番外編 〜聖女と勇者の小さな恋の物語⑥〜完結
《アデル視点》
―――蒼く澄んだ、どこまでも高い空。
その大樹の幹は白く、悠久の時を思わせる大きなうろは漆黒。
天に大きく広げた枝に茂るは濃く、薄く、深く、明るく、この世の全ての緑を、その一身に集めたかのような緑の群生。
美しい星型の葉は、全てが繊細なガラス細工の様に透き通っていて、葉と葉が風で触れあえば、まるでクリスタルのように澄んだ音が響く。
そしてそれに併せ、天空を舞う天使達が至高の歌声で、神の創りし詩を歌っている。
―――心地良い。
隣にはちょっと口下手で強面だけど強く、優しく、尊敬すべき兄が、無防備にうたた寝をしている。
俺は何一つの不満も、不安も無く、その美しい景色を眺めた。
……ああ、ずっとここに居たいなぁ。ここは楽園だ。
―――そんな、夢を見た。
どこかで誰かが呼んでいる。
誰だ? 思い出せ。それはとても大切な人……。
俺を呼ぶのは……そうだ。美しい栗色の豊かな髪の乙女。
―――カンナ―――
「!!」
その名前を思い出した時、俺の意識は急速に覚めていった。
そうだ。俺は、カンナを助ける為、櫓に登った。
そこで何とか【キラー・ビート】を抑えようとしたが、力足らず櫓を壊されてしまったんだ。
そして、ギリギリの所でカンナを救助した。
その後は……覚えていない。
少し眠ってる間に夢を見たような気もするが、何だっけ?
全く思い出せない。
いや、そんな事はどうでもいい。
カンナ……カンナは無事なのか?
俺は辺りを見回そうと首を巡らせ、次の瞬間口から心臓が飛び出す程驚いた。
「……カン、ナ?」
大粒の涙を長いまつ毛の隙間から溢しながら、カンナは俺の胸の上にいた。
カンナは俺の声に顔を上げ、驚いた顔で何か言おうと口を開こうとする。
しかし、俺は突き刺さるような殺気を感じ、そちらに視線を巡らせるより早く、俺はカンナを引き寄せ、それを放った。
「風爆」
もう数センチもない所で弾けビチャビチャと飛び散る肉片を見て、俺は初めてソレが先程あれ程手を焼いた【キラー・ビート】だったと知る。
【キラー・ビート】は俺の放った魔法によって、首から上半分が完全になくなり、事切れていた。
「ア、ア……アディーさん?」
呆然とカンナが俺を見る。
抱きしめたい衝動に駆られるが、今の魔法で魔物達が集まってきた。
数はおよそ二十。キラー・ビートがD級クラスだとすると、D級が八匹、B級とA級が五匹ずつ、S級がニ匹といったところだ。
だけど不思議と負ける気がしない。
何故か身体から凄まじいマナが溢れ出し、大気のマナと共鳴をしているんだ。
―――元々俺は風魔法が得意だった。
先程カンナを助けたときも、魔法で追い風を作って空を渡った。
だけど今はそんなもんじゃない。風とはそもそも空気の流れ。この世界にある空気全てを、俺は操れる気がしていた。
魔物達が俺達に飛びかかる。
「【鎌鼬】」
まずは三匹。風の刃に切り刻まれ、地に堕ちた。
「【真空】」
いくら魔物とて、空気のない空間では数分と持たない。更に六匹が墜ちる。
「【超過密酸素加算水素爆発】」
止めは残りを上空に風で弾き上げ、爆発で吹き飛ばした。
今まで知りもしなかった空気の扱いが、どうすれば何が起こるのか、何故か分かる。まるでずっと知っていたように。
「……あの、アディーさん?」
「カンナ、無事か」
まだ呆然と固まるカンナを、俺はやっと落ち着いて目を向ける事が出来た。
「無事か……って、こっちが聞きたいわあぁっ! 今の何!? ば、ばっ、爆発したよ!?」
その聖女らしからぬ表情と言葉遣いに、俺は声を上げて笑った。
