神は、黄昏を見つめ賜うた 〜個の確立④〜
《カーリー視点》
シヴァお兄からのゴーサインが出て、私はクリシュナとヴィジヌに飛びかかった。
ーーー今度こそ、殺してやる。
クリシュナは“最強”だからといって、シヴァお兄みたいに死なないわけじゃない。
いくら強い奴だって、命を司る部位を砕けば誰だってなんだって死ぬのだ。
前回の雪辱を……っと思って気合を入れてたんだけど、何だかクリシュナに守られてるヴィジヌの方が、私に喧しく怒鳴ってくる。
「カーリー、よく聞け。死とは哀しいものだ。無闇に周りに死をあたえてはいけない。これは道徳的に常識だっ」
道徳? 常識? ……さっきから何を言ってるんだろう、この人は。
……私は聞き流しながらもウンザリだった。
だってヴィジヌが一生懸命言ってくるその内容は、私の価値観を正面から全て否定する逆の意見。
だから私はヴィジヌに黙ってほしくて、もう逃げようとしないクリシュナの眉間に、ナイフを振り下ろしながら言った。
「常識? 知らないしっ! “死”は私の糧になる。誰かの為に犠牲になることは“尊い事”なんでしょ? ならいいじゃん。どうせみんな死ぬんだし、私の為に死ねたらハッピーじゃん。おじさん達もそう言ってる」
振り下ろしたナイフは、クリシュナに届く、0'5ミリ手前で躱された。
そしてすごい勢いで、私の後ろに回り込みながら、シールドを展開する。
ヴィジヌの本体の核は、クリシュナの懐に入ってるみたいだから、その土人形もクリシュナに付いて移動する。
あの人形を壊さないように、クリシュナを仕留めるとかぶっちゃけ無理すぎる!
けど折角シヴァお兄から殺していいってゴーサインが出たんだから、それを棒に振る気も無い。
私が振り向く勢いに乗せ、さっき空振りしたナイフを突き出すと、またヴィジヌの声がした。
「違う。今のお前の家族は、はっきり言っておかしくなっている! 普通の者は死にたくないと願うものだ。そして生きたいと願う者に、死を与えるのは悪い事。お前の今の家族は、不死のシヴァの考えに流されてるだけ。お前の生きる為の糧となるのは、獣や魚を食糧とする時だけだろう。それに己の身を守るため、相手を死なせてしまうのも仕方ないかも知れない。だが、それ以外の死は、単なるお前の奢りや自己満足のためだけの、不必要なものなのだ!」
……うん。確かに私の“家族”は、少し特殊な感じがする気はする。
だけど私の家族は他の人達より強いし、シヴァお兄だって“力ある者が正義だ”って言ってた。
なら他より強い私は、私の考えた通り好きにして良い筈だ。そう、負けない力がある限り私は正しい。
はぁ……、もう聞きたくない。……黙ってよ。
「もー、いいじゃん! 個々の考え方があるってことでしょ? 面倒臭いなぁーっ」
「良くない! 面倒だろうがとことんやるぞ! お前は常識を知らなすぎる!」
「あーーっ、もう! 何このオバサンっっ!」
……ダメだ。黙ってくれない!
私は面倒臭くなって、内心悲鳴を上げながらチラリとシヴァお兄を見た。だけどシヴァお兄は何だか嬉しそうに笑いながら、ヴィジヌの致命傷にならないポイントに、エクスカリバーを打ち込んでいるだけ。
クリシュナはその攻撃をシールドで弾いたり、避けたりしながらヴィジヌの核と実体を守っていて、ヴィジヌは鬼の形相でシヴァお兄に、剣舞の様な動きで打ち返しながら、私にはただ剣を向けず怒鳴ってくる。
「カーリー、カーリー! いいか? 力だけが正義では決して無い! そんな卑屈な意見を真に受けるな。そんな物、不義を行う卑しい者達のただの言い訳。正義とは、その正しき心に宿るものだ。そしてその正しさは、誰に知られずとも真実として必ず残る。歴史に語られずとも、やがてそれは世界の一部となるのだ! カーリー。さあ、その血に宿った真実を思い出せ。“弱きを助け強きを挫く”それこそが我が家の家訓……」
「ーーーうるさいぃっっ!!」
イライラする。
正義も不義も知らない。私は私なんだ。
押し付けるなっ!! 私はっ……。
ーーーギィィン!!
私が渾身の力で叩きつけたナイフは、クリシュナの固い固いシールドに、一筋のひび割れを付けた。
「ヴィジヌさんっ、あまり身を乗り出さないで! シールドから出たら一瞬で砕かれます!」
身を乗り出しながら喧しく怒鳴っていたヴィジヌに、クリシュナが警告をする。
それでヴィジヌが一瞬で言葉をつまらせた隙に、シヴァお兄が口を挟んだ。
「そうやって、頭ごなしにカーリーを怒鳴るな。俺はこの子を尊重する。そしてこの子に殺されるなら、俺は本望だと心の底から思っているんだからな」
「それは死ぬことの無いシヴァだからだ。かつて私と過ごしたその時の貴方は、そんな事を言わなかった。生きる事を喜び、神の教えに則り、清貧に、敬虔に、正しく生きていた」
「そうだな。そして今の俺は、そのゼロスを憎んでいる。ゼロスが死を疎ましく思ってるのだから、俺がそれを歓迎するのは当然だ。そもそも、人間が死ぬのは当たり前の事なのだぞ?」
「っお前の考えに、子を巻き込むなっ!」
「巻き込んでない。否定しないだけだ。お前のように、俺は押し付けたりはしない」
シヴァお兄の言葉に、ヴィジヌは逆上したように再び身を乗り出した。
いや、乗り出したどころじゃない。飛び出した。
それを止めようと、クリシュナが悲鳴に似た叫びを上げた。
「ヴィジヌさんっ!!」
「ーーー……っ私だって否定などしたくない! いい加減目を覚ましてくれ! ……私は今も、貴方や子供達に向ける想いは何一つ変わってない。どうか……」
ーーーペチン……。
小さな、音がした。
「え?」
思わず、私の口から妙な声が出る。
ヴィジヌの温度のない手が、叩くと言うにも優し過ぎる程度の衝撃で、私の頬を包み込んだ。
見れば、無意識に突き出したナイフが、ヴィジヌの脇腹に刺さっていた。
「ーーー……あ……」
ヤバイ。シヴァお兄に、核は砕くなって言われてたのに……。
私が後悔の念で固まってると、ヴィジヌは私の両頬を押さえるてをずらし、膝を付きながら私の肩を抱きしめてきた。
ーーー……大丈夫だよね? ちょっと刺さったくらいで、死なないよね?
