神は、黄昏を見つめ賜うた 〜墜ちた願い〜
―――それは“神”を失った者の
ひとつの結末―――
暗い、暗い、冷たい回廊の様な石牢の中で、私はそれを待っている。
―――それは、私の光。
―――それは、救済の刻。
私を繋ぎ止める鎖は、たったひとつの“約束”。
◇◇
―――それは、遠い記憶。
―――それは、きっと私が消えるまで忘れられない記憶。
眩しい光の中で、私は見た。
『―――……うわぁ。……これは……』
初めて目にした私の“神様”は、栗色の髪を持つ、きれいな顔立ちの男の人だった。
私が無言でその顔を見つめていると、その人は頭を掻きながら少し焦ったように、何かをボヤき始める。
『ウソだろ……。“ダンジョン”への案内役に自立型学習知能搭載のヤツを作ったら……、マリアンヌの幼少期にそっくりだよ……。……いや違う。これは違うんだ……。僕にロリータな趣味はないし、昔ふられたからって今更未練なんて無い……。きっとあれだ。大昔にマリアンヌを初めて見た時の衝撃が、未だに潜在意識の奥底に……』
神様はブツブツと言いながら、額を抑えてウロウロと歩き回っている。
『……ああ、ヤバイ。……これを見られたら、絶対にルシファーにはドン引きされるだろう。そして魔王は嗤い、神々は残念な目で僕を見るんだ。アインス様は……葉を揺らしながら嬉しそうに、それはもう嬉しそうに微笑む……! ……っ駄目だ! そんな事には耐えられないっ。あのサトリの化物にまた余計なコトをっ……』
神様は髪をグチャグチャと掻き毟った後、ピタリと足を止めると物悲しげに眉を寄せ、私を見た。
『君は何一つ悪くないよ。本当に、何一つ悪くないんだ。……ただ僕が、少し余計な考え事なんかして作ってしまったばっかりに……』
神様は何か銀色の四角い箱を手に掲げ、私に言う。
『……ごめんね』
ふいに、私は悟った。
―――これで、私は消えるんだ。
生まれて、たった数分で。
―――私は、なんの為にここに生まれたのだろう?
分からない。だけど……
……だけど、消える前にこの神様に一言だけ言いたい。
言わなくちゃいけない!
私は神様を見上げ、言った。
『私を生んでくれて、ありがとう! ―――私、神様に会えて良かった』
―――私は神様のおかげで、こんなにキレイな“光”を見られた。
十分です。私の中には、神様への感謝しかない。
―――さようなら。
『―――……』
『?』
ふと、神様の動きが止まり、神様は笑う私をじっと無言で見つめる。
そして少しの沈黙の後、神様は言った。
『……君の名前は、マリーだ。僕は、……マスターと呼ばれてる』
……まりー。
……マリー……。
……マリー……、私の、名前?
私は突然に降り掛かった、更なる幸福に思わず神様……ううん、マスターに跳びついて、お腹の辺りをぎゅうっと抱き締めた。
『マスター! マスター! ありがとう! マスター大好きっ!!』
『っ!?』
私……“マリー”が抱きついた途端、マスターの身体が強ばるのが分かった。
そして、マスターは困ったような顔で一人呟く。
『……っ、……あーー……あ、あれぇ? ……刷り込み設定なんか入れてないはずだけど、……自立型のせいかな? なんだ、これ?』
マスターはそうぶつぶつと言いながら、マリーの頭を撫でてくれた。
マリーはそれが嬉しくて、マスターから引き剥がされるまで、ずっとくっついていた。
◇◇◇
マスターは普段、大抵キューブを弄りながら本を読んで過ごしている。
今も大きな椅子に座ってキューブを弄りながら、分厚い本をめくりつつ、マリーの話を聞いてくれてる。
マスターがマリーの言葉にふと顔を上げ、言った。
『マリー、それは大いなる勘違いだよ』
『へ?』
『僕は“神”じゃない。確かにマリーを作ったけど、……そうだな。どちらかと言えば“親”のようなものだ。神はこの世界にちゃんと存在しているからね』
マスターはそう言ってキューブをまわす手を止めると、紅茶を一口啜った。
マスターの言葉にマリーは戸惑いながら……、呼んでみた。
『―――……パパ?』
『―――ブフゥっ!? ゲホッ、ちがっ、違う!! 何でだよ!? ゴホッゴホッ、断じてっ違うからね!? っいいかい、マリー! っよく聞くんだ、マリー!! 間違ってもダンジョンの外や来客中に、今みたいな事言っちゃ駄目だからね!?』
吹き出し、噎せこむマスターにマリーは尋ねてみる。
『……誰も居ない時で、ダンジョンの中ならいいの?』
『っ駄目に決まってるだろ!! 何言ってんのこの子はっ、全くもお―――っっ!?』
マスターは手に持った本をマリーの鼻先に突きつけながら叫ぶ。それから椅子に深く身を沈めなおして、溜息をついた。
『はぁ―――……。……マリーには、色々学んで貰わなくちゃいけないようだ』
◇