「え、今度は何? 頭おかしくなった? いや、それどころじゃ無いよね? 頭潰れて脳漿漏れてたよ? えぇ!!?」
俺はやっとの思いで笑いを抑えると、涙を拭きながらにカンナに言った。
俺の中で全てが吹っ切れていた。
「おかしくなってないよ。俺、ずっとカンナが好きだったんだ。なのに急に【聖女】なんかになって、俺の届かない所に行っちまってさ。だけど俺、追いかけたんだぞ? 父ちゃんの店ほっぽり出して、王国兵にまでなった。だけどやっとカンナに逢えたと思ったら、俺の事無視するし……俺の事忘れたのかと思った」
言えなかった言葉が、伝えられなかった思いが、スラスラと口を突いて出てくる。
カンナは少し顔を赤らめながら、俯いて何処か不安げに吐き捨てる。
「あ、あんなとこに、急に来たらビックリするわよ! 私こそ……世間で聖女だの何だの言われてるけど、中身はこんなとんでも聖女よ? 子供の頃とは違うし、今の私を好きなんて言ったら……きっと幻滅するわよ」
「確かに、聖女としてはいろいろ幻滅かもな」
聖女らしからぬ言葉遣いやその仕草を、俺がストレートに指摘すればカンナは泣きそうな顔で口をつぐんだ。
「……」
「だけど、1番大事なところには幻滅してない。俺を覚えてた。カンナはカンナだった!」
「……何、それ?」
カンナは呆れたようにそう言い、それからニヤリと笑った。
「まぁいいわ。あなたの力はきっと勇者の力よ。二世期半も失われていた力が、なぜ今アディーに宿ったのかは解らない。だけど使わない手はないわ」
「仰せのままに、聖女様」
あの頃と違い、高飛車にフンと鼻を鳴らすカンナに、俺はわざと恭しく頭を下げて見せた。
「行くわよ! 回復とマナ切れの補給は任せて」
「おぅっ!!」
そして俺達は戦い抜いた。
先程まで敵としていた隣国の戦士達も一丸となって、絶望的な数の魔物を一掃したのだった。
◇◇勇者と聖女の伝説◇◇
かつて勇者の血は途切れ、大地は絶望に染められた。
人は互いを信用できず、世界は魔物で溢れた。まさに暗黒の時代。
そこに一人の聖女が、神より遣わされた。
その聖女生まれは貧しくとも心清く、美しい乙女。
聖女は己の命を削り、人々を救おうと奔走した。
―――しかし絶望は留まることを知らず、とうとう溢れ出してしまった。
勇士達は次々に倒れ、とうとう聖女すらその命を尽きようとしていた。
だが聖女は己の命より、目の前に倒れる一人の兵士に涙を零した。
すると、その美しき慈愛の涙は、神の定めし真理を破る奇跡を起こしたのだ。
聖女の涙は聖女の愛した一人の青年を蘇らせ、ついぞ途絶えていた勇者の力をかの者に与え賜うた。
勇者の力はまさに伝説の如し。
地を割り、天を突き、山を砕き、海を消す。
勇者はこの世の絶望を、尽く打ち破ったのだった。
そうして、当時互いを信じることの出来なくなってきた人々は、再び勇者と聖女の元に集い、世界は平和にみたされた。
やがて産まれしその勇者と聖女の子供達を、人々は貴き者の一族【貴族】と定めたのであった。
――――――おわり。
※以下おまけ(蛇足)
◆◆◆◆◆
『―――勇者がそちらに行った。共に働きを期待している』
神託があった。
それはかつて無い、事後の神託だった。
ゼロス様の事だ。この一大事に、神託より先に事を起こしてくださったのだろう。
(※いいえ。勇者が渋って、精霊とか創ってたせいで遅れただけです)
だけど私には、無礼を承知でどうしても聞いておきたい事があった。
私はゼロス様の気配が途切れる前に、膝を折って口を開く。
「ゼロス神様。先の戦で私の‥夫アデルが【勇者】としてその力に目覚めました。ですが【死】はゼロス神様でも覆せぬ、世界の真理と聴き及んでおります。あの時、アデルは間違いなく命を絶っておりました。と言うことは【勇者アデル】は、本当に【アデル】なのでしょうか?」
