな事を言わないで。今逢えた以上の幸運なんて、無いんだから」
ーーーえ?
私は突然、力強い腕に抱きとめられ、引っ張られた。
目を開けたそこには、真っ赤な髪をした人間が居た。




