神は、黄昏を見つめ賜うた 〜個の意思〜
ーーーそれは、まるで雛鳥が巣から飛び立つようなもの。
力を得た者は、みなその手を離れ、飛び立とうとする。
それが成長というものなのか。
はたまたただの、己惚れなのかーーー
◇
楽園では、亡者と聖者の泥仕合が繰り広げられていた。
亡者たちが初めて踏み込んだそこは、輝くクリスタルが深いすり鉢状の地形になっていて、その中に、まるで障害物のようにクリスタルの柱や巨大な木々が伸びていた。
悲鳴や怒声で満たされたその戦場で、若い亡者が声を上げた。
「ーーーっハデス様ぁ! 消えた奴等が復活しないです!! ルシファー様に何かあったんでしょうか!?」
「知らネェ!」
「そうですよね。知ってる筈無い……、じゃなくて、聖者達に押されています! このままじゃ押し切られ、潰されますよ!」
亡者の泣き言に、ハデスは鼻を鳴らして一蹴する。
「へっ、潰されるってんなら、俺達はいつもルシファー様に潰されてたろうが」
「アンタだけだよっ! ってかそういう意味じゃないし……ッガフッ……」
若い亡者が、ツッコミの途中でくぐもった呻きを洩らした。
「あん?」
「ーーーっ……」
固まった亡者の身体から、スルスルと細い植物の蔓が生え、絡みついていく。蔓は見る間に太くなり、その亡者を呑み込み握り潰した。
「よぉ、お前が“ハデスさん”か? ……ってかなんか、思ってたのと違う。なんか世紀末のチンピラみたいだ」
ハデスが振り向くと、そこには根本の黒い金髪をした、小柄な男が居た。
「ーーー……聞いたことある。アンタ、トラベラーってやつか?」
「そう、木村草太だ。初めまして」
「挨拶はいいっ。直ぐに消えんだからなぁっ、ヒャッハァーーー!!」
「は、あんたがな!」
ーーー……彼は、木村草太(17♂)。かつてはスイカ農家の倅だったが、スイカを愛するあまり、スイカの食べ過ぎて下痢を起こし、そのまま昇天したという残念な記憶を持つ、女の子大好きな転移者だった。
そして、この世界における2番目のトラベラーで、植物達を“遺伝子操作”や、“品種改良”の名目で、魔改造しまくった者でもあった。
……ソウタは生涯、ずっと俺の実を追い求めていたっけ。まあ、この世界のありとあらゆる者から、妨害にあって、結局実を手にする事はできなかったのだけど。
今ふと思う。……初めから言ってあげておけばよかったな。“俺のリンゴは種無しリンゴ”なんだって。
ソウタはニヤリと愉快そうに顔を歪ませ、ハデスに言う。
「ハデスさん、知ってる? 土と植物って相性良いんだ」
「? そうなのか?」
「ーーー……そう。土は植物にとって、“養分”なんだよ!!」
「!?」
ソウタがそう言うと同時に、小さな無数の種をバラ撒いた。
「グガッ」
「ッギィ……」
ハデスは咄嗟に避けるが、不意を突かれ“種”に触れた亡者達が固まる。
「それな、俺がアンデッド専用に品種改良した“スーパー・ヤドリギ・ベータカロテンEX・スリー”って言うんだ。土の身体に取り憑いて、喰らい潰して“核”を砕く。良く出来てるだろ」
そう言って、ソウタはせせら笑った。
……とは言え、一応彼も聖者という名のアンデッドである。
聖者と亡者の実質的な違いは、その心に恨みや未練を持つかどうかだけ。
姿に関して言えば、剥き出しの核を光魔法で上手く隠すのが聖者で、土魔法で土の肉鎧を着せるのが亡者。聖者も実体の肉が欲しければ、ジャンヌ達がそうしたように、亡者の様に土魔法で傀儡を造らないといけないんだ。つまり、本当にさして違いはないと言うことだ。
ハデスは、スーパーヤドリギナントカに取り憑かれた亡者達に、残念そうな視線で一瞥をくれた後、頭を掻きながらソウタに尋ねる。
「……つまりアンタは、種を撒いて俺等を仕留めるってことか??」
「ああ、土塊は黙って苗床になんな」
ソウタは嗤いながら、今度は幾千もの種を風に乗せ、四方に飛ばした。
