神は、黄昏を見つめ賜うた 〜遺思の解釈③〜
ハイエルフは、憧れの念を込め、男の話を続ける。
「彼は生涯をその地で過ごしたそうですが、獣を尊重する者しかその土地に踏み入れさせ無かった。そして彼は自身の名前を誰にも名乗らなかったそうです。土地の権利書にはその方の名は記されていた筈ですが、皆は彼を“ジャック”と呼びました」
ガネシャが何かに思い至ったように尋ねた。
「……ジャック・グラウンドって、もしかして……?」
ハイエルフは頷き、続けた。
ーーー男はその大地に、1つの石碑を立てました。
“たとえ世界が滅ぼうと、この大地は手放さない。この土地の権利は、この土地に住む獣達のもの。彼らの子孫が一匹でも残っている限り永遠に、侵入を禁じる。……この土地に踏み入る事ができるのは、我ら獣に許された者だけ”
署名の無い、その宣誓。
当時、土地の権利はその一族が滅びれば、2年後に国に返還される。伴侶も養子も持たずただ一人で過ごした男は、死ねばその大地はまた、誰のものでも無くなる筈だった。
ーーーしかしそんな意固地な男の考えに共感したのが、当時の若い獣使い達。
何も語らず、黙々と自分の全てを捧げる男を、彼等は支持した。
テイマー達は自分達で寄付を集め、どんどん男の土地を広げていった。
もちろん中には男のその噂に、欲を持ち近づく者もいた。
しかし男は寄付は受けても、取引は一切しなかった。
男は動物達以外に語りかけない。
そして動物達は、まるで彼の言葉が分かっているかのように、頷いたと言う。
「ーーー……やがて彼の晩年の頃、その土地は“獣達の楽園”と呼ばれる程の広大な大地になっていました。彼の何も語らず主張せぬその想いは、人を動かし、獣を守り、そして何と神にすらに届き、その聖心を動かしたのです。男の想いに、神はとうとうおっしゃった。“この大地に不可侵の護りを施す”と。誰にも何も望まなかった彼は、神にすら手を差し伸べさせたのです」
「……何もんやねん? ソイツは」
その話に、ガネシャは前を歩くハイエルフの背に尋ねかける。
そんな話、聞いたことはない。
ハイエルフは誇らしげに口元に笑みを浮かべ言った。
「そこが凄いところなのです。彼については今や名前1つ残っていない。元々表沙汰にされていなかった記録も、アビスの襲来でその史書は全て失われた。ーーーしかし、その想いが作り上げた事実は失われない。……なんと、謙虚で堅実で誠実、そして偉大なんでしょうね。我々も、常々そう在りたいと願わずにはいられない」
「……」
「例えその者が消えても、その想いは残される。そうして世界は形作られていくのです」
ガネシャは、俯き呟いた。
「ーーー……運が、良かったんや」
ハイエルフも頷く。
「そうですね。彼は素晴らしい選択をしたのだと思います。私もいつか、どんな絶望が降りかかろうと、そのような結果を導き出せる選択をしたいものです。……さあ、着きました。ここです」
そこにあったのは、苔生した巨木の根に懐かれるように立つ3つのミスリルの墓標。
その前には、縄をかけられたカーマとメルクも膝をついて座っていた。
ハイエルフは振り返りガネシャに言う。
「真ん中の墓標は始まりのエルフ、ルフルのものです。墓標に刻まれた詩は、ルフル本人の希望により刻まれたものだと、伝え聞いております」
それは、3300年の時を経て尚曇ることのない輝きを放つ墓標。
ハイエルフが彼とその子孫を称え、守り続けたきた聖地。
墓標には、こう刻まれていた。
ーーー願い願う詩ーーー
聖なる故郷の樹は茂り
聖なる故郷に期は熟し
いつかここに、子孫らの澄んだ歌声が響くことを
ーーー僕は願う
「……何やねん、コレは」
ガネシャは、その墓標を見て呟く。
「ルフルは、ハイエルフを憎んでたんやろ? なんで、ここに墓があんねん……。なんで、こんな詩を遺しとんねん」
目を見開くガネシャに、ハイエルフは静かに言った。
「これも、一つの事実です。ルフルは我々を恨んでなどない。我々の使命と、彼の使命に発した歪みに、ただ一抹の不満を漏らしただけ」
「ーーー……は?」
ガネシャは、ずっと見てきた。カーマがどれほどその胸に復讐心を懐き、生きて来たかを。
あまりのその温度差に、ガネシャは上ずった声を上げた。
「ルフルは外と中を繋ぐ架け橋になりたいと、外の世界へ聖域への畏怖を払拭しようと説いて回ったそうです。しかしこの聖域に入る事が許される者とは、“礼節”を弁え、“誠実さ”をその胸に宿す者。加えて、世界樹様への悪意や敵意が無く、そして俗欲を抑えられる者。ーーー……我々は種の使命に則り、それにそぐわぬ者を排除しました。ルフルは、外の世界も寛容に愛し、俗欲を捨てきれぬ者も、聖域へ導こうとした。しかし我らは当然受け入れる事はできず、友を失ったルフルは己の目測の誤りを、我らに擦り付け愚痴を詠った」
……カーマとその祖先が、ずっと悲願としてきた原因の怨み唄が、ただの愚痴?
