神は、黄昏を見つめ賜うた 〜解放〜
ーーー“使命”、“信念”、“恩義”や“忠義”。
それらは美しい鎖。
雁字搦めにして逃さない。
縛られた者はその鎖から、逃れようとも思いつかない。
だけどその鎖を
大切に、大切に、丁寧に、丁寧に
傷付けないよう解き、それを慎重に宝箱に仕舞った時
そこには鎖よりも美しく、しなやかなものが現れるーーー
激しさを極める闘いに、空まで粉塵は舞い上がり、それは雲を呼んだ。雲は折り重なり、厚い雲となる。
大気は冷たく、雲は冷やされ、厚い雲から戦場に、ひとひらの雪が落とされた。
日は沈み、夜の闇の中で白熱する者達の中に、この雪を見つけたものは、誰一人として居なかった。
ラムガルはブリキッドにより壊された結界を、静かに眺めた。
結界は破壊されても、すぐに自動修復がされるようになっている。
破壊された瞬間に入り込んだ侵入者達が居たとしても、森の番人ハイエルフ達が、直ぐにそれらを根こそぎ刈り取るだろう。
そう見越して、ポヨポヨマスターが限られた時間の中で組み上げた結界陣。
「……」
ラムガルは、静かになった自分の肩を、憎々しげに睨んだ。
ーーーそれは、まだこの戦いが始まる前のやり取り。
歴史として書き留められることなど無い、些細なやり取り。
◆
『……なんのつもりだ? この転移陣は』
ラムガルが、せっせと聖域を囲む魔法陣の添削をするポヨポヨマスターに声を掛けた。
ポヨポヨマスターは、顔を上げることすらせずそれに答える。
『愚かな魔王よ。……神は仰った。“悪意が世界樹様に剣を向けた時、それもひとつの世界の滅びの時”だと。ーーーそれを聞いた時、僕はその言葉の有効範囲は何処だろうと考えた』
ラムガルは腹の立つ言い回しに、ポヨポヨしてやりたくなる激情を堪えながら、吐き捨てるように言った。
『そんな事、アインス様の御前で剣を突きつけた場合であろう?』
ポヨポヨマスターは陣を描く手を休める事なく、だけどしっかりと答える。
『ふん、二神からの寵愛を受けた宝樹を前に、そんな甘いはずがない。曖昧な考えは身を滅ぼす事になる。……まぁ今件に関しては、その身どころか世界すら滅ぼすんだけどさ。考えてもみなよ。もし魔王程の者が、外から聖域内に向け攻撃魔法を放った場合、その攻撃は普通にアインス様に届くよね?』
『ーーー……貴様……、口を慎め。余はそのようなことはせん。考えること自体が冒涜にあたるわ』
ラムガルの怒気の混ざった言葉に、ポヨポヨマスターは面倒臭そうにチラリとラムガルを一瞥し、再び結界を描く作業に戻った。
『例えの話だよ。ーーーアインス様は驚くほどに頑丈だ。だけどシヴァが聖域の外から、結界を一撃で砕くような攻撃を放った場合、それでアインス様の枝が折れたり、聖葉が千切れるなんてことは無いと言い切れる?』
『……』
『保険だよ。この転移陣は万が一そうなった時、結界が破られる衝撃を引き金に、僕の身体をその攻撃とアインス様の直線上に飛ばす。一回だけ、ゼロス様に言い訳が出来るよ。“今のはアインス様に剣を向けた訳ではなく、賢者を狙っての攻撃だった”って』
ポヨポヨマスターは、まるでラムガルを馬鹿にするように嗤う。
ラムガルは侮蔑を込め、結界を描くため地面に這いつくばったポヨポヨマスターを見下ろす。
『ーーー……そんな戯言通じるものか』
『通じるさ。ゼロス様は、きっと僕の献身を見ておられるからね』
『……』
ゼロスに世界が見放された今も、ポヨポヨマスターは揺るぐことなくゼロスを信じていた。
……いや、信じても、信じなくても終わりが来る。なら信じて終わった方がいい。そう思ったのかもしれない。
ラムガルは呆れ果てたようにそのポヨポヨの背中を見つめ、鼻を鳴らした。
『ーーー……フン、何れにしろ無意味だ』
その物言いに、とうとうポヨポヨマスターは苛立ちを顕に振り返ってラムガルを睨んだ。
