番外編 〜聖女と勇者の小さな恋の物語④〜
《イム視点》
―――それは、突然湧いて出た。
始めは、一匹のゴブリン。
それを皮切りに数百、数千、数万……どんだけいるのよ。
その魔物たちの群れは広大な大森林から、インクのシミが広がるように溢れ出してきた。
私は直感的に、それがゼロス様の仰った【敵】だと確信した。
「あれがゼロス様のおっしゃった敵よ! 戦争なんかしてる場合じゃないわ!」
私は叫んだ。
私の隣に控えていた軍師と将軍が驚いた顔で私を見ては、困惑の表情でどうしたものかと、互いの顔を見合わせていた。
私は苛立ちに任せ言い募る。
「何を突っ立っているのです? 早く迎撃の号令を! そして、隣国の人々に救援を行うのです!」
私の声に、二人は漸く我に返ったように動き始めた。
大の大人がホントにしっかりして欲しい。そんなに人間同士で戦いたかったわけ? 引くわー……。
私が二人が動き出した事にホッと胸をなで下ろした時、突然ズンッと大きく櫓を揺らす衝撃が来た。
私達は不意を突かれ、各々櫓の淵まで弾き飛ばされる。
かろうじて、手すりにしがみついた格好の将軍が怒鳴った。
「なんだ!? 大砲か!?」
「いや……上だ! 屋根の上に【キラー・ビート】が居る!」
【キラー・ビート】とは、獰猛で巨大な、黒い鳥型の魔物だ。
嘴が血のように紅く、両翼を広げれば二十メートルを超し、その巨大な漆黒の翼には猛毒の爪が隠されている。
また、その脚には5本の鋭い鉤爪を持ち、まるで人の手の指のように器用に動かすことができた。
長く、蛇のようにうねうねと動く首は、獲物を品定めする際、愉し気にまるでリズムを刻むように上下に動く。
その様子から、この【キラー・ビート】の名が付けられたのだ。
ファーストインパクトの揺れが収まった今も、櫓の骨組みはミシミシと嫌な音を立て、上から埃を落としくる。
それにそもそも、櫓は巨大な怪鳥【キラー・ビート】の体重を支えられる程、頑丈な造りではないのだ。
だけどこうなってしまえば『重量オーバーです降りてください』という訳にもいかない。
今ですら崩壊寸前のこの櫓の屋根を蹴って【キラー・ビート】が飛び立とうものなら、その衝撃で間違いなくこの櫓は崩れ墜ちるだろう。
櫓の高さは約十二メートル……四階の建物程だ。十分に死ねる。
つまり現状で起こりうる未来は二択。
櫓に【キラー・ビート】の蛇のように長い首を突っ込まれ、ノリノリで喰われて死ぬか、こちらに気付かず【キラー・ビート】ご飛び立ち、櫓が崩壊して死ぬか。
―――うん。絶体絶命だ。
嫌だぁああぁぁ!! 死にたくないよぅ! 聖女って自分の怪我とか治せるの?
よく考えたら聖女になってこの方、怪我は勿論、病気もしたこと無いのだ。
いや、こうは考えられないか? “病気になっても、溢れんばかりのマナが、私に症状が出る前に自然治癒していた”と。
いや単に私が馬鹿だから、風邪ひかなかっただけなような気もする。
わからん。
とにかくピンチだ! 助けて神様!!
天井と柱から響くミシミシどころか、バキバキと血の気の引く恐ろしい音を聞きながら、私は一心に祈った。
だけどゼロス様は、御応えくださることは無かった。
うん知ってる。分かってたよ?
今までだって、基本一方通行の御神託だったし、稀に御神託の最中にこちらの言葉が通じる事はあっても、それ以外ではこちらの呼びかけに応えて下さった事は一度も無い。
だけど、祈らずにはいられなかった。
「早く逃げろ!!」
足がすくんでただ震えていた私の耳に、誰かの叱咤するような声が聞こえた。
私はその声ではっと我に返る。
バキバキと櫓が絶叫を上げる中、私は只櫓の手すりにしがみついてるだけ。
そうよ。……死にたくないなら崩壊する前に、下に逃げなきゃ!
