神は、黄昏を見つめ賜うた 〜個の確立①〜
ーーー個を大切にする
個を守る
個を強くする
個を高める
“個”とは何なんだろう。どこから始まり、何を以て成長し、完成するのかーーー
時は少し遡る。
《ジャンヌ目線》
「見つけました!」
空が茜色に輝き染まり始める頃、その日も世界を何周かしたクリスがそう言った。
「……ありがとうクリス。無理を言って付き合ってもらって、本当に感謝しきれない」
私が頭を下げて言うと、クリスは慌てたように手を振りながら言う。
「いいんですよ、ヴィジヌさん。……ですが気を付けてください。さっきまであれ程探してもその気配を欠片も掴ませなかったのに、突然その気配を感じました。……シヴァにこちらを見つけさせられた感すらあります」
緊張気味に言うクリスに、私は頷いた。
……だけど、何に気をつければいいのか、正直なところ理解はしきれていなかった。
私は弱い。初めてのぶつかり合いで、もう私の力など、及ぶものでは無いと悟った。あんなもの、気をつけて何とかなるわけがない。
それにパーシヴァル殿……いや……、シヴァはかつて、私の最愛の夫だったんだ。
あの頃の彼は尊敬すべき、私等には勿体ない程の、出来た人物であった。
それが長い時の中で、シヴァは変わってしまったのだと皆言う。
ーーー信じられない。
ならばあの再会した時の笑顔は、……涙は一体何なんだ?
分からない。……分からない。
……いや、分からないんじゃない。
ーーー私は、何を言われようとシヴァを信じたいんだ。かつて共に過ごしたあの時間に偽りはなかったと、まだあの時の心が、シヴァの中にはあると信じたいんだ。
そうだ。それなら、信じられる。
そうなのだ。魔王や賢者がなんだ。魂の導き手だって、彼の何を知っている?
力が足りない事なんて関係ない。私は……、シヴァを信じる。
シヴァは絶対に破壊の化身でも、ましてや神殺し等でもない!!
私は信じる。必ず、止めてみせるぞ。シヴァ。
ーーー必ず!
◇
ジャンヌとクリスは、以前シヴァと向かい合った、半壊した小島に降り立った。
ひび割れたむき出しの大地。木は根を上にして埋まり、ありえない場所に、海の水が溜まっている。
ジャンヌはその凄惨な景色に眉を顰めた。
「……この、壊れた島からシヴァの気配が? あの後動いていなかったということか」
その時、巨岩の後ろから砂を踏む音が聞こえた。
「ーーーあ! シヴァお兄、見て。ヴィジヌとクリシュナだ!」
続いてぴょこりと元気よく4本腕の少女、カーリーが頭を覗かせ、次いで出てきたシヴァに、クリスとジャンヌは身構える。
「パー……いや、シヴァ」
「やあ、くく、ヴィジヌとクリシュナ。シールドを解いた途端、まさかお前たちが来るとはな。……あの時逃げた、お前達が。ガラフマーは見えないようだが?」
「ガラフマーは世界を救う為に、旅立った。……この世界の為に、この世界の全てを知る世界樹様すら恐れる“闇”の中へと身を投じに行った。ーーー……だけどこのままでは、ガラフマーは本当に永遠の闇に閉じ込められてしまう。……どうか、この戦争を止めてくれ! 頼む!」
ジャンヌの言葉に、ふと、シヴァは動きを止め、溜息を吐きながら笑った。
「……ふ、無駄なことを。……残念だが、この戦争はもう止まらんよ。戦争のきっかけは確かに俺かもしれない。だがこの戦争を望むのは、最早俺個人ではなく、この世界の者達全ての総意なんだ。もう俺がやめろと言って、止まるものではない」
「……そんな筈ない! この世界を壊したいなどと、誰が願うものか」
ジャンヌが目を丸くして言い募ると、それを打ち消すようにシヴァが静かに話し始めた。
「戦争のきっかけなんて、いつの時代も些細なことさ。いいだろ。個々の理由を少し話してやろうか。あれはまだ、何も知らず、目的もなく、ただ世界を移ろっていただけの頃。それでも、長く生きていれば勇者と鉢合うことが、何度かあったんだ」
「……?」
それが戦争になんの関係があるのだろうと、ジャンヌは首を傾げる。
「勇者とはいつの時代も存外に善人でな、ある善行がキッカケで、俺は当時の勇者と仲良くなった。……するとなぜか俺の周りに“精霊”が集まるようになってきた」
シヴァは感慨深く目を閉じると語った。
ーーー精霊達から聞く話は、当時悩み抜いていた俺には目から鱗だったな。
ゼロがゼロスだった事。俺の中にゼロスが混じっている事。
聖域という始まりの場所に、神は世界樹と共に居るという事。
あの時の出来事が、すべてゼロスの戯れだったと言う事。
……そして俺は、その戯れの中で取り残され、忘れられた人形なんだと言う事。
精霊たちの話を聞き、それらの真理やこの世の理に触れていくうちに、俺の中にはやりきれない悲しみと、激しい怒りが沸き上がってきた。