私はヴィジヌに取り憑かれたまま、恐る恐る手に持つナイフを横目に見た。
ナイフの刺さったその部分からは、キラキラとヴィジヌの髪と同じ金色のマナの粒が、溢れるように零れ落ちていた。
◆
ジャンヌを刺したナイフを持つ、カーリーの手が大きく震える。
ジャンヌは刺されたことなど気にも止めず、カーリーの肩を抱きしめた。
「カーリー……愛しい、私の子。どうか思い出してくれ。正しい、心の在り方を」
「何を……」
ジャンヌは囁くように、少女に語りかける。
「カーリー。同じ親だから私もわかるんだ。お前の親の心が。……なあ、思い出せカーリー。お前とその両親に、何が起こったかは知らない。だが間違いなく、お前の親はこう願ったはずだ。ーーーお前の笑顔を、泣き顔を、輝かしい未来を、本当はこの先もっとずっと隣で見守りたかったと」
耳元から聞こえるジャンヌの穏やかな声に、ふとカーリーの脳裏に両親の記憶が蘇る。
「……そしてお前も願った事があるはずだ。……両親と手を繋いで野道を歩いたり、共に木のみを集めたり、本を読んだり、同じ布団で眠ったり、特別な事など何一つないそんな日常」
「……」
カーリーの脳裏に疑問が浮かぶ。
ーーーなんで、この人は知ってるの?
それはカーリーがダンジョンから帰る両親を、孤独に待っていた時呟いた、誰も知らないはずの独り言。
もう絶対に叶うはずのない願い。
「死は、別れ。死は、そんな当たり前の幸せな未来を破り捨てる物。ーーー私だって愛が故、お前たちの為なら死んでいいと思っている。だけどその死は、その未来以上の何かを、お前に遺したい時、……遺せる時に使いたい」
「ヴィジヌは聖者。もう死んでるでしょ?」
カーリーの言葉に、ジャンヌは困ったような笑みを浮かべながら言う。
「……そうだな。だからカーリーに、今の私の死を惜しんでくれとは言わない。ただ、お前の両親の心を、死を迎えた事のある私から代弁させてくれ」
カーリーの目が見開いた。
「ーーーカーリー。私の死がお前の為となれた事を、私は心から嬉しく思う。だけど、死にゆく私がカーリーに一つだけ願ってもいいか? 別れの瞬間、一瞬でもいい。ーーーこれからもずっと一緒に過ごせたはずの未来が訪れなかった事、お前も惜しんで欲しい。……もし、私の為に一粒の涙を溢してくれれば、きっと私の魂は救われる……。後悔なく逝ける。そして願える」
ジャンヌは嬉しそうに微笑み、愛しそうにそっとカーリーの頬を撫でた。
カーリーの瞳に映ったジャンヌが、両親のかつての優しい笑顔に重なる。
「私の愛しい子。……どうか、これからも前を向い、て進んで ーーー……先逝く者などもう気にも止めず、 ど うか、お前だけ の、輝かしい…… 未来を、あ ゆん で……」
ーーーパリ……
ガラスの破片が押し潰されるような小さな音と共に、ジャンヌの実体は消えた。
クリスが目から大粒の涙をこぼしながら、声も無く膝をつく。
カーリーが震える腕を、ヴィジヌの居た空中に伸ばした。
「ーーー……まってよ。まだ、死なないでよ。……消えないでよ。まだ、聞きたいことがあるのに……。ーーーそうなの? お父さん、お母さん、私、……あの時……、泣いて良かったの? 教えてよっ……教えて……」
ーーーパシンっ……
呆然と静止するカーリーの頬が、高い音を立てて叩かれた。
「……シヴァお兄、なんで?」
見れば、無言でカーリーを睨むシヴァの目から、涙が溢れていた。
カーリーは初めて見るシヴァからの拒絶の表情と、痺れるような頬の痛みに目を見開く。
そして両親を殺して尚零したことの無かった涙が、その頬を伝った。
「……なんで? お父さん、お母さんっ、教えてよ」
カーリーの質問に、父も母も答えない。
死んだ者は、何も語らない。
「……っう、うえぇ……、うえぇぇぇん……」
少女は初めて死を惜しみ、己の罪を自覚したのだった。
ーーー個は、全の中で成長する。
個は全の中で光を見つけ、闇を見つけ
個の輝きを確立させ
やがて全の一部となり、新たな個を成長させる。
新たな個はその全を見て、全に触れ、全に助けられ
全に見放され、全の愛を知り、己を見出し
やがて全へと還りゆくその時
その個は次に全の何処を助長させるのだろうかーーー