『何だよ!? あー言えばこういう! 魔王が僕を嫌いなことは十分知ってるけど、腹立つんだよっ! いちいち否定するなよ! ……どうせ僕は戦力にもならない“人形”だ。本体ですらない。誰も悲しまない、打ってつけの役だろ!?』
『貴様など本体であっても、誰も悲しまんわ。だがな、前線は余が守り切る。そんな犠牲は出ん。よって貴様は役立たず。つまりはそんな転移陣など無意味だ!』
『ーーー……はあ? 何それ』
思わず脱力しながら言うマスターに、ラムガルはビシリと指を向けながら言う。
『余は魔王。見縊るなよ小賢しい賢者め。貴様はもう黙るがいい。……いや? 口だけの役立たずが黙れば、本当の荷物ではないか。ふ、これはいい。貴様はもう黙れ。そこで惨めに己の弱さを嘆きつつ、指をくわえて見てるが良いわっ! このお荷物め!! フハハハハハハーーー!!」
『っく、魔王めぇ……』
……何なんだろう。このツンツンのデレ試合は。
魔族達は、微笑ましげにそのやり取りを眺めていた。
◆
ーーー……ラムガルは、守り切るつもりだった。
絶対に結界は破らせないと、そう己に誓いを立てていたはずだった。
「ーーーっおっのれえぇぇぇぇーーーーーっっ!!! あの、クソ賢者めえぇぇぇぇーーーーーーーーーっっっっ!!!」
ラムガルは咆えた。
もう見ることの無い、あのいやらしいポヨポヨの賢者の嘲笑う顔が、ラムガルの脳裏を過ぎる。
悔しかった。賢者の言う通りになった事が。
憎かった。そうさせてしまった、自分の弱さが。
怒りに任せ咆える魔王を、勇者は怪訝そうに睨む。
「魔王よ、余所見か?」
「ーーー……」
ラムガルはアーサーを無言で見つめた。
「なんだ?」
「……お前の想いが、少し分かった」
「?」
「ーーー……己の弱さが憎い。この憎しみを抱え続けて、その強さを手にしたか」
「……そうだね」
不思議そうにアーサーはラムガルを睨みながらも答える。
ラムガルは深く頷き言った。
「見事だな。お前は、強い。理由はどうあれ、かつてとは比べ物にならぬほど強くなった」
「!」
目を見開く勇者を、魔王は真っ直ぐと見据えながら言った。
「余はお前の強さを認めよう。……そしてその上で、余はお前を超えてゆく!!」
勇者の口角が吊り上がり、その目に強い光が宿る。
「望むところだ。こちらとて、負けはしない! 絶対に!!」
最初のひとひらの雪が誰にも知られる事なく大地に溶けた時、その戦場に、静かに幾億もの雪の華が舞い降り始めた。
積もることは無いだろう。
大地を白く染めるには、そこに息づく者達の息づかいが熱すぎるのだ。
……そしてかつて1匹のゴブリンが、一人の少女が愛したその景色と願いは、誰の気にも留められることなく、雪の様に溶けようとしていた。
◆◆
雪は草原にも降り始めた。
随分踏み荒らされた草原の真ん中で、ルドルフは気力を取り戻した聖獣達から一方的な、攻撃を受けていた。
反撃しようにも、体が動かなかった。
ーーー要らない。……消えろ。
レイスの声で発せられた言葉が、ルドルフの身体を鉛のように重くして動きを止めさせる。
「っクソっ……」
蹴られ、噛みつかれ、それらを振り飛ばしながら、ルドルフは歯を食いしばった。
その時、背後から低い声が上がった。
「ーーー……ルドルフ、終わりか?」
今まで沈黙を保っていた魔獣達だった。
ルドルフを見つめる魔獣達の視線には、心配や憐れみの念は欠片もこもっていない。
それどころか、呆れ果て、侮蔑や敵意すら感じる。
「……お前等……」
前には敵。後ろからも殺意を投げかけられたルドルフが魔獣達を睨む。
すると1匹のナーガが、けたたましい笑い声を上げた。
「シャシャシャシャッ! こりゃケッシャクだ! あのルドルフしゃまが、ママに怒られてビビってんのかよ!?」
「なっ、テメェ!」
思わぬ侮辱の言葉にルドルフが目を見開くと、ナーガは可笑しそうにそれを見下ろした。
