神は、審判の時を設け賜うた
「じゃあ、行ってくる。留守番は任せたからね」
ゼロスが、ちょっとした私用にでも出掛けるかのようにレイスに声を掛けた。
そう、正直な所ゼロスやレイスにとって人間達や魔物達とは、生かすことより消すほうが簡単な存在なんだ。
レイスは任せてとでも言うように、胸を張って頷いた。
ゼロスの決めた事にレイスが頷けば、最早それを覆すことは誰にもできない。
たけど唯一、蚊の鳴くような声でゼロスに訴える者があった。
「お待ち下さい……、ゼロス神様っ」
「マスター。……なに?」
ゼロスとレイスが、冷やかな視線でポヨポヨマスターを見た。
滅びを願う2柱に視線に晒されたポヨポヨマスターが、恐怖により震える事すらその動きを止めた。そして、ただの人形の様に動きを止めたポヨポヨマスターから、流暢な音声が再生され始めた。
『……やはり、お怒りになりましたか、ゼロス神様』
固まったポヨポヨマスターから響く音声に、レイスが首を傾げる。
「……? ポヨポヨマスターが壊れた?」
「違うよ。これは本物のマスターの録音音声だ。一定の条件で自動再生される様に組まれてたんだろうね」
ゼロスがレイスにそう説明してる間にも、音声は流れ続けた。
『僕自身が動ける状態でない為、このような形での陳情で申し訳ございません。ーーーこれを聞いて下さっているということは、ゼロス様がこの世界の、滅びを決定されたということでしょう。……ですが、どうか今一度だけ、待っていただきたいのです!』
レイスが、今度は反対側に首を傾げる。
『ゼロス様は、アインス様の為にご決断をされましたが、自身の作り出した創造物を愛されている。愚かであろうと、赦し守りたいと思われていたのではないでしょうか』
「そうだね。でも、アインスに手を出そうとした地点で、もうアウトだ。ーーー……この世界はね、僕達がアインスの為に創ったんだもの。アインスが居なきゃこの世界は存在し得なかった。……ね? 駄目でしょ」
『……まだ、手は出されていません。どうかゼロス様に味方する者や、アインス様に尋ねてみてください。皆この世界を滅ぼしたいとは望んでいないはずです! ゼロス様の創った世界を守る為であればどんな困難でさえ立ち向かうでしょう! ですから、どうか、早急な一存で、みなの思いを、……願いを、無下にしないでいただけないでしょうか。……僕は、まだ滅びたくない……。どうか、お願いします……』
……凄い。
録音音声で会話ができていた。
マスターの音声はそこで途絶え、再びポヨポヨマスターが恐怖にぷるぷると震えながら動き出した。
ゼロスが刺すような視線を、ポヨポヨマスターに落とした。
「……そうだね。マスターはシヴァの手の内に居るから、諸共に滅ぼされる事が嫌なんだね。……だけどしょうがない犠牲と言う物は、必ずあるんだ。ーーーそうでしょ? ラムガル」
ラムガルはこれまで率先して、魔物達を死地へ送り込んできている。
突然話を振られたらラムガルは、慌ててその問に答えた。
「……。……しょうがない犠牲は必要かと思います。そして、余はゼロス様の決定に、異存は御座いませぬ。……しかし、惜しいとは……思います」
その答えに、ゼロスが肩をすくめた。
「……ああ、ラムガルは勇者と仲が良かったからね」
そう。今回のゼロスは消すにあたって、魂すら欠片も残さず消すつもりだ。つまりもう、巡ることも無くなる。
「ハイエルフ達は? 僕に忠誠を誓うんでしょ?」
「誓います。ーーー…… 」
「なに?」
「い、いえ。我らが子孫のエルフ達が……」
「……」
ゼロスは面倒そうに視線をそらし、ルシファーを見た。
「……っ」
ルシファーが言葉を詰まらせたとき、ゼロスはその言葉は聞こうともせず、俺を見た。
ルシファーの顔は、マスターと同じ表情。その答えは分かっていた。
「アインスは?」
あ、俺?