私はキッと櫓の昇降口に目を向けた。
「……。あ?」
途端、思わず変な声が出た。
だってそこには、あ……でぇ――――――る!!!?
なんで!?
両手を昇降口の縁にかけて、ひょっこりとこちらを覗いていたのだ。
何それ、超かわいいんですけど?? ガチムチ童顔プレーリードッグ!?
ヒョッコリって!
ちょ、出てくるとこ見たい! もう一回、下からお願いします。
「聖女イム様、早くこちらに!!」
アデルがそう叫んだ瞬間、テンションマックスだった私の心はストンと地に落ちた。
なんだ。
お前も【イム】かよ。
そりゃそーだよね。
【カンナ】より【聖女】の方が価値があるもん。
田舎娘より、聖女様守る方がね?
……そっか。兵士やってたんだね。
いいじゃん。私とは昔の誼もあるし、聖女様守れたら箔がつくし? 昇進もバッチリだね! アンタの未来は明るいよ!
……てゆーかさぁ、なんであの時『カンナ』って呼んだの?
勘違いするでしょ?
―――……勘違いしちゃったよ。
私の中に言い知れない悔しさと、果てしない孤独がじわりと広がった。
私は背筋を伸ばし、長年鍛えたポーカーフェイスを浮かべながらアデルの方に駆け出した。
内心はアデルの前から、今すぐにでも逃げ出したい気分だ。
でも今アデルのひょっこりしている場所が、唯一の出口なんだからしょうが無い。
私が無事昇降口まで辿り着くと、アデルはまるで何処かのプリンセスでも扱うように優しく、だけど力強く私の腰と手をとって引き寄せてくれた。
あ―――……、こんなに冷めてなきゃシチュエーション萌えで、鼻血の一つも出たかもね。
私は淡々とお礼を言った。
「ありがとう、アデル。ゆっくり昔の話でもしたい所ですが、今はそんな状況でも無いですね」
そんな私の言葉にアデルは無言。
そして一拍遅れ、意外そうに大きく目を見開いた。
……いや、ビックリし過ぎじゃない? 瞳孔開きかけてるよ?
一体世間では私って、どんなキャラなのよ?
私はアデルの反応を無視して、将軍と軍師に声を掛けた。
「将軍と軍師殿も、早くこちらに!!」
将軍は、慌ててコチラに走り出したが、軍師は動かない。
「軍師殿!」
「……っもう……無理……ですっ」
軍師は手摺に捕まったまま、こちらを振り返った。
その顔は笑っていた。
だけど、笑いながら涙を溜めた目は、何を目にすればそうなるのかと言う程絶望と恐怖に歪んでいる。
―――そして次の瞬間、軍師の胸から上が消えた。
「え?」
本当に、消えたようにしか見えなかった。
一秒も経っていないその長い時間が終わると、残っている軍師の身体から大量の血が吹き出した。
ああ。これは助からない。
その光景に私の全身の鳥肌が立ち、足から力が抜ける。
幾千人の致命的負傷者を救って来た私には、血に対する恐れはない。
だけど、自分の命の危機への恐れの耐性はなかった。
ヌルリと蛇のような動きで、真っ赤なくちばしを持つ漆黒の頭が櫓の中に入って来た。
嘴には、同系色の液体が滴っている。
巨大な頭はまだ勢いよく血しぶきを上げながら、ピクピクと痙攣するその軍師だった物を器用に嘴でつまみ上げ、呑み込んだ。
そしてガオォと満足げに一声哭くと、軍師を飲み込んだ【キラー・ビート】はコチラに目を向け、愉しそうにテンポ良くリズムを刻み始めた。