「獣王ルドルフは、しょんなダシェ面しないだろ? あんだけ大口叩いて、ヤッパりまだレイシュ様に褒めてもらうためにツッパってただけかよ?」
ナーガは、“さ行”の発音が苦手だった。
そして苛立たしげにナーガを睨むルドルフに、今度は3つの頭を持つ地獄の番犬ケルベロスが進み出て、低く唸るように言う。
「ーーー……ルドルフ、お前は何者だ? そんなものに惑わされるのは“弱い聖獣”だけだぞ。我ら魔獣は己を愛する生き物だ。それこそ、神への信仰すら持たぬほどにな。……だがそこに甘えは無い。強く、誇り高き己を愛するからだ」
そう、魔物や魔獣達は他者を愛する事はない。それが神であっても、例外はない。
彼等は協力や協定はあっても、あくまでそれは“愛”の関係はなかった。尊敬や、友好はある。だがその全ては“己”を愛する為の一点に従った行為だった。
そしてそれ故魔物や魔獣達は、愚かな程に愚直で、眩しい程に誇り高かった。
「我等はかつて、お前のその気高さを認め“獣王”と称した。……だが、油断してみろ。我等がお前を子鹿と見定めたその時、一瞬にしてお前はその喉元を食い千切られるのだ」
それは“忠告”ではなく“予告”。
それが弱肉強食の、無慈悲で硬派な獣達の世界の掟だった。
ルドルフは燃える熱い吐息と共に、蹄を苛立たしげに踏み鳴らす。
「ーーー……はっ、誰が子鹿だ、この犬っころが」
ルドルフは吐き捨てるようにそう言うと、サラスヴァティとフラッフ達を睨み、低く一言だけ言った。
「ボコってやる。歯ぁ食いしばりやがれ」
「ルドルフはホントにそれしか言わねえよな!」
「もう少し語彙増やせよ!」
「我と戦った時も、そんなことを言っていたな……。所で、ルドルフ。いい加減、我等にも戦わせろ。退屈すぎて苔が生えそうだ」
「そうだそうだーー! これ以上はパワハラだぜーー!」
「横暴な暴君めぇーー!!」
魔獣達からのルドルフへの茶々が、ブーイングへと変わり始めた頃、ルドルフはやれやれと白けた目で言った。
「わーったよ。俺一人で十分だったんだがな。ちょうど向こうに回復要因ができたみたいだし、ちったあ遊べるだろう」
「「「うおおおおぉーーーーーーーーー!!!」」」
平原に、獣達の雄叫びがこだました。
「“……チッ、静まれ! 魔獣共よ!! 皆、動くな!!”」
魔獣達の歓声に、サラスヴァティは憎々しげにレイスの声で言ったが、魔獣たちの反応はサラスヴァティにとって、予想外のものだった。
「……嫌よ。そもそも私、レイス様の声聞いたことないし……」
「!!?」
ポツリと呟かれたエキドナの言葉に、サラスヴァティの動きが止まった。
……そうだね、レイスは無口だから、もふもふ成分の少ない子達は、レイスの声なんてほとんど聞いたことがないんだ。
バハムートが嘲笑いながら言った。
「そう言う事だ。サラスヴァティとか言ったか? お前など陰険なる“オタサーのヒメ”よ。少しイケボだからといって偶像神にでもなったつもりか? 片腹痛いわ。ーーー聖獣共よ、爆発しろ!」
……え? 聖獣? ……リア充?
聞き間違えかな? ……この世界に於いて、年を重ねている者ほど、こういったことを言ってくる。……何故なんだろう? 俺の話のせい? ……いや、そんなことは無い筈……。
ルドルフは、軽やかに大地を蹴って、空に舞い上がった。
その獣の姿は、もはや神とてその心を捕らえ得ぬ、孤高なる獣王を体現させていた。
「ねぇシヴァ」
「なんだ」
「一族に与えた武器で、1番入手に苦労したものって何だろう?」
「……どれも他愛のない物ばかりだった」
「そうなんだ。流石だね」
「ーーー……ただ……」
「? ……だだ?」
「武器では無いが、“邪神の声の音源”には苦労させられたっ」
「……。……ああ、うん。レイス、無口だもんね。恥ずかしがり屋なんだ」
「っ1500年かかったんだぞ!?」
本文に入れなかった小ネタです(о´∀`о)丿!




