神は、再び沈黙を守り賜うた 〜平原での開戦〜
ーーー悪魔は、人間と魂の取引をする。
ーーーだが、その代償は果てしなく重い……。
男の願いに、悪魔が嗤う。
「良いだろう、その願い聞き届けよう。代償は、……わかっているな?」
「何が望みだ?」
「……そうだな。お前の持つ時間、80年分を我に捧げよ」
悪魔の要求に、男は目を見開いた。
「80年!? 長過ぎるだろ!?」
「そんな事はない。人の寿命は約百年。……どうだ? 悪い取引でもあるまい」
嗤う悪魔を、男は拳を固く握りしめ睨んだ。
「……クソッ、……いいだろう。お前にこの時間をくれてやる」
◇
聖域の外周を囲む魔物たちの群れから、少し離れた平原と森の境目。
平原に立つ黒き獣王ルドルフが、魔獣の群れを従え、森を睨んでいた。
ルドルフが鼻を鳴らす。
「ーーー出てこいよ。卑怯な裏切り者共」
ーーー……ザアーー……
風が吹き抜け、まるで木々や草が、その者にひれ伏すかの様に道ができた。
そこから現れたのは、1匹の聖獣ユニコーンだった。
ルドルフは驚きもせず、ユニコーンを睨む。
「よう、フラッフ。何で聖域を離れた? 一応話だけは聞いてやる。言ってみろ」
このフラッフは、レイスの2番目のお気に入りだ。純白で羽毛のようなふわふわの毛に、サラサラの絹糸のような長いたてがみと尻尾。そして、紫がかった青い水晶の様な、美しくも長い一角。
ルドルフよりサイズはひと回り小さいものの、他のユニコーン達と比べると、目を見張る程に大きく、美しかった。
……そして、年の程近い2匹は、かつてライバル同士でもあった。
フラッフは風にたてがみを揺らしながら、笑った。
「ルドルフに聞いてもらいたいことなど、今更何一つ無い。……まあ、あえて言うなら、“裏切り者”はお前の方だということくらいかな」
「あ? 俺がいつ何を裏切ったって言うんだ?」
ルドルフは蹄で地を叩きながら、燃えるような炎の息を吐いた。
「ーーー……自覚無しか。なんと憎々しいことだ。……俺達はな、ずっとお前を疎ましく思っていた。ずっと消えてくれと願っていた」
「消したきゃ消しに来ればいいだろが。俺はいつだって、タイマン大歓迎だぜ? ぐじぐじと湿ったらしい話しかできねえなら、拳でケリを付けようぜ」
……因みにルドルフにも、フラッフにも拳はない。
「相変わらず全てを力でねじ伏せようとする、愚かな奴だ。ーーー……だが、俺はお前との力の差は理解してる。タイマンではかなわんだろうな」
フラッフがそういった瞬間、森の木々の影から、幾百の聖獣達が現れた。
「なあ、ルドルフよ。聖獣の血には、神々の呪いが掛けられているんだ。我々を傷付けようとすれば、お前の従えている魔獣共は、死より辛い呪いを受ける事となるだろう。……聖獣と戦えるのは、聖獣しか居ないのだ。つまり我等を前に、お前はたった一匹なのだよ!」
「……」
勝ち誇ったように笑うフラッフを、ルドルフはつまらなそうに見つめた。
「……なんだ?」
「つまんねー奴だな、と思ってよ」
「はっ、負けを悟って泣き言か? いいぞ、いくらでも吠えるが良い!」
「いや、違う。……クソ賢者が言ってたんだ。もしかしたら、お前らがそんなダセえ事を言ってくるかもしれねえとな」
ルドルフの言葉に、フラッフの瞳が揺らいだ。
「なんだと?」
「……賢者が言うには、魔獣共に俺の意思で俺の血を分け与えて置くと、聖獣の呪いに耐性がつくんだと。……そういや今までだって、俺が望んでタイマン張った奴らには、別に呪いなんぞかかってなかった。呪いなんざクソ喰らえでボコり合ってるのにな」
「どういう事だ……、呪いが効かない?」
「聖獣同士での縄張り争いなんかと同じだ。互いの同意の下になら、呪いは無効化される。俺は今まで全部の聖獣達とも、この拳を合わせてきた。そしたらその呪い全ての耐性が、いつの間にかこの身に宿ったんだそうだ。ーーークソ賢者はこの体質を“獣王の加護”なんて呼んでたが、まあそんな大層なもんでもねーよな」
興味なさげにそう言うルドルフに、フラッフが目を見開き、鼻を鳴らした。
まるで湧き上がる震えを押さえ込むように。
「ーーーありえない……。馬鹿だろお前っ、本当に全部種族とやりあったって言うのか!?」
「そうよ。そんで、そんな俺の血を、ここに居る魔獣共全てに一滴ずつやった」
「……っ……」
「ーーーつまりここにいる奴等は、普通に聖獣達を殴り飛ばせるってわけだ。形勢逆転だな、フラッフ」
