神は、神々と対談し賜うた②
シヴァは孤独に旅を続けながら、ずっと願っていた。
ーーー帰りたい、帰りたい、帰りたい。
だけど、時は戻らない。
ジャンヌやガラハッドと過ごした、“人間であった頃”には、いくら望郷の念を抱こうと、帰れない。
かつての未来、時代の最先端を歩みながら、全てに取り残される現実。
精霊王や、マリアのように、シヴァはただ幻を見つめるしか出来なかった。
……やがてその原因を突き止めたシヴァは個の意思を持ち、神に立ち向かうことを決めた。
ーーー成長? それとも自惚れ?
否、なんてことは無い。シヴァはただの人間でありたかっただけ。己を手放したく無かっただけだった。
そしてその為に、シヴァはゼロスを否定した。
そう。ルシファーがエルの感性を、和睦の余地なく否定した様に。
ガラフは静かに言う。
「ゼロ。お前は優しい。お前は死を疎む。お前の愛するものが、死ぬことを望んでここまで来たとして、お前はそれを与えてやれるか?」
「……」
ゼロスは黙り込んだ。
ーーーだけどその答えは、おそらく“NO”。
だってゼロスはかつて、ハイエルフ達から咎人達の断罪を求められた時、死を与えることから逃げた。
人類の為、人間でなくなったアビスを滅したときですら、深く傷つき、未だに後悔を拭い切れないでいる。
ガラフは、悔し気な表情で言った。
「だったらよ、しょうがねえじゃねえか。お前を怒らせて、絶望させて、“もう要らない”って思わせるしかしょうがねえじゃねえか。そうでもしねえと、シヴァの願いは叶わない。……お前は神様。この世を創った“全て”なんだろ。ちっぽけなコイツの思いや願いなんて、普通にやって届くわけも、叶うわけもねえよ。俺達は……、無力なんだよ」
この世界はゼロスとレイスが創った。言うならば、レイスとゼロスこそが“全”。
ーーー“全”の中に於いて、“個”は無力。
ならば“個”を寄り集め“全”となり戦うしかない。
それでも尚、敵わないとは知りながら、その心を揺さぶる為に……、個の想いを知ってもらう為に、シヴァは個の想いを集め、“全”にした。
「ゼロ。なんでシヴァがそんな事したか、考えてやってくれよ。お前も知ってると思うが、シヴァは良いやつなんだ。めちゃくちゃ良いやつなんだぜ。ーーーだけど、良いやつなだけで、ただの人間なんだ。なのによ、そんなもんに神の一部なんかが入ってみろ。神の存在はでか過ぎる。そんで、コイツはちっぽけだ。……分かるだろ? シヴァは狂ってなんかねぇ。ただお前の光がデカ過ぎて、自分が消えちまったと思ってる。……しょうがねえよ。しょうがねえんだ。……分かってやってくれよ」
その嘆願に、ゼロスは俯くシヴァをじっと見つめた。
ーーーシヴァは僕の心を手に入れ、自分の心を見失った?
そう。それはかつて、この世界の賢者も経験したことのある体験。
一人分の生涯の記憶を手にした未成熟の赤子が、己を見失い、成長と共にその心を歪ませた。
それが、神の一部を受け入れ、己を見失わない人間など居るはずが無い。
ゼロスは正義と愛の化身である“絶対神”だ。
……シヴァもその心に、正義と愛を宿してはいたが、同じ想いならば神に敵うわけがない。
ーーーならばこの心にある正義も愛も、ゼロスの心。
この想いは、願いは、望みは、自分のものでは無い。自分のものであるはずが無い。
しかしだからと言ってシヴァは、悪に染まり切れるほど、卑しい人間でも無い。
高潔に正義に燃えれば自分でなくなる。悪に染まる自分など許せるはずが無い。
ーーーどうすればいい?
ーーー俺は、どうすればいい?
ーーー俺を、返してくれ!