私はなりふり構わず聞いた。
不安でたまらなかったのだ。
長い沈黙のあと、ゼロス様は仰った。
『……きっと理解できない。それでも聞きたいかな?』
私はすぐ様頷いた。
アデルがアデルである確証が、どうしても欲しかった。
例え神の真理の【矛盾】に触れる危険を犯してでも。
ゼロス様は静かに聖言葉を紡ぎ始めた。
『いいだろう。まず人の【死】とは、魂というエネルギー体の消滅(霧散)又は肉体の土への還元を指す。子孫繁栄を成す者達に対し、これは(レイスと決めた)絶対的な約束。覆すことはあり得ない。イムも知る【真理】だね』
その聖声は何処までも優しく、私は一心に耳を澄ませた。
『では本題だ。そもそも人がその本人である所以は何か? そして、その場合に於いて死とは何を意味するのか。まずその者の人格の始まりは、肉に魂が定着する事で心は成長を始める所だ。そこから始まりその人をその本人足らせる物は肉体に、内蔵に、脳に貯められた【記憶】。即ち【歴史】だ。肉体が壊れ、動きを止めると同時に【魂】は砕け散る。これが【死】だね。だが魂の消失による【死】が訪れようとも、肉体に貯められた記憶は失われない。とはいえ、肉体は【死】と共に腐敗し、土に還り始める。それと共に肉体の記憶もまた消滅してしまうんだ。そう、一般的に言う【死】とは“肉体の崩壊消滅”もしくは“魂の喪失”を指し【死の完了の刻】は“魂の消失”に加えて“肉体の土への還元”を言う。そういう意味ではアデルは間違いなく死んだ。だけど先に言ったよう、土に還ることが死の最終到達点。それに至っていない肉体に、記憶を持たない別の魂(勇者の魂)が侵入したという事が今回のケースだね』
……。
『魂と肉体は密接に関係しているが別物だ。そうだね、簡単に言えば【魂】は意志の成長を促すAI搭載のOS。そして肉体は、脳にメモリなどが詰まったマザーボードを仕込んだアクチュエータと言えば分かり易いかな。とはいえ、OSに関してはレイスの専門分野だから僕にもあまり詳しいこと言えないんだけど。……そうして新たなOSが入ったことで、そのOSが適応した修復幅での肉体修復が始まった。勇者は頭打ったくらいじゃ死なないからね。そしてそこまで理解出来たなら、後は簡単だと思う。今回の様にアデルの死んだ肉体に勇者の魂が入った場合はどうだろう? つまりOSがリセットないし、バージョンアップしたと考えよう。それ迄のメモリの記憶や、人生をかけて作り上げてきたプログラム配列は同一だ。OSだけを交換した場合、それはアデルか否か?』
「……」
……すみません。ゼロス様。
私が間違えていました。
全く分かりません。
聞きたいとか言って、ほんと……すみませんでした。
『そう、答えはイエスだ。分かったかな?』
ゼロス様は“ね?わかったでしょ”とでも言わんばかりの期待を込められて、お言葉を締められた。
神の前で嘘を吐く気にもなれず、私はただ沈黙する。
するとゼロス様は私の思いを察してか、苦笑いをしながらこう続けてくれた。
『だけど君の涙の落下速度と侵入角に、勇者の魂が被ったことは紛れもなく奇跡的な偶然だ。そう、間違いなく奇跡だよ』
「……」
―――私は畏れ多くも神の真理に触れてしまった。
だけど所詮愚かな人の仔。その一端さえ理解することは出来なかった……。
唯一理解出来たと言えば、、ゼロス様による慈悲のお言葉。
私は納得した。
―――そうか。
―――これは、奇跡が起こした事だったんだ。
そしてこの神託の内容は聖女の胸の内に秘められ、聖典に載る事はとうとうなかったという。