「……っく!」
奥歯を噛みしめるフラッフに、ルドルフはため息を吐きながら言った。
再び言うが、ルドルフに拳はないので、殴り飛ばすことは出来ない。
「ーーー……と、言いたい所だがな。……おい魔獣共、この喧嘩に手え出すんじゃねえぞ」
「「「……」」」
ルドルフの後ろに控えた魔獣達は、静かに獣王に頷いた。
「フラッフ、お前等に何があったか知らねえ。だがな、今のお前らみてえに、胸のココんとこがひん曲がっちまってる奴等になんざ、俺は絶対に負けねえ。ーーー全員同時にかかってこいよ、腰抜け共。殴られりゃテメエ等のひん曲がっちまった芯も、ちったぁマシになるかも知んねえぞ?」
ルドルフはそう言って、せせら笑うように鼻を鳴らした。
「くっ……どこまでも馬鹿にしやがってっ! お前達、アレがそう言っているのだ! 望み通り袋叩きにしてやれっ!!」
フラッフの角に、眩しく輝く蒼白い輝きが灯った。
ルドルフの口の端が吊り上がり、蹄に燃える銀色の炎が、一層に眩しく燃え上がる。
そして、片目をつぶってルドルフは言った。
「来いよ、言っとくが俺は強えぞ。ーーー俺は“獣王ルドルフ”。夜露死苦っ!」
その身体に、幾百の獣の形を取った光の矢が降り注いだ。
◇
ーーー……ルドルフ達が、平原でぶつかり合いを始めて間もなく、ラムガルの元に、1匹の闇のエルフが走り込んできた。
託された知らせを、ラムガルとポヨポヨマスターが覗き込む。
「ーーー……聖獣共が動いたか。……もはや奴らも隠す気はなく、真っ向勝負をする気だな」
「っていうか、あの馬鹿何やってんの!? なんの為に血を配ったと思ってるんだよ!」
魔王は天を仰ぎ見て、賢者は地に伏し、その大地をペチペチと叩いた。
「自ら進んで集団リンチを喰らいに行くとか、馬鹿過ぎる! ルシファーから馬鹿な奴とは聞いてたけど、さすが馬鹿に馬鹿と言われるだけはある……。馬鹿の中の馬鹿、大馬鹿者だよっ! っチクショォーーーーッッ!!!」
ーーー痛切な、賢者の叫びがこだました。
この賢者、神の聖心に沿う為、どんな馬鹿にも本気で掛かる。
「……嘆いている暇はないぞ、そちらが動いたとならば、こちらとてもう間もなく……」
膝を付き、プルプルと怒りを顕にしているポヨポヨマスターを見下していたラムガルが、ふと再び顔を上げた。
「ーーー……いや、もう来たな」
「「「!?」」」
ラムガルの一言に、一同が空を見上げた。
そこに見えたのは、渡り鳥のような小さな影。しかしその影は、空の青を隠す程に夥しい数だった。
「……な、何だあれは?」
あまりに不気味なその光景に、魔族の一人が呆然と呟く。
ラムガルはそれを眺めながら、答えた。
「天使の軍団だろう。心配するな。コバエみたいなものだ。天使長共とて、まとめてかかってやっと余と同等と言ったところか。おそるるに足らん」
そう、ラムガルと天使長達は、同じ時に創造された。ちょうど均等に分けられたレイスの肉で、ゼロスは8体の天使を、そしてレイスは一体の魔王を創ったんだ。
とは言え、天使長の一人は今封印されているから、現在ラムガルの方に分がある事に間違いは無い。
ポヨポヨマスターは急いでラムガルの肩によじ登りながら、ラムガルの言葉を否定した。
「そうも言ってられないよ。確かに魔王が天使達の相手をするなら、それはそれで良いだろうけど。……魔王の相手は、天使じゃない」
地平線の向こう、天使の大群のその下に、黒い蠢きが見えた。
ポヨポヨマスターは言う。
「魔王には神々との約束がある。“人間達への魔法行使禁止”は、今この時にあってもまだ有効だ。魔王は八百万の神々によって底上げされ、魔王と同等の力を得た勇者と、魔法無しのハンデで戦わなきゃいけないんだ。戦況としては断然不利だよ。そんな中で、誰があの天使の相手をするって言うの?」
ラムガルは攀じ登ってくるポヨポヨマスターを、避けるでもなく邪魔するでも無く、ただ無視していた。
そして、静かに言う。
「ーーー口だけの役立たずめ。今の貴様の存在、ただの荷物でしかない事を忘れるな」
「……っ」
悔しげにラムガルを睨みつつも、ポヨポヨマスターは、それを否定しなかった。
ラムガルはそんなポヨポヨマスターを、気にも留めない。
その視線の先に見据えるのは、唯ひとつ。
ーーー地平線に蠢く影の先頭に立ち、こちらへ向かってペガサスを駆るひとりの男。
聖剣を携え、白いマントをはためかせる“勇者”であった。