だかそれが楽園中に飛び散る前に、ハデスが低く唸るように唱えた。
「魂の監獄第九の試練、“極寒地獄”」
次の瞬間、辺り一帯に凄まじい冷気が走り大地から氷の柱が飛び出した。
「な!?」
驚愕するソウタに、ハデスは笑った。
「ルシファー様が昔言ってたのよ。“種には発芽適温がある”って」
寒さのあまり、空中にダイアモンドダストが浮かび始める氷の舞台で、ハデスは胸を張った。
「神は植物に魂を入れなかった。だからそこには“在る”が、生も死も無い。だから死者の国楽園でも育つ。ーーーそして、育つためには、“環境”が必要なんだ」
ーーーそれは当たり前すぎて、見落とす落とし穴。
一瞬で自分の攻撃手段を奪われたソウタが、悔しげに吠える。
「ーーーっ、お前、バカだってきいてたのにっ……ただのバカじゃなかったのかよっ。亡者は、土魔法しか使わないんじゃ……」
「ハァーーッッッ、馬鹿にすんじゃねぇ!!! ーーー……いや、バカは否定しネェけど? ……俺が、何千年ルシファー様にプレスされ続けてると思ってんだヨ?」
ハデスはそう言いつつも、更に周りの気温を下げて行く。
そして、とうとう冷気で満たされたフィールドの中で、凍結に抗おうとする目に見え無い砂粒を見つけた。
ハデスはソウタを見下し、嗤いながら言った。
「流石の俺でも、“地獄の踏破”くらい、余裕で出来てんだよ。ーーー……凍っとけ、ガキが」
ーーーピシッ……パリィ……ン
小さな音と共に、明るい若草色の光が砕け、消えた。
「っどんなもんスカ!」
誰にとも無くそう言って胸を張るハデスに、高い響きの声がかけられた。
「ーーー貴方がソウタを倒すとは、予想外でした」
聖母マリアだった。
「お。姐さん、まだ生きてたんスか」
「ええ。死んでますけど」
頷くマリアに、ハデスはカラカラと嗤いながら言う。
「姐さん、そんなに楽園にいるのが嫌なら、もう往生したらいいじゃないスか」
「ーーー……本当に馬鹿ですね。出来るわけ無いじゃないですか! 今私が投げ出したら、この混沌がどうなると思ってるんです? 後任が出来るか、この世界が滅びる時まで私はここに居ますよ。それが私の役目なのですから」
「ーーーんじゃ後任、俺がやるスよ」
マリアの動きが固まった。
「……え?」
「だから姐さんは、安心して往生すればいいス」
「でっ、できるわけ無いでしょう!? 何馬鹿なこと言ってるの!?」
マリアの言葉に、ハデスは頭を掻いた。
「確かに俺はバカで、……生きてた頃も利用されるだけされて、訳もわからず殺されたような鈍いやつス。でも、ルシファー様に色々教えてもらってて、ふと気付いたんすよ。“あれ? 俺、すげえ出来る様になってんじゃね?”って」
ハデスはただの弱い亡者だった。
ずっと冥界という、S級の魔物達が出入りする場所で、ルシファーと共に過ごしていた。
“スゲーッスね!”が、彼の口癖。ちょっとした事で、ルシファーには潰される。まさに地獄の叩き上げ社会を過ごしてきた。
「だって、グズで馬鹿な俺が、地獄の試練を全部クリアして、他の亡者達から“王”とか呼んでもらってんスヨ。……確かにここまで来れたのは、こんな俺を見捨てないでいてくれた、ルシファー様のおかげス」
そこでハデスは少しバツが悪そうに、一瞬視線を逸らせたが、すぐに真っ直ぐとマリアを見据えながら言った。
「でも、ここまで来たのは俺自身。俺の意思なんッス」
「……」
そのあまりに真っ直ぐな、揺るぎない視線に、マリアは一瞬たじろいだ。
「姐さんは、さっき俺なんて“無理だ”って言いましたけど、俺は無理とは思わない。上手く行けば転移者だって抑えられるし、俺はもう弱くねんス! 俺なら姐さんみたいに、ルシファー様に“助けて”なんて、口が裂けても言わねえスね」
「……っ。貴方は、何も分かってないからそんな事っ……」
「確かに楽園の事はよく知らねッス。でも、俺だって恨みつらみを抱えたヤロー共を仕切ってきた。今更どんな変人が増えようと気になんねえス!」
