番外編 〜聖女と勇者の小さな恋の物語③〜
《アデル視点》
戦が始まろうとしていた。
俺は最前線を志願した。
あの日を境に、俺は希望を持つことを辞めたのだ。
そう、あれはカンナ……否、聖女イム様が兵士を集め士気をあげる為の演説を行った日。
いつもは城内兵だけで行っていて、末端の俺などその演説を聴くことさえ出来ないでいた。
しかし今回は神託による、戦の前触れがあった事から、俺達末端兵にもその演説を拝聴させて貰える機会が巡ってきたのだ。
王都に登りはや四年。
その間一度たりともその姿を見ることの出来なかったカンナを、初めて見た日でもあった。
俺は今まで捨てられずにいた、あのハーティの花輪の入った小袋をポケットに忍ばせ、少し緊張しながら広場に向かった。
そして俺は、粛々と現れたカンナを目にした瞬間、言葉を失った。
十一年の歳月が、彼女を信じられないくらい美しく変えていたからだ。
ふわふわとした短いくせ毛は、長く艷やかな栗色の髪となり、目鼻立ちは整い、愛らしかったあの大きな瞳は、長いまつ毛に隠され、美しさと憂い、そして慈愛をまとっている。
これまで幾千もの命を【奇跡】で救ってきたという噂だが、正直それは信じられなかった。
なぜなら薄く、柔らかな白いドレスに包まれた彼女は、十六歳と言う年相応に若く、触れば壊れそうに儚い存在に見えたからだ。
俺はカンナのこなれたスピーチを聞いていた。
―――違う。
カンナはこんな喋り方をしない。
俺の中に、幼かった頃の奔放な少女の笑顔が、姿が思い描かれていく。
あっという間に、その演説は終わった。
彼女は、俺に気付かない。
沸き起こる兵士達の声に紛れ、立ち去ろうとするカンナに俺は叫び声を上げた。
「カンナ!」
その時、彼女が振り返った。
―――奇跡か。
俺は思った。この大勢の中で、俺の声が彼女に届いたのだから。
そして俺達の目が合った。
合ったんだ。
だけどカンナは表情を変えることなく、再び踵を返すと立ち去っていった。
俺はハッキリと理解した。
俺のカンナはもうどこにも居ないのだと。
あそこに居られるのは【聖女イム様】なんだ。
《イム視点》
愚かな人による、愚かな戦争が始まった。
敵は隣国とその支援による五万の兵。
―――違うよ。敵はきっとその人達じゃない。
だけどこうなっては、もはや私には止められない。
隣国は私を魔女と定め、魔女に操られた国を滅ぼそうとする。
当然私の話など聞きはしない。
こちらの国とて、神託通りの戦の相手が現れたのだ。
死力を尽くして戦うのだろう。
―――これは私のせい?
いや違う。
でも私が神託の事を告げ無ければ、こんな事にはならなかった。
私のせいでは無い。
本当に? でも私という存在が居なければ……。
私は心の内でそんな無意味な問答をしながら、前線の物見櫓の上でその光景を眺めていた。
風は柔らかく空は雲ひとつ無い蒼天。
暖かな日差しに照らされた、ハーティの草原が揺れる。
まるでどこかから牧歌でも聞こえてきそうな、そんな穏やかな午前。
だけど分かっている。これは嵐の前の静けさだ。
どこからともなく太鼓の音が響く。
始めはゆっくり、そして徐々に速く。
敵兵の陣が、まるで巨大な生き物の様にゆっくりとうねり、動き始めた。
◆
《アデル視点》
「敵兵が動き出した!! 弓兵準備!!」
けたたましいラッパ音と共に、隊長の号令が飛ぶ。
俺は弓兵ではない。最前線の足軽兵だ。
カンナに会うため昇進しようと、かなり鍛え込んだりもしたこの肉体だが、敵兵五万の壁は厚く、ぶつかり合えばまず生き残る事は出来無いだろう。
「いいか者共! 神より遣わされし【聖女イム様】が、我々のすぐ後ろにいらっしゃる! 無様は見せるな! 戦い抜けよ戦士たちよ!」
隊長の声に応える兵士たちの咆哮を聴きながら、俺は一等立派に組まれた物見櫓の一つを見上げる。
そして、誰にも聞こえないよう呟いた。
「さようなら」
その時だった。
突然、目の前に見えていた敵兵の陣が、不自然に崩れ始めた。
「なんだ? 何が起こってる?」
隊長が不審気に、望遠グラスを覗き込む。
敵はまだ遠く、俺達のところから肉眼で詳細は見えない。
息を呑んで隊長の様子を見守った。
やがて隊長は呆然と、信じられないものを目にしたとでも言うような顔で何か呟いた後、大声で叫んだ。
「魔物だ! 魔物の群れが、森から溢れ出している!!」
隊長の声に、静まり返る兵士たちの中、俺は1つの言葉を思い出した。
【モンスター・スタンピード】魔物達の大反乱だ。
稀に起こる現象らしい。
対処が遅れれば一国が滅ぶこともあるとか。
だけど、なぜそんなものが今?
魔物すら俺達の味方となって、敵の殲滅をしようというのか? 神のご意思だから?
いや、そんなはずは無い。
いざ死地に至って、なんでも都合の良い方に考えてしまってるだけだ。
「皆、構えろ!! 魔物達がこちらにも来る! 四万……いや、とにかく沢山だっ!!」
隊長が望遠グラスを外し、悲鳴に近い声で叫んだ。
土煙を上げ、黒い波がこちらに近づいてきていた。
俺はふと聖女イム様の櫓に目をやる。
「っ!?」
瞬間、俺は駆け出した。
そこには【キラー・ビート】と呼ばれる、体長五メートルはあろうかという、巨大な黒い怪鳥が鎮座していたのだから。