……そんなものの為に、カーマはあれ程己を捨て、復讐に生きてきた?
ガネシャの顔が歪んだ。
「ーーーそんなん……」
ハイエルフは目を閉じ、静かに言った。
「ーーーそれが真実かもしれないし、違うかもしれない。言ったでしょう。それ等の憶測は、ただの亡霊。今を生きる者が作り出した幻なのです。ただ、ここに有る事実は、彼は臨終の時を、彼の生まれたこの里で迎えたという事。あの短い詩を遺して」
その時、墓墓標の前で座り込んでいたカーマが、ボソリと小さな声で言った。
「……白々しい。これを見れば明白だよ。ルフル様は、この地を愛していた。ハイエルフ達の使命を理解していた。そして、いつか私達が、もっと賢明な者になる事を、願っていた。……なのに……アタシと言えば復讐のことばっか考えて……歌い方なんて忘れちまった」
消え入りそうなカーマの声に、ハイエルフは何処か優しさの籠もった声で言う。
「いいえ、……それもきっと亡霊です。墓標には、そんなこと一言も刻まれてはいませんから」
「ーーー……っ」
ーーーそう、全ては生きている者達の都合のいい解釈。
ーーー死んだ者は、何も語らない。その解釈に、肯定も否定もしない。
ーーーだから、ただそれを見た自分が、光の方向を向けるように読み解けばいい。
ハイエルフは、ふと無言で俯くメルクに声をかけた。
「ーーーメルク、私はひとつ貴方に謝らなければなりません。“英雄に憧れるのはいい加減にしろ”など言ってしまったこと」
「……」
「それが貴方の選んだ道。そして、それにより、救われる人が居るのも事実。その道は貴方にしか出来ないあなたの道なのです。ーーー……ただ、“親”として、他に道はなかったのかと感情的になってしまった。……貴方の道を、何も言わず肯定するべきでした。……すみません」
メルクはハイエルフの謝罪に、俯いたまま答える。
「……いいよ。……気にしてない」
「ありがとう。……兵を、引いてもらえますか?」
メルクは、幼い子供のようにこくんと頷いた。
「わかった」
カーマもガネシャも、その答えに反論することは無かった。
◆◆
ーーー今日もまた終わる。
雪の降りしきる曇天の空は夕焼けも見えない。
ただ、仄暗くゆっくりとあたりから光を奪ってゆく。
薄暗い戦場の片隅で、ミョルニルを片手に足を投げ出しガルダは満足げに座っていた。
その時、背後からガルダは声をかけられた。
「願いは、叶ったか?」
ガルダは満足げに答えた。
「ああ! 愛しのキッドと僕の、愛の結晶をかましてやった。痛快だったよ。シヴァにも見せてあげたかった」
「それは良かった。他の者達は?」
精霊達の通信の途絶えた今、全体の戦況の詳細はもう分からない。
ガルダは見送った者達の最後の姿を思い浮かべながら言った。
「聖獣達とサラスヴァティは、憎き獣王とその仲間を潰しに行ったよ」
「そうか」
「精霊王と聖者はルシファーを潰しに行ったし、ガンガーはラクシュミの世話を求め旅立った。ホントに面倒臭がりだよね」
「そうだな」
「ガネシャは黒猫と一緒に宝物を取りに、カーマは旦那と復讐に行った。頑張ったところで、エルフがハイエルフに勝てる筈ないのにね?」
「分かっていても、許せない事があるんだ」
「……。あっそ、勇者は念願の魔王と、楽しそうに戦ってる」
「それは、ここからでも見える」
「だね。そしてラクシュミは、カーリーにこれ以上“殺し”をさせないために、ルシファーにとどめを刺しに行ったよ」
「……そうか」
「カーリーは?」
「カーリーは戦うことをやめた。多分、もう誰も殺さない」
その言葉にガルダは目を丸くして、言葉を失う。
そしてしばらくの沈黙のあと、ガルダは戦場を眺めながら、ポツリと言った。
「……なぁシヴァ。そろそろこの戦いやめない? 僕はもう、満足なんだけど。これ以上はキッドに無理させられないし」
シヴァは座り込むガルダを追い抜いて歩き始めた。
そして言う。
「止めはしない。……俺の願いが、まだ叶っていない」
ガルダは小さく息を吐き、その背中を見送りながら呟くように言った
「ーーーそっか。……ご自由に。カミサマ」
「……先生達の尊敬する“人間”ですか。しかしその物好きの富豪って、誰なんでしょうね?」
「それももう、分かりません。そして、それが素晴らしい」
「そうですね。オレもいつか、真実を見抜き、正しい者にチャンスを与えられるような、そういう者になりたいです」
「ええ、共に精進しましょう」
……俺は嬉しそう語る彼らを見て、ふと思いを巡らせる。
あの子はそんなに特別な子ではない。調子に乗り過ぎたことを、大人になってからやっと反省し、ちょっと人付き合いの苦手な、そんな子だった。
俺は呟く。
「解釈は、……そう。自由だよね」