何者にもなれず、終わりの時だけが自分の救いだと思い、願い、だけどその救いは訪れない。
善行をすれば、己でなくなる。非道を行うには、己が許せない。
善にも悪にもなれない。
彷徨い、世界を渡り歩き、善人や悪人や様々な者達に会った。だけど褒めも咎めもしない。
ただ、ありのままを全て肯定し、頷くしかできない。
ーーー“自分”が無いんだから。
ガラフは俯き、黙り込むシヴァの肩をそっと叩き、声を掛けた。
「……シヴァ、お前俺達に再会した時、別れ際言ってたよな。“必ず捕まえてやる”って。それ、俺達を捕えて閉じ込めるって意味じゃねえよな。お前もこっち側に来たかったんだろ?」
シヴァは俯いたまま、視線だけガラフに向け、小さく呟く。
「……そんな事、言ったか?」
「言ってたぜ」
「……記憶にないな。浮かれてたせいで口が滑っただけだろ」
「なはっ! 浮かれるほど、俺らとの再会に舞い上がったって事か? そりゃ光栄なこった」
「……」
笑うガラフに、シヴァは無言で一瞥をくれた。
ガラフは、かつて程乗ってこないその男に、参ったとでも言うような苦笑いを浮かべ言う。
「まあ、こんな我が物顔で言っちまったけど、今俺がゼロに言ったことは、全部俺の想像だ。違ったとこがあったら、訂正してくれよ」
なっはっはと笑うガラフに、シヴァは視線を逸らせながら、吐き捨てるように言った。
「ーーー……お前は相変わらず、そういった読みだけは外さんのだな。……そうさ。俺に残った“俺の心”はゼロスへの憎しみだけだ。ジャンヌを好きだった事も、お前と出会った事を誇りに思っていたことも、領民への誠意も全部……全部、俺の物じゃない。俺にはもうゼロスへの“憎しみ”と、“破滅”以外何も無いんだ」
ガラフはそれに、間髪入れずに言った。
「そりゃ嘘だな」
「何故?」
「……お前嘘つくとき、左下を見るんだよ」
「……」
左下を睨んだまま、シヴァは押し黙った。
そして、鬱陶しそうにガラフを睨むと言った。
「……見てない」
……いや見てた。
多分この場でひれ伏しながらも、敏感に彼らの様子を探っている皆が、心の中でそう突っ込んだと思う。
ゼロスはシヴァに尋ねる。
「……そうなの? シヴァ、ガラハッドの言った通りなの?」
「……」
シヴァは答えず、ただゼロスを睨んだ。
「何故黙るの? 僕にどうして欲しいの?」
「……」
やはりシヴァは答えない。
俯き、黙るシヴァの肩に、ガラフは慰めるようにそっと手を置くと、ゼロスをまっすぐと見つめて言った。
「ゼロ。シヴァはな、こんな状況に自分を追い込んだゼロに対して本当に、本当に怒ってる。だから素直にゼロに頼めないんだよ。お前が良かれと思ってしたんだろうがよ、すまんが、ゼロの方からひと言謝ってやってくれ。……そんで、こいつに返してやってくれないか? “死”をよ」
ゼロスはその言葉から逃げるように、顔を背け声を絞り出した。
「……何故、“永遠”を望まない? 折角“人間”のままで永遠を生きれるのに」
「人間だからだよ。ゼロがそう創ったんだ。まあ俺もよ、“虚無の空間”てとこに行って、初めて気付いたんだけどな。独り取り残される程恐ろしいもんはねえ。終わりは、人間にとって間違いなくひとつの救いなんだよ。……それを、親のエゴで奪っちゃいけねーだろ」
「僕のエゴ……」
「そうさ。聖者やルシア様みてえに“人間”を捨てるなら、それでもいいかも知んねえ。だけど“人間”であるなら、死ぬ事は与えられた権利だ。コイツから、その尊厳を奪ってやってくれるな。ゼロ」
ゼロスは、まるで縋るようにシヴァを見た。
そして震える声で尋ねる。
「……シヴァは、それでいいの? 本当に?」
シヴァは目に涙をためながら、ゼロスを睨み答えた。
「ーーー返せ。……俺の、全てを。……っ返せ」