“花とミツバチとジョーロを持って、花は薔薇です。散歩をしています。明日は、猫と遊ぶつもりですが、水を蛇口から出して、歩きました。天気は晴れて、水たまりを……”
マリーは目の前の文字の羅列を見て、机に突っ伏した。
『マスター、出来無いよう……』
途端もう聞き慣れた、マスターのちっとも怖くない怒声が飛ぶ。
『っなんでここ迄“文学”がだめなの!? 酷いにも程があるよねこの作文! ―――……演算に空間知覚、力学に物理、理数系は教えた事全部出来るのにっ! なんでっ!? ねぇ、なんで!!?』
マリーは机に伏したまま言い訳をする。
『書きたい事が多すぎるの。そしたらゴチャゴチャになって……あ、でも証明問題なら出来るよ! 文に気持ちが入っちゃうと駄目なの……』
『はあ……。理解できない……。ちょっと休憩にしようか。良くこんな調子で四百万文字も綴れるよね。ある意味凄いメンタルだ』
マスターはいつも通りブツブツと言いながら、紅茶を淹れる準備を始めた。
マリーはミルクか、たまにココア。マスターは紅茶。
キューブを、捻ればすぐに出せるみたいだけど、マスターはいつもきちんと手順を踏んで淹れている。
マリーはマスターが、私のカップにミルクを注ぐ前に挙手した。
『マスター、マリーも! マリーも紅茶を飲む!』
『え、飲めるの?』
マスターの手がピクリと止まり、マリーのカップに紅茶を注いで、差し出してくれた
マリーは颯爽とそれを受け取り、口に含む。
『―――……ニガいごぽぉ……』
呑み込めず、目に涙をためながら、口の中で紅茶をガボガボしていると、マスターが慌ててタオルをさし出して来てくれた。
『ホラぁっ!! 何やってんのこの子は、もおぉっ!』
―――……だって、マリーもマスターと紅茶を飲みたかったんだもん。
◇◇◇
―――ある日、マスターが暗い顔をして戻ってきた。
『どうかしたの? マスター』
『マリー、仕事だ。騎士の選別をするのを手伝ってほしい』
マスターはマリーの質問に答えてはくれず、そう言った。
そして、キューブをひねって、幾万もの小さなガラクタや、宝物を出す。
『これらが“鍵“と“扉”だ。マリーは鍵の数だけ分身を作り、ポイントで待ち伏せをしておくんだ。“真の騎士”を見つけたら、聖杯のダンジョンに連れて来てくれ。僕は“硬い部屋”を作る為、暫く戻れない』
マリーは頷いた。
マスターは大変な仕事をする時は、良くこうやってダンジョンに一人で籠もってしまう。
ちょっと寂しいけど、いつものことだ。
マリーが手を振って見送ろうとした時、マスターが付け加えてきた。
『……それからマリー、今後“龍閣楼の迷宮”の最奥の扉には、近付いてはいけない。わかったね』
私は何も聞かず、ただ頷いた。
マスターは、マリーを“危ないもの”に近づけさせない為だと言って、たまにこんな事を言う。
マリーは、絶対にマスターの約束を守る。そこに何があるのかなんか、マリーは知らないし、気にもしない。
マスターがダメだと言ったら、駄目なんだ。
『……はい、マスター』
『そんなに怖い顔をしなくて大丈夫だよ。うまく行ったら、ホットミルクを入れてあげる』
『……うまく、行かなかったら?』
マスターの笑顔に、マリーは一抹の不安を感じて尋ねた。
『……もし僕が帰らなかったら、“龍閣楼の迷宮”で待ち合わせしよう。そこで待ってて。必ず迎えに行くから。そして、僕が行くまで“龍閣楼”を守っておいて』
『うん、わかった。マリー、マスターを待ってる』
◇◇◇
あの時は、ちゃんと帰って来てくれた。
なのに……
―――マスター、何処?
マスター、マリーね、お砂糖の入ったミルクティーだったら飲めるようになったんだよ。一緒にお茶したいよ。
―――マスター、何処?
マスター、もうすぐバラ園が満開になるよ。マリーがお世話したピンクの薔薇も、蕾がいっぱいついてるの。一緒に見ようよ。
―――マスター、何処?
マスター、マリー作文も頑張る、マスターに言われた事全部頑張る、だから、だから、だから。
……迎えに来て。 一緒に、帰ろうよ。 マスター。
帰りたい。帰りたいよ。マスターの所に……。マスターが居ないと、マリーは駄目なの、嫌なの、マスター……。
何処なの? マスター……言われた事、ちゃんと守るから……。マスター。
マリー絶対、絶対守るから。
◇◇
「マスターは何処だぁあぁぁぁ!!!!」
「話を聞いてくれっ!」
守る。
「思い出せ! 俺はお前の友達だ! 頼むからっ……」
マスターとの約束を、守る。
「マスターが居ないならっ、帰れぇえぇぇ―――!!! アアァァァァアァァ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ」
マスターが帰ってくるまで、マリーは守る。
守り続ける。