「俺は、この世界が大好きだよ」
「アインスを傷付けようとしてるのに?」
「うん。例えこの身が枯れ果てても、ずっと大好きだ。実際枯れた事は無いんだけどね」
「……」
無言で俺を見つめるゼロスに、俺は尋ねてみた。
「ゼロスは?」
「……」
ゼロスは答えない。
ーーー……だけどまあ、答えなんて聞かなくても、その心はわかってる。
ゼロスは間違いなくこの、世界が好きなんだ。
アビスを葬った時でさえ、ゼロスは随分と打ち拉がれていた。
それを、愛する者達を意見の相違を理由に消すなんて、身の裂かれる思いだろう。
「ねえ、ゼロス。俺はゼロスがそう決めたのなら、それでいいと思う。でもゼロスの心は、本当は滅ぼしたくないんじゃないのかな、とも思うんだ。だってゼロスは優しいから」
ゼロスは唇を噛みしめながら言った。
「……だけど駄目だよ。大好きだった皆に裏切られて剣を向けられるのってね、本当に辛くて、心が引き裂かれそうなほど哀しいんだ。……こんな思い、アインスにさせちゃいけない。傷つけさせちゃいけない! 手を出されてからじゃ遅いんだよ! こうなったのは、僕の創った者達のせいなんだ。だから僕は、どんなに辛くても、……ケジメを付けるよ」
「ゼロス……」
そう言いながら哀しみに震える小さなこの神様が、俺は愛しくて堪らなくなった。
「ーーー……本当は、迷っているんだね? 迷ってるからこそ、迷いを断ち切るために、そんなに急いで消そうとしてるんだ」
「……」
「ゼロスの俺を守ろうとしてくれる気持ちは、本当に嬉しい。だけどね、俺はゼロスが哀しそうにしてるのを見るのが、とても辛いんだ。……幸い俺はこう見えて結構頑丈で、ちょっと剣を向けられたくらいじゃ折れない心も幹もある! ーーー……だからもし、ゼロスの心が迷っているなら、少し時間をあげて欲しい。この世界と、ゼロス自身に」
「……」
……俺は、少しずるい言い方をした。
“あげて欲しい”なんてお願いするような言い方をすれば、優しいゼロスは、きっと俺の意見を通してくれる。本当は使いたくない言い方だった。
だけど俺は、ゼロスがこのまま勢いに任せ、自分の愛した者達を壊して欲しくないと思ったんだ。
他の為ならいざ知らず、ただの一本の樹の為に、ゼロス自身すらを深く傷つける決断を、下して欲しくなかった。
俺はゼロスに願った。
ーーー俺の為に、どうか傷つかないで。俺は大丈夫だから。
ゼロスは、何かに耐えるように俯く。
「……っ」
そして再び顔を上げたとき、ラムガル達に鋭い視線を向け言った。
「1ヶ月だ」
「「「!?」」」
「1ヶ月だけ、この世界に猶予を与える。人間達が思い留まり、パーシヴァルが鎮まるのなら、僕は今一度この世界を掬い上げる事にする」
「ゼロス! 何を言ってる!?」
ゼロスの宣言に、レイスが非難の声を上げた。
……せっかく、得意分野で活躍できるチャンスだったんだものね。
ゼロスは、いつものようにレイスに困ったような微笑みを向ける。
「ごめん、レイス。僕……アインスの言う通り迷ってたんだ。少しだけ、時間をくれ無いかな?」
「……っ良いに決まっている」
レイスは頬を膨らましながらそう言うと、俺の枝に飛び上がった。
ゼロスは再びみんなに向き直る。
「いいかい? 今言った結果が、この世界を生き残らせる条件だ。ーーー……だけど、僕は出ないよ。僕が、あの子達を消さないといけないと思っているのも事実だから、僕が守ることはしない」
皆はゼロスの言葉を、一言も聞き漏らすまいと見つめ、耳を傾けた。
話すゼロスの目には、一片の慈悲もない。
「……僕はただ静かに、アインスの元で時を待つ。その期限までの間に、世界の残置を願う者が事態を変えて来るといい。この世界を、残すに値すると僕に思わせる結果を出してくるんだ」
恐怖に震えるだけだったみんなの目の色が変わる。
「期限は一ヶ月。ただし、その間、アインスに剣を向ける者がいたら、その時点でこの世界は終わらせる。……わかった?」
「「「御温情、感謝致します」」」
その場に居た、全ての者達の声が揃った。
ゼロスがその表情を悟られぬよう背を向けた瞬間、その場にいた者たちが立ち上がった。
そして、固く武器や拳を握りしめる。
ーーーある者は、家族を守るため。
ーーーある者は、己の尊厳を取り戻すため。
ーーーある者は、己の力を高めるため。
ーーーある者は、負の連鎖を生み出す手綱から逃れるため。
ーーーまたある者は、世界を救うため。
……まあ中には、欲望に取り憑かれた者達もいるわけではあるんだけど、それぞれが、己の信じる信念と大義を掲げ、立ち上がった。
ーーー後ひと月で、世界が闇に没するこの黄昏時。
今ここに、世界の命運をかけた、“黄昏の天界戦争”が幕開けされたのだった。