納得出来なかった。だが俺は弱い。向けるべき相手にこの想いを届ける事など、到底できなかった。
そんな時、当時友人であった勇者がとある事情で力を欲していた。
俺は彼自身と協力して、過去の勇者達の力と知識を手に入れるべく研究を始めた。勇者の魂は巡っていると、精霊から聞いていたからな。
勇者の中に蓄積された記憶は、ゼロスによるロックが掛かっていたが、幸運にも俺の中のゼロスが鍵となり、そのロックを外す事が出来た。
まあ、当然数世代に及ぶ作業ではあったがな。
そして呼び起こしたのが、過去最高と呼ばれた勇者“アーサー”だった。
「ーーー……待てっ! 過去の記憶と魂を呼び出した!? その代の勇者はどうなったのだ?」
ジャンヌは思わずその非人道的な行為に、シヴァの話を切った。
シヴァは何でもない事のように答える。
「始めは別人格だったが、やがてはアーサーに飲み込まれた。……融合と言ったほうがいいかな? 今の彼は勇者アリーであり、勇者アーサーなのだ」
……それは、かつて賢者も経験したことのある体験。別の記憶と自身の混雑。
賢者やマリアンヌは、飲み込まれる事なく自我を保ったが、アーサーは特別だった。彼のカリスマ的人格に、力に、その“完璧な勇者”を前に、未熟な勇者達は、彼の一部となることを受け入れたのだった。いつか辿り着きたい理想の自分が、彼そのものだったのだから。
「……人格が消える? ……馬鹿な……なんて事を」
「強制はしていない。元は個々の勇者自身が望んだことだ。そしてアーサーは、魔王に対し何故か並々ならぬ執念を持っていた。……他にも精霊王はルシファーに対する憎しみ、聖者は救済を、聖獣は嫉妬。八百万の神は力を求めていた。それぞれが個々に意志を持っていて、俺はそれらの不満や願いにただ耳を傾け、否定しなかっただけ」
静かにそう言うシヴァに、ジャンヌは言葉を失い震えた。
「何が……なにが個々だ。ーーー……力あるものが願いを無造作に達しようとすれば、他に影響が出る。だから、みんな我慢していたんだろう? なのになぜ焚き付けた!」
「焚き付けてなどいない。そもそも、それ等の願いの本質は大したことの無い小さな願いだ。“ただ、兄と共に過ごしたい”、“静かにして欲しい”、“側に来て欲しい”、“触れて欲しい”、“他の者より優れたい”。……個々の持つ願いは、誰しもが持つささやかな願いだ。些細が故、何故自分だけが求める事を許されないのか苦しんでいた。ーーー俺はただ、“共感”しただけだ」
それこそが、シヴァが2000年の時をかけ、導き出した答えだった。
「俺は個の願いを尊重する。誰だろうと、どんな願いだろうと否定しない。そもそも、その願いを否定しなければならない理由はなんだ? それは神が気まぐれに定めた“理”のせいだ」
「……自分に定められた理を壊す為に、それぞれが個々に戦争を始めたと? この世界を壊してでも、叶えたいと?」
「そうだ。みんな歪のない、新たな公平な正しいを望んでいる。そして個の願いが集まり派生したこの戦争は、いつしか全の願いとなった。もう、俺一人の意志で止まるはずがない。行き着く先が“破滅”だと気付いた所でな」
その答えにジャンヌは苦しげに顔を歪める。
シヴァを理解したい。その心を、在り方を。……変わってしまった筈が無い。
ジャンヌは睨むように目を細めながら、かつて笑いあった時間の鱗片を、目の前の白髪の男の中に探した。
「ーーー……。……なら、シヴァ、お前の願いはなんだ?」
ジャンヌの問いかけに、微笑みさえ浮かべていたシヴァの顔が途端、憎しみに歪んだ。
「俺の願いは、ゼロスの心を砕くこと。自分の創造した者達に裏切られ、争いと破壊を望む様を見せつける事。そして、自身の愛したものを壊させ、ゼロスの心を壊す!」
「その為に世界が滅びても良いと? なぜそこまで、……ゼロス様を憎む?」
「ーーー……アレは俺から愛する者をすべて奪った。俺の持つ、尊厳の全てを奪ったんだ!」
「だからそれは勘違いだ! 私はゼロス様を今は尊ぶべき神と見ている! 個として愛したのは……」
思わず縋るように手を伸ばしたジャンヌだったが、シヴァはその手を取ろうとはせず吐き捨てた。
「ーーー……お前には分からんよ。それ自体が、ままごとだったんだ。俺は、……お前の事など……」
憎しみの底に、一欠片の悲しみを宿したシヴァの瞳がジャンヌを見つめる。
その時、場違いにあっけらかんとした声が、その場に上がった
「ーーー……ねえシヴァお兄。まだ話長いの?」
カーリーが、つまらなそうにナイフを片手で投げ上げながら、シヴァを見上げていた。
ここでやっとこの章の中盤折返し地点位でしょうか……。