「そんな適当な事で、ここが治められるものですか……」
ハデスがかつて見せたことの無い、“怒り”に顔を歪ませる。
「適当じゃねえよ。ーーー……初めてだったんスヨ。誰からも切り捨てられる馬鹿な俺を、見捨てないで構ってくれたのは、ルシファー様だけだった。そんで今回、“頼む”なんて言われたんだ。……これは別に命令だからじゃネエ。俺が俺の意思で、そうしたいと思ってんだ。今度は俺が、ルシファー様を助けてやる。俺は、その為なら地獄でも天国でもずっと留まる! ーーーだから姐さんは、さっさと往生すればいい」
ハデスはそう言うと、蔑む様にマリアを見た。
マリアが唇を噛み、それを睨む。そして怒りに声を震わせながら叫んだ。
「ーーーっ、あなたなんかにっ……、あなたなんかに楽園は渡さない。ここは、私がずっと守ってきた場所! 貴方でも、ルシファー様でもないっ! 私がっ!!」
「なら、年貢の納め時ッスね」
「ーーーほざきなさいっ! 例え、ルシファー様がここに来られなかったとしてもっ、貴方なんかには絶対渡さない! ここは私の居場所よっっ!!」
「上等だっ! だったらお高くとまってねえで、守ってみろヨ! じゃねえと奪っちまうぜぇぇぇ? ヒャッハァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
ーーーそして、二人は自分の誇示の為に、持ちうる力を放った。
◇
大地の抉れたかつて草原だった場所に、銀色の血で全身を染めたフラッフが、荒い息を吐きながら立っている。
相対するルドルフも、揺らめく炎のような血に塗れながら、それでも目の闘志は滾らせ立っていた。
フラッフがその姿に、1歩後ずさる。
「っありえない! 何故だ!? 何故、たっていられる!」
「ーーーそりゃあ、俺が強ぇからだな。そんで、お前らが弱ぇ」
「ーーーっッ!」
フラッフが激情に任せ、角を突き出して突進する。
だが、ルドルフはその角を避けようともせず、真正面に踏み込んだ。
「ーーー……ガハッ……」
ーーー……ビキッ……
正面からのぶつかり合い。
フラッフの剣のように真っ直ぐな角は、ルドルフの湾曲した鈍い銀色の角に弾かれ、ヒビが入った。
フラッフはとうとう膝を突き、自身の真核でもある角の負傷の痛みに呻いた。
「っくおぉぉぉ……」
「ーーー俺の勝ちだな。フラッフ」
獣王は静かに佇み、敗者を見下ろした。
「……っんでだよ……、何でお前ばっかり……」
「?」
泥に体を擦りつけ藻掻きながら、フラッフは尚もルドルフを憎々しげに睨む。
「ーーー……そういや、フラッフ。俺を“裏切り者”だ何だとほざいてたな。どういう事だ?」
「何でお前ばっかなんだよ……、とっととくたばっちまえよっ……」
「?」
「ーーー何で、お前は身体が黒い? 俺達聖獣に“黒”は無い。何でお前だけ? お前のせいで、俺達はレイス様にいつだって後回しにされるんだ! お前なんざいなけりゃいいんだよっ! このはぐれ者がぁ!!」
ーーーそれは、数千年に及ぶ鬱憤の塊。
自分ももっと、もふもふされたかった獣達の悲嘆。
その姿に、ルドルフはふと昔の自分が被ることに気付いた。
“黒いのなんて、俺のせいじゃねえのによ……”
ルドルフは、その滑稽さに、思わず嗤った。
「ねえマスター」
「なんでしょう?」
「速読ができるのに、どうして分厚い本をゆっくりめくって読むの?」
「ああ、落ち着くんですよ。ダンジョン構想の設計する時の……癖みたいなものですね」
「ーーー……そうなんだ……。ごめんね、ちょっとした勘違いだった」
「……? 何ですか?」
「……いや、一種のポージングかと思ってたんだ。マリーちゃんに“マスター、カッコいい!”って思ってもらう為の」
「……。……違います」
「……」
「違いますってばっ!」
「……なんにも言ってないじゃない」
ーーーマスターは実はアインスが一番苦手です。




